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ぎんこさんの読書ノート

2008年読んだ本
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 3

誘拐 (ちくま文庫)

著者 : 本田 靖春

出版社:筑摩書房

発売日:2005-10-05

評価 :

完了日 : 2008年08月05日

 東京オリンピックを翌年に控えた1963年。日本が戦後から脱却しようとしていた頃に発生した「吉展ちゃん誘拐事件」は、当時の人々に衝撃を与えた。私はまだ生まれていないこともあって知らない事件だったし、犯人像も「貧しさゆえ」という、今となっては古典的ともいえる動機で、無差別殺人が横行している現代では、古くさく感じるドキュメンタリーかもしれない。しかし、被害者、加害者、そして警察関係者の内面にまで鋭く迫っていく作者の筆致は素晴らしく、現在の読者でも十分に興味深い内容になっている。

 最近はその非効率から、あまり発生しない誘拐事件だが、1963年当時は営利目的の幼児誘拐事件そのものが珍しく、警察も捜査方法を確立していなかった。吉展ちゃんが誘拐された時も、営利目的の誘拐ということを警察はなかなか認めず、捜査は後手後手に回ってしまう。今では捜査の基本ともいえる犯人の脅迫電話を録音するということも、被害者の家族が録音機を買ってきたというお粗末さ。現金の受け渡しでも警察は失態を犯し、まんまと犯人を逃がしてしまう。

 しかも、失態を取り繕うために、さも被害者家族が捜査の邪魔をしたかのようにマスコミに発表する警察幹部。こんなのは今でもありそうだ。遅々として進まない捜査に、警察の威信を賭けて送り込まれた敏腕刑事が事件を洗い直す部分は、警察物としても十分に面白い。彼らは警察の尻拭いをするために、必死で犯人を追いつめるが、中には病気になったり亡くなってしまった人もいた。

 警察にまで非難された被害者家族の悲しみも深い。世間からはいたずら電話や手紙に悩まされ、家族はいわれの無い、姿の見えない悪意にさらされる。ある手紙にはこう書いてあったそうだ。
「公共の水を手前勝手に使うから、そういう目に合うのだ。」
これは、吉展ちゃんが公園で水鉄砲で遊んでいたときに誘拐されたからだろう。とんでもない言いがかりであり、悪意に満ちている。残念ながら、被害者を加害者以上に叩く「悪習」は40年以上経った今でも続いている。

 様々な犠牲を払ってやっと逮捕した犯人は、貧しい地方の生まれであり、彼もまた暗い因縁にとらわれた一人だった。初めは罪を認めずに警察を手こずらせるが、名刑事の粘り強い取り調べにより、やっと自白する。が、それからの犯人は、憑き物が落ちたように死刑を受け入れていく。私は貧しさゆえの犯罪だから、罪を軽くするべきだとは思わない。犯人と同じ環境でも、罪を犯さず必死に生きている人がほとんどだからだ。そして、死刑制度を安易に廃止するのも考えものだと思う。しかし、自分の罪を全て受け入れ、安らかに死刑を受けようとする罪人に、死刑の意味はあるだろうか?罪とは、罰とはなんだろうか?人間が人間に与える「罰」の限界を見たような気がした。これは21世紀になった今でも、人間が考えなければならない根源的な問題だと思う。(2008.08.11)


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 1

私の紅衛兵時代―ある映画監督の青春 (講談社現代新書)

著者 : 陳 凱歌

出版社:講談社

発売日:1990-06

評価 :

完了日 : 2008年05月25日

 画家が彫刻を作ると、まるで絵のような彫刻が出来たり、またその逆もあるが、映画監督が文章を書くと、これまた映画的な文章が出来上がる。
 本書は「黄色い大地」で衝撃的なデビューを果たし、現在も活躍中の映画監督、チェン・カイコー(陳凱歌)が少年時代に経験した文化大革命を語った自伝エッセイ。辛い過去を書いていながらも、カイコーの語る映像は夢のように美しい。

 1965年、両親も映画会社で働き裕福な暮らしをしていた13歳の著者は、名門学校に入学し希望に満ちていた。彼の語る北京は美しい光と暗く深い影で彩られており、まるで映画のワンシーンのようだ。特に胡同の描写は素晴らしい。楽しい縁日にやってくる玩具売りや金魚売り、夜になれば心地よいベッドに窓から流れてくる屋台の声…。しかし、著者のもっと幼い頃には大躍進政策の失敗による大飢饉があり、餓死する独居の老婆を見た著者はとても大きな衝撃を受けたようだ。文化大革命の足音は確実に近づいていたのだった。

 10代といえば、今まで世界の全てだった家族から世界が広がっていき、どんな国の子供でも、親に反抗心を持つころだ。著者の何よりの不幸は、その年頃に文化大革命が起こったことだった。ただでさえ反抗期なのに、国家の指導者であり神にも等しい毛沢東が、プロレタリア革命だといって両親や教師への糾弾を許してしまった。著者はそんな世間の流れに逆らえず、父親を糾弾することになる。その心の傷は大きかったようだ。この本を読むと、著者の映画作品「北京ヴァイオリン」での父子の描写が理解できるような気がする。最近では父親と和解し、映画スタッフとして父親と共同で仕事をしているそうだが、それは著者なりの贖罪であり、不幸な親子関係の修復になっているのだろう。

 本書では著者の私的な心の変遷が主なので、あまり文化大革命の詳しい説明はない。特に知識がなくてもわかるが、歴史の流れがわかっている方がより理解できるかもしれない。(2008.05.25)


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 3

偽書「東日流(つがる)外三郡誌」事件

著者 : 斉藤 光政

出版社:新人物往来社

発売日:2006-11

評価 :

完了日 : 2008年04月09日

 戦後最大の偽書と呼ばれた 「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)に関わった新聞記者が事件の顛末をまとめたのが本書「偽書「東日流外三郡誌事件」である。歴史の知識はあるが、専門家ではない著者の視点で書いているので、知識がなくてもわかりやすく書いてあるし、騙す、騙されるという人間の根源にある闇が透けて見えるのも興味深く、ページをめくる手が止まらなかった。

 そもそも「東日流外三郡誌」とは、青森県に住む和田喜八郎が「自宅を改装したら天井裏から箱が落ちてきて、古文書が入っていた」と発表。和田文書とも呼ばれる。それが1975年に青森県北津軽郡市浦村の『市浦村史 資料編』として刊行され大反響を呼んだ。その内容は、東北にも王権があり栄えていたというもので、オカルトブームもあってあっという間に広がっていった。しかも、地方の資料としての裏付けや、ある有名歴史学者の支持もあって書籍が海外の大学図書館にまで保存されるまでにもなった。

 しかし、プロの歴史研究者からみた「和田文書」は大変おそまつなものであったらしい。あまりにもお粗末だったので「誰も相手にしないだろう」と放置してしまった。それが、ある時アマチュア歴史研究家が自分の写真が無断盗用されたことで「東日流外三郡誌」発見者和田喜八郎を相手取って裁判を起こす。ここから新聞記者である著者は裁判担当として「東日流外三郡誌」と関わることになる。

 裁判が進むにつれ、文書の文字は発見したという和田の文字にそっくりなこと、書かれた当時使われてないはずの新しい言葉が出てくること、はたまた福沢諭吉がこの「東日流外三郡誌」から「天は人の上に〜」という有名な文句を引用したというトンデモ説まで出てくる。最終的にこれは「偽書」だという認識に落ち着いたが、和田本人は原本となった「寛政原本」があると言い張り続け、結局最後までこれを出さないまま他界してしまった。

 なぜこんな文書にたくさんの人々は騙されたのだろうか。それはやはり「人の願望をつく」のが詐欺の基本中の基本だからだろう。こういう歴史があったらいい、隠れた歴史を発見して名誉を得たい、そんな心のスキをついてくるのだ。その欲望の前には、多少の矛盾は見逃されてしまう。個人で騙されるのは本人が気をつければいいのだが、市町村など自治体が鵜呑みにして騙されたのは罪が重い。結果偽書にお墨付きをあたえ、たくさんの人が巻き込まれたからだ。さらに、よく事件を知らない新聞記者やTVメディアが裏付けをとらないまま飛ばし記事を書いたりする。あとで訂正が入ることもあるが、大体訂正記事など小さい扱いで知らないままということもあるし、偽書擁護派は訂正前の新聞記事を使って宣伝をする。学者の怠慢、地方自治体の無責任さ、メディアの力の怖さなど、偽書に興味のない人でも十分に考えさせられる1冊だと思う。(2008.04.13)


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 1

ある紅衛兵の告白〈上〉

著者 : 梁 暁声

出版社:情報センター出版局

発売日:1990-12

評価 :

完了日 : 2008年03月26日

 本書は文化大革命を体験した著者の限りなく事実に近い「小説」である。
1949年生まれの著者は、10代の多感な青春時代を紅衛兵として過ごした。理想に燃え、新しい世界が来ると信じていたが、同時にたくさんの悲劇を見ることにもなる。
 
 文化大革命に至る背景や思想などは殆ど書かれておらず、あくまで主人公(著者)の目線で、起こった事件をありのまま書いてあるので、とても読みやすいし興味深い。確かに異常事態ではあったかもしれないが、1人の少年にとってはそれでも「青春時代」だったのである。満員の電車で出会った少女とのふれあい、初めての女性との交際、没収された本をこっそりと読みふける時間…。ありふれた青春の光景だ。だがその背景には「文化大革命」という崇高な大儀の元に、人間の強烈な嫉妬が野獣のように解き放たれていた。父親を反革命だといって告発し、母親からも恨まれ自殺した主人公の友人、裕福な女性から美しい下着をブルジョアだといって奪ったあげく、それを引きちぎって「髪飾りにする」と言う女性たちのエピソードは印象深い。

 著者は冒頭で「紅衛兵であったことを後悔しない」と書いている。さらに、「文化大革命」を悔やむよりも、この大きな犠牲から学ぶことがあるはずだと言う。確かにこれは中国で起こったことだが、人間の深淵にある醜さ、欲望が大儀を持ったときにいかに恐ろしいものかということを教えてくれるし、それはどこの国でも、どんな人でも起こりうることなんだと思う。(2008.04.08)


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 5

土曜日 (Shinchosha CREST BOOKS)

著者 : イアン・マキューアン

出版社:新潮社

発売日:2007-12

評価 :

完了日 : 2008年03月08日

 2001年に発生した同時多発テロは文学作品にも大きな影響を与え、そのような作品は「911以降」という表現がよく使われるが、本書「土曜日」も「911以降」といわれる作品のひとつ。911を経て何かが確実に変わってしまった(変わらざるをえなかった)ひとりの男が過ごす、ある土曜日をていねいに、そしてスリリングに描いている。

 主人公は外科医で社会的地位もやりがいのある仕事も持ち、妻を愛しており、さらに子供もそれなりに成長したという、小説の主人公にしては平々凡々たる男。どう考えても男の人生には何も問題はないし、全くドラマチックでもない。そんな男が、土曜日の早朝に飛行機が炎をあげて空港へと向かっているのを目撃する。だが「911以降」といっても、その飛行機事故がテロといった安直な展開にはならない。テロの恐怖はしっかりと男の胸のなかにあるが、実際の生活には頻繁に航空テロは起こらない。

 この物語では、男の土曜日の過ごし方が淡々と書かれるだけ。だけど男の行動や家族の言動の裏には「911以降変わってしまった世界」が存在する。平凡で以前と変わらない世界に見えるが、「人類は進歩し続け、我々は平和だ」という先進国の人々の無邪気な思考には陰りがある。しかしマキューアンは声高にそのことを叫んだりはしない。平凡な男の中に、その変化を潜ませている。

 最近映画化された「贖罪」も面白かったけれど、私は大河ドラマチックな「贖罪」よりも、本書のようなスノッブな普通の人たちを書いた作品の方が好きだ。そして、最後の最後にマキューアンはまだ希望を失ってはいないことがわかる。「911以降」だろうが、人は進化できるということを。(2008.03.08)


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 4

忘却の河 改版 (新潮文庫 ふ 4-2)

著者 : 福永 武彦

出版社:新潮社

発売日:2007-08

評価 :

完了日 : 2008年02月21日

 福永武彦は「草の花」を挫折したこともあって、苦手な作家だと思っていたが、今回「忘却の河」が復刊され、しかも息子の池澤夏樹が解説を書いているのでさっそく購入。「草の花」は読みにくいなあと10年以上前に思ったのだが、この作品はとても面白くてすぐに読み終えてしまった。
 
 物語は太平洋戦争後、安定し何も不自由なく見える家族が、過去の呪縛や不安から逃れられずに悩み、邂逅し、そして未来へ進んでいこうとする姿を書いている。確かに池澤夏樹が言うように、この家族の肖像は今となっては古くさいかもしれない。女性の貞操観念なんか、今とこの小説の時代では全く違う。でも、愛やセックスが「本物」なのか、と悩む女性の心というのは、私は今でもあると思う。ケータイ小説だって、過激なことを書いていても、結局はそういう根本的なことを悩む女性の物語なんじゃないだろうか。
 
 だが、この小説の何よりすごいところは、そのスタイリッシュな構成だと思う。中年男のひとりごとで始まったかと思えば、フラッシュバックのように過去の映像が挿入される。読者はその映像が何かはその時はわからない。だか、読みすすむにつれて、部分的に男の過去がわかってくる。さらに、詳細な絵画にズームインするかのように男の家族へと視点を変え、家族の内面と過去にもせまっていく。計算されつつもゆるやかに流れていく河のような構成は、全く古さを感じさせない。家族の肖像は古びても小説そのものは現在でも十分通用しているのは、この巧みなテクニックが要因ではないかと思う。福永武彦といえば、なんとなく感傷的な作品だろうと思い込んでいたので、これは嬉しい驚きだった。別の作品も読んでみたい(2008.03.01)


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1.パートママ (2008/03/03)
「忘却とは忘れ去ることである」でしたか。懐かしいですね、でも内容は忘却のかなたですが…。この人の「廃市」でしたかだいぶ前BSで映画やってました。それはいい映画でした。
2.ぎんこ (2008/03/05)
 コメントありがとうございます。
「忘却の河」というタイトルなんですが、忘れることの出来ない家族の物語でありました。福永武彦苦手と思ってたので、この本を読んでよかったです。ちなみにこれ、字も大きくなって息子のエッセー付きなので、どうでしょう、また読まれてみては?「廃市」映画になってるのですねー。知らなかったです。
 

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 5

ロズウェルなんか知らない

著者 : 篠田 節子

出版社:講談社

発売日:2005-07-06

評価 :

完了日 : 2008年02月13日

 とあるオカルト懐疑論者HPを見て知った本。痛烈にオカルトを皮肉った話でもあるが、同時に地方公務員と地元民の関係やマスコミ論まで含んだ話にもなっている。
 
 物語の舞台は、観光を産業にしている過疎の町 駒木野。一昔前はスキー団体客でいっぱいだったが、近年は温泉の出る近隣の町に客をとられ、大手観光会社の撤退で地元は寂れていくばかり。このままいけば2030年には人口は0に! そんな危機に、青年というにはちょっとばかり年をとった主人公たちが、偶然あらわれた東京のコピーライターとともに奇策をしかけることに。それは「UFOを名物にすること」だった。
 
 地方の過疎化というのは最近は地域格差などと言って話題になっているが、なんにもない村に客を呼ぶにはどうしたらいいか…というシンプルかつ究極の問題にこの小説はぶつかっていく。UFOやオカルトで観光客を呼ぶ、というのはかなり飛んだ考えだとは思うが、作者はかなり地方の事情や観光産業について調べており、リアリティがある。電気ひとつとっても、その電気は誰が支払っているのか、公共の施設を使うには条件があること、なども書かれてある。そのひとつひとつのディティールが現実味を増す。
 それにオカルトについての考察が面白い。それっぽいオカルトを想像させるものを作っておいて「歴史のストーリーも学術的理解もいらない。客にまかせればいい。思い込みの激しい連中の妄想は、俺や学者たちの貧弱な想像を上回るはずだ」。そう、オカルトとはこうして生まれて行くのだ。そして真実だと思い込むと、どんなに否定してもそれが逆に信憑性を高めることになる。これを利用して、駒木野町の青年団と観光関係者は客を集めていくのだった。
 
 主人公たちの健闘と観光客の勘違いは笑えるし、彼らを取材するマスコミのいいかげんさなども面白くよく調べて書いてるとは思うが、その細部にわたるディティールばかりが強調され小説の面白みは少し失われているように感じる。コメディとしてもっと笑えるような洒落っ気が欲しかったし、登場人物の背景もあまり書かれないので、名前をなかなか覚えられなかった。もう少し小説的な仕掛けがあった方が読者は素直に楽しめると思う。駒木野町を訪ねる観光客のように、読者も小説というウソに楽しく騙されたいのだから。
 
 私としては、これはドラマ、映画に非常に向いた作品と思うので、ぜひ映像化して欲しい。登場人物も俳優が演じれば厚みが出て面白さが増すと思う。(2008.02.18)


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 3

幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書 206)

著者 : 野口 武彦

出版社:新潮社

発売日:2007-03

評価 :

完了日 : 2008年01月31日

 幕末というのは非常に面白い時代だと思う。250年あまり続いた徳川幕府は、慢性的な財政難と官僚による汚職で内憂をかかえ、鎖国という一国平和主義をのうのうと続けていたツケが一気に「黒船来航」という大事件によって「外患」がはっきりと目に見えるようになった。ここからの幕府の右往左往は当事者には悪いが、とっても興味深い。

 作者は「幕末」の始まりを、水野忠邦の天保の改革あたりから始まったと言う。この改革はまさに「劇薬」であり、この改革こそが、江戸幕府の最後のチャンスだった。官僚による汚職天国を一層し、目の前の利益を追求する一時的な赤字解消をやめ、物価を下げる。今の政治でも大問題だが、それを即座に実行せねばならないせっぱつまった状態が当時の幕府。権勢欲と理想に燃える水野忠邦が辿った道は、歴史の教科書にあるとおりだが、この本ではゴシップネタや資料から、表舞台の裏にあったまるで人間喜劇のような政治ドラマをわかりやすく書出してくれる。
 
 たとえば、水野忠邦が当時の実力者たちを御用部屋から一掃した場面。何事もないと思われたある日、いきなり政敵たちに「上意である!」と罷免状を叩き付ける。まるでドラマ「ハゲタカ」のような解任劇は、サスペンスドラマのBGMでも流したいくらいだ。後半は水野が失脚したあとの阿部正弘に物語の中心は移るが、幕府始まって以来の大決断(開国するかどうか)に迷い、徳川斉昭に依存せざるを得なかったという作者の考えは面白い。それと、徳川斉昭はゴリゴリの尊王攘夷派と思われがちだが、実は内心では「外圧をつっぱね続けるのはムリかも」と考え、いざ黒船来航となると、「今は外国船をおっぱらうのはムリじゃない?」と阿部に書簡を送ったりする。口ばっかり!だが、意外と(失礼だけど)理想と現実とのバランス感覚があった人だったのかなとも思う。

 こんな政治のエピソードが多いが、中には江戸の庶民のゴシップネタもある。天皇のご烙印と名乗ったある男の顛末や、天保にはやった「偽源氏物語」のエピソードなど興味深い。この「偽源氏物語」の作者も「享保の改革」による取り締まりで職を失い、旗本の息子だったばっかりに詰め腹を切らされたのではないか、という痛ましい話もある。
 
 今年の大河ドラマは幕末を舞台にした「篤姫」だが、この本はちょうど篤姫が活躍する前あたりで終わっている。あとがきによると、まだ雑誌で連載中とのことなので、ぜひ続きを出して欲しい。(2008.1.31)


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 3

人間の土地 (新潮文庫)

著者 : サン=テグジュペリ,堀口 大学

出版社:新潮社

発売日:1955-04

評価 :

完了日 : 2008年01月27日

 「星の王子さま」であまりにも有名なサン=テグジュペリが、自らの飛行士としての体験を元に書いた小説がこの「人間の土地」である。他にも「夜間飛行」など多くの著作を残している。
 
 この作品は「小説」といっても、全くの作り事ではなく、たぶんほとんどのエピソードはデグジュベリが経験したり伝え聞いたりしたことだろう。まだ飛行機での旅が冒険であったころ、デグジュベリは航空会社のパイロットとして南米のアルゼンチンやアフリカのカサブランカへと向かった。時には仲間の墜落事故を聞き、ある時は自らも墜落し3日間砂漠をさまようことになる。たぶん、この時の経験が「星の王子さま」につながったのだろう。読んでいると、なぜ「星の王子さま」が書かれたのかわかるような気がする。
 
 飛行士としてのエピソードと平行して描かれるのは、テクジュベリの持論だ。経験によって感じたこと、考えたことを書いている文章だとすると、小説というよりは散文、エッセイといった方が近いかもしれない。テクジュペリは生と死を常に見続ける冒険家として、そしてたくさんの国と人種を見てきた国際人として、人間のあり方、尊厳とは、勇気とは…を美しく訴える。そして、その主張は机上の空論ではない。人間の土地を空から見たテクジュベリが、すべての人間に共通する生き様について語る。それは21世紀になり、飛行機がめずらしくなくなった今だからこそ、強く人の心に訴える。
 
 堀口大学の訳は昭和30年の発表なので、さすがに古い部分もあると思うが、サン・テクジュベリの崇高で格調高い文には合ってるのではないかと思う。(2007.1.27)


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 1

綺想迷画大全

著者 : 中野 美代子

出版社:飛鳥新社

発売日:2007-11

評価 :

完了日 : 2008年01月19日

 いわゆる「名画」と呼ばれる作品よりも、「迷画」と呼ばれた方がしっくりくる、奇怪な絵や不思議な絵を作者の好みで紹介し、図像を解き明かす本。絵画の美学よりも人の想像力の面白さを重視しているので、特に絵画に詳しくなくても十分楽しめる内容となっている。
 
 著者は「西遊記」の翻訳などを手がける中国文学の専門家ということもあって、中国の絵画が多く取り上げられているが、半分ほどは西洋絵画で日本画も出てくる。タイやインド、中国の神様についての解説や、中国の皇帝の服に書かれた模様の意味、神話や伝説に出てくる怪物について、など文章も面白いし、絵の図版も豊富で見応えがある。この本を読んで美術館に行けば、いままでとは違った絵画の見方が出来るだろう。
 
 中でもマルコ・ポーロの「東方見聞録」に出てくる一本足の怪物「スキヤポデス」なんて見てるだけで可笑しいし(普段は一本足で移動、暑いと自分の足を日傘に休憩)、インドのムガル帝国の空中庭園、17世紀の西洋絵画に詳細に描かれた日本の鎧、ハンコだらけの中国の絵画(鑑定した皇帝がはんこを押している)などなど、不思議な絵画がたくさん出てきて興味はつきない。

 しかし、この本のなによりも楽しいのは作者の語り口だ。堅苦しいところがなく、私はこの絵が好きなのよね、こういう所が…と、読者に語りかけるように書いてある。この絵は大好きだけど、これは出来が悪いのよね、などあっさり書いてるところも正直で笑ってしまう。気軽に読めて、人の想像力の奥深さと絵という空間の広がりを実感させてくれる一冊。(2008.1.20)


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1.七生子 (2008/01/21)
こちらでははじめまして。七生子です。
書店で見かけて気になった本なのですが、読まれたんですね!
中野さんの専門が中国文学と中国の絵画が多く取り上げられていることと値段がお高めで躊躇したんですが、ぎんこさんの文章を読んでいたら、たまらなく読みたくなってきちゃいました。購入は…ですが、ぜひ読んでみます。ご紹介ありがとうございました!
2.ぎんこ (2008/01/25)
七生子さん、コメントありがとうございます。
この本はとっても図版が多くて、しかもフルカラーですから値段は相応なんだと思いますが、やっぱりいきなり買うのはためらう値段ですよねー。私はすごく気に入って、ときどき読み返したいなと思ったので買えばよかったなと後悔してます。中国の絵画も多いですが、面白いエピソード満載で楽しめること間違いないですよ!お奨めします。
 

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 6

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

著者 : ダニエル T.マックス

出版社:紀伊國屋書店

発売日:2007-12-12

評価 :

完了日 : 2008年01月14日

 ある日突然、その病はやってくる。瞳孔が収縮し、異常に汗をかき、うまく歩行できない。目がさえて夜眠れなくなり、次第に衰弱して意識は混濁してくるが、時々正常に戻り大脳の機能は失われない。そしてなんの治療法もなく必ず訪れる死…。そのような恐ろしい遺伝病が実在する。本書で書かれているイタリアのある家系は、FFI(致死性家族性不眠症)と呼ばれる遺伝病にたくさんの親族の命を奪われてきた。今では遺伝子を調べることで病気のキャリアかどうか診断できるが、一族は診断をしないそうだ。知ってもなんの意味もないからである。未だに治療法はないのだから。
 
 このFFIという病気は、牛が発病する狂牛病、羊が発病するスクレイピー、パプアニューギニアのフォレ族の間で蔓延していたクールー病、人間が発病するクロイツェルト・ヤコブ病と同じく、異常タンパク質プリオンが起こす病気である。このプリオンは今まで人間が得てきた伝染病の知識を覆してきた。まず、プリオンは「生命ではない」。タンパク質は「物質」であり、DNAやRNAといった遺伝物質を持っていない。それがなぜか体内に入って正常なタンパク質から異常なタンパク質を増幅させて、宿主を死に到らしめる。これは科学者の常識を裏切るもので、その常識が長いことプリオン病の発見を遅らせてきた。
 
 本書の作者はFFIという謎の遺伝病から話を始め、クールー病、狂牛病のエピソードを紹介する。狂牛病については、日本でいうところの「肉骨粉」を与えたことから狂牛病が蔓延し、イギリス政府閣僚が既得権益を失うことを恐れ対策が後手後手に回ったこと、科学者の見栄で病気の認識が遅れたことを痛烈に批判。クールー病に関しては発見に関わってきた個性的な科学者のエピソードや、クールー病が狂牛病と同じ「共食い」から蔓延したことをどのように科学者が発見したかを説明する。
 
 世界の様々な民族の遺伝子を調べると、「ヘテロ接合体」という遺伝コードを持つ人が圧倒的に多い。作者はこれを「人間が過去に食人を行った証拠」だと推測する。つまり、過去に食人によるプリオン病が発生し、プリオン病にかかりやすい「ホモ接合体」を持つ人は生き残れなかったのではないだろうか。そして、日本人のほとんどはなぜか「ホモ接合体」なのだという。つまりプリオン病に弱い遺伝子を持つということだ。日本でイギリス並みの狂牛病が発生したら、もっとたくさんの人の命が奪われただろう。これは心に留めておくべき情報だと思う。

 私は前に福岡伸一の「プリオン説はほんとうか?」を読んでいたので、ここに書いていることは大体知っていたので呑み込みやすかった。プリオン病についておおまかにつかみたいのなら、新書の「プリオン説はほんとうか?」の方が安価で手に取りやすいかもしれない。本書はより詳しい部分もあるし、よくまとまっているのでプリオン病の入門書としても十分に楽しめると思う。(2008.1.14)


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 2

破壊者ベンの誕生 (新潮文庫)

著者 : ドリス レッシング

出版社:新潮社

発売日:1994-08

評価 :

完了日 : 2008年01月13日

 ノーベル文学賞受賞以来、復刊が続くドレス・レッシング。本書は文庫なので買いやすいのと、なんといっても巻末に掲載されている訳者によるレッシングの解説が素晴らしい。とりあえずレッシングがどんな作家でどんな作品を書いているのか、どんなおいたちなのか、知識を得たければお買い得間違いなし。この解説だけでも元が取れる。
 
 訳者によると、レッシングは一言ではとらえがたい作家だそうで、作品ごとにガラリと作風を変えるのが特徴らしい。自然主義的な小説もあれば、SFの連作やホラー風味あり、と多種多用。本書「破壊者ベンの誕生」も、ひとことで言い表しがたい小説になっている。
 
 簡単に言えば、年代に似合わず古い価値観を持ち、理想の家庭を夢見た夫婦が5番目の子供、ベンの誕生によって家庭崩壊する話だが(原題は「fifth child」)、ホラーのような不気味な部分や、家族の崩壊といった現代の問題、障害を持った子供とのコミニュケーション不全、安易な母性賛美の否定、など短い物語の中に様々な要素が含まれているので、この小説のジャンルを定義するのは難しい。そして、書き手のレッシングは定義されることを否定しているような気がする。小説の中に出てくるテーマは、どれもこの世に存在する出来事だ。それをレッシングは賛美も否定も問題定義もしない。ただ、そこにあることを冷徹なまでに書出すだけだ。物語としての面白さは維持しながらも、安易に盛り上げたり虚構を描こうとはしない。そこにレッシングの女性ならではの凄みがある。
 
 ベンの暴走が過激化するにつれ、主人公でベンの母ハリエットはぼんやりとベンを見るだけになる。彼女はベンを見ることしかできず、黙示録的な妄想にひたる。彼女はただ、たくさんの子供と家庭が欲しかっただけだ。それなのになぜ、こうなったのだろうか。レッシングは何の説明もしない。なぜなら、その答えはどこにもないからだ。

複雑なテーマととらえどころのない作風が読者を混乱させる部分もあるが、グイグイ読ませるリ−ダビリティ高い小説でもあった。さすがノーベル賞作家! (2008.1.13) 


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 6

神は妄想である―宗教との決別

著者 : リチャード・ドーキンス

出版社:早川書房

発売日:2007-05-25

評価 :

完了日 : 2008年01月05日

 「利己的な遺伝子」で知られるドーキンスが、神の存在を真っ向から否定した本ということで話題の本。刺激的なタイトルに惹かれて購入しました。
 
 読む前は、科学者ドーキンスが書いた本なので、もっと科学的というか生物学的に人間が「神」を感じることについて論じているのかと思ってましたが、この本では、日本人が言うところの「神」ではなく、主にキリスト教、それとユダヤ教やイスラム教など、いわゆる一神教についての弊害を追求しています。ドーキンスは911をきっかけに、この本を書こうと思ったそうです。科学が発展した21世紀においてもなぜか元気のいいアメリカの原理的キリスト教徒、特に最近出てきたインテリジェント・デザイン論など、日本人にはちょっと信じられない社会的状況がドーキンスをそうさせたのでしょう。本書の中では、敬虔な信者であり科学者であったドーキンスの知人が、宗教と科学の間で悩み、ついには科学を捨ててしまった…というエピソードもありました。これも大方の日本人には信じられないことでしょう。もちろん宗教にはいい側面もたくさんありますが、このように多くの問題が現実に起こっており、宗教といえば批判できない空気があることも確かです。そのことに真っ向から反撃したことは、ドーキンスもかなり命がけで本書を書いたのだと思いますし、日本人は理解できない感覚ですが、キリスト教など一神教についての知識を得ることもできます。
 
 しかし、ドーキンスは宗教のない世界はどんなに素晴らしいだろう…といいますが、現代の日本では、ほぼ無神論者が多い中でも新興宗教はたくさん存在し、近年ではオウムというカルト教団による犯罪も起こりました。そしてテレビではスピリチュアルと称して前世やオーラなどを人々は信じるまではいかないでしょうが、好んで見ています。たとえキリスト教などがいっさい無くなってしまっても、結局は代わりに信じる「何か」を人は見つけるだけではないか、と思ってしまいます。私自身はキリスト教を信じることは出来ませんが、信じている人たちを非難することは絶対に出来ないですし、存在しない方がいいとはとても思えません(もちろん、イスラムやユダヤに関しても)。ドーキンスが過激な事を書いているのは、多分劇薬のように社会に大きな反応を起こすためだと思いますが、宗教を排除することよりも、より社会にうまく調和できるように、そして宗教による差別、戦争を起こさないように持って行くことが重要なのでは、と思います。宗教指導者の意識が変わらない限りはかなり難しいことでしょうが。(2008.1.5)


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