たなぞう

WEB本の雑誌

東城 憐さん > 読書ノート

東城 憐さんの読書ノート

攻略済戦国本
これまでに読了した日本戦国史関連書籍
<前のページ 1  2  次のページ>

 

みんなの感想を読む
 4

密謀 (下) (新潮文庫 (ふ-11-13))

著者 : 藤沢 周平

出版社:新潮社

発売日:1985-09

評価 :

完了日 : 2008年05月19日

一言で言うと 「とても丁寧に作られた松花堂弁当」という感じ。素材選びに始まって 調理・盛り付けまで途切れることなく精神を注ぎ込まれた一品ずつは 其れのみでも充分在り得るものたちである。それらが一つ箱に収められて醸す 上品で静かな 悠然たるハーモニー——読後の印象は そういう食後の 清楚な満足感に似ている。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 5

密謀 (上巻) (新潮文庫)

著者 : 藤沢 周平

出版社:新潮社

発売日:1985-09

評価 :

完了日 : 2008年05月19日

購入当初の第一印象は どうした訳か非常に取っ付きにくかった。ところが機会を改めて臨んでみたなら その第一印象を抱いたことさえ忘れてしまう。
それでも 読了までには常より長い時間を割いた。内容が難しかったから とか つまらなかったから というのではなく 極めて端正な文脈へ対峙するに当たり 此方も相応の礼節を保ち続けたからだ。

直江山城(と景勝公)の足跡を伝える作品としては 取り立てて目新しい内容ではない。殊更詳しい訳でも 新たな像が披露されるのでもない。歴史的事件で言えば 小牧長久手の戦い辺りから徳川家への降伏決断まで が物語の舞台である。直江山城を知る上で凡そ欠かせないと思われる 謂わば山場だけを綺麗に切り取って額へ収めた眺めにて 入門書としても宜しかろうという具合だ。
なので 僕の評価は実質的な内容に対するものではない。

作品には先ず大名とその家臣・忍び・剣客が登場するのだが その何れへも同等の筆圧でもって仕事が進められている様は秀逸である。著者に独自の思い入れというのが 紙面からは一切感じられない。一作読んだだけでは 此の人が本来どの分野をホームラウンドにして居るのか判らないだろう:僕には判らなかった。 “冷静” “理性” “客観”  或いは“相対” と言うのに丁度の作風である。そのクセ 例えば童子に特有のナンセンスな言葉遣いなどは 夕日に映える紅い頬が見えるほどなのだから感服してしまう。

かつて拙文の中で 「仮に新田次郎を『上手い』とするなら 池波正太郎は『旨い』」と惟う旨を述べた。倣って言うなら 藤沢周平は『巧い』だろうか それとも『美味い』か。——何れも此の書き手の文脈には華美に過ぎる表現と思われる。僕には本書が初めての藤沢作品であるが 其の均整のとれた構成と共に 丁寧に紡がれてゆく文脈の様には 軽い感動を覚えたほどだ。今 久しぶりにキチンとした文章に触れた という清々しい思いがしている。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

火の国の城 下 新装版 文春文庫 い 4-79

著者 : 池波 正太郎

出版社:文藝春秋

発売日:2002-09

評価 :

完了日 : 2008年05月08日

主人公:丹波大介というのは 甲賀忍びの出で在りながら関ヶ原の合戦にては我らが眞田忍びとして西軍の為に働き 大御所の身辺まで肉薄した手練の男だという。「だという」と言うのは 彼は先に『忍者丹波大介』という別の池波作品にて 堂々主役を張って居るのだそうで 生憎僕は未読ながら 大の池波小説ファン 或いは忍者小説ファンにとっては 既に馴染みの深い存在だろうと想われるのだ。5年前の関ヶ原戦で壮絶な討死を遂げたと伝わる彼を 作品導入部にて京の風呂屋に目撃するのが これまた同合戦で死んだと信じられて居る眞田忍び:奥村弥五兵衛なのである。

——この辺り 導入部にて既に 実に旨い。且つ豪華である。「ファンにとっては堪らないセッティング」とは 池波作品の解説者が異口同音に書き立てる処であるが 全くそれ以外に言いようがない。或いは此の作品が 一個の独立した長編小説であると同時 (解説によれば)『夜の戦記』—『蝶の戦記』—『忍びの風』—『忍びの女』—前述の『忍者丹波大介』と一連を為す作品:連作小説であることが そのような設定を生んだのだ そう解釈する向きも在るだろう。だが僕はそれ以前に 此の書き手が相当のプロ意識を備えて居たのだろうことを感じるのだ。ファンを悦ばせる方法を識って居り それを為すことを忘れず 惜しまない。それは取りも直さず 大衆から好んで読まれて在ること 其の自覚がある ということである。そのような作家としてどのような仕事を為すべきなのか 即ち己が責任を自覚して在る ということである。勿論そればかりでなく 純粋に大家としての自信もあっただろう。自信と自覚とに満ち満ちて差し出された手を だから読者は正に大船に乗った気分で取り これより繰り広げられるだろう戦国浪漫へと 悠々漕ぎ出して往けるのだ。このような不思議な信頼感を抱かせる作家を 僕は他に識らない。

さて ではそんな豪華なセッティングにて我々読者の前へ再び現れた丹波大介が 此度は一体誰の為に働くのかと言えば 太閤子飼いの筆頭で在りながら関ヶ原の合戦では東軍に属し 地元:九州にての大功が認められ 今や肥後54万石(作中説)の大大名と成った 加藤主計頭清正 なのであった。
——にやり。とせずには居られない(笑)。なるほど では表題『火の国の城』は 天下に屈指の名城:熊本城を指すのであろう と早速に合点がゆく。更に 生前継父が好きな武将に 先ず「加藤清正」と挙げたことを淡く想い出す。
だが作中 清正も熊本城も 想うより出番は少ないのだ。例えば『真田太平記』に於ける真田安房守昌幸公と真田忍び頭領:壺谷又五郎ほどには 丹波大介と清正とが密に疎通する訳ではないし あの実戦的な熊本城を舞台に丹波忍びが大いに敵方と攻り合う訳でも 無論其処で決戦が行われる訳でもない。仮に此を映像化するとしたら 脚本家は大々的に此処を加筆するだろう そのくらいの淡泊さである。
でありながら 清正と熊本城との存在感は決して淡泊などではないのである。ファンにとっては 丹波大介のような忍びがどのような御仁にならば身命を賭するのか 又熊本城という城がどのように堂々たる建築物なのか 其れを建てた清正がどれほど築城の名手なのか 其の手法を誰から受け継いだのか——そのような前知識は改めて吹き込まれるまでもない。無論その通りではあるのだが 特に 熊本城が清正の精神の象徴として 即ち此の物語を貫く主題として作品の根底に静かに横たわって在る様は いつもながらの安定感にて美事である。其の意志の厳然は 言うなれば『真田太平記』に於ける「真田伊豆守信之公」といった処だ。
——きっと。
作者は熊本城を訪れ 先ずは万民と等しく大いに圧倒されてから 「清正は何を考えながら此の城を建てたのか」 洋々と想いを馳せたのだろう。読書を進める間中 僕には其の姿が観えるような心地がした。作者が抱く其の畏怖と敬意が 清正と熊本城とに一体と成って 作品に横たわったのだと惟う。手法云々以前に そういう作者の 対象への敬愛が 此の作品の安定感を生んだのではないだろうか。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

火の国の城 上 新装版 文春文庫 い 4-78

著者 : 池波 正太郎

出版社:文藝春秋

発売日:2002-09

評価 :

完了日 : 2008年05月08日

池波作品の中でも特に読み易い忍びモノであった。本来忍者小説には部外者で在る僕にとって 例えば『真田太平記』のように細々と延々と忍び働きが語られるような類は 正直 読み進めるのに時折苦痛を伴ったりする(苦笑)のだが 此方はノッケからテンポも上々 スルリと読破出来た。此の作品は 一連の池波忍者小説と併せれば長大且つ雄大な連続作品と見ることも出来るのだが 此の二巻が初めてな読者にも全く違和は無いだろう。
けれども もしも彼等に超人的完璧無比な忍び働きを期待するなら 一寸注意は要るやも知れぬ。主人公はじめ 我らが眞田忍びの象徴として登場する奥村弥五兵衛なぞも 平気で何度もドジを踏む(笑)。いや主人公自らが 私事から仲間を死に追いやるという失態を演じて隠さない。尤も 相手も伊賀/甲賀の優れた手練達(此方も他作品では主役を張った身だそうな)であるから 「ドジ」と言ってもそのレベルは高いに違いないが。
情に負け 色に負け 窮地に嵌り 仲間を巻き添えに戻って 尚赦される——機械的/サイボーグ的忍者とは正反対の 謂わば “池波忍者” の特質が色濃く著された作品と言えよう。きっと 数年前「肉に弱いだけだ」と僕から投げ出されてそれきりな 『忍びの風』で作者が著したかったのも其処だったのだ と今回は思い至った。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

真田三代記 (PHP文庫 ト 3-2)

著者 : 土橋 治重

出版社:PHP研究所

発売日:1989-07

評価 :

完了日 : 2007年02月15日

僕がこれを古本屋の書棚で見つけたのは 2004年だったと想う。未だ眞田家に真っ新な新参者で 大著『真田太平記』の読破をやっと想い描くようになった頃だ。正直 その “大著読破” の前哨戦的心境で読んだものだが 振り返ると この書の成立背景/性質から言って 実は僕の本棚に特異な一冊だった。

作品は 明治31年博文館発行の『校訂真田三代記』を著者が抄・意訳し 各章・各項目毎のタイトルと各章末の注釈とを新たに補った物である。途中 原文の引用もあり 当時の雰囲気を垣間見ることが叶う。「昌幸—幸村—大助」を「真田三代」とする一族の歩みが 大坂夏の陣を中心に実質300頁に纏められ 薩摩:島津家へと落ちた幸村と 彼に擁され共に落ち延びた豊臣秀頼の病死でもって締め括られている。
著者に拠れば『校訂真田三代記』自体が作者不詳であり 徳川幕府体制下にて(秘密裏に)写本により継がれてきた経緯から 史実の記録としては甚だ信憑性に欠けるのは言うまでもない。これは寧ろ 幕府支配の下に鬱屈していた「日本国民による記録文学」と称ぶのが適切だろう。証拠に この『校訂真田三代記』を底本として刊行された『立川文庫【真田編】』は 更に国民の熱望を反映した形をとって 読者の熱烈なる支持を受けた。ここで歴史的信憑性や文学的技巧を云々するのはナンセンスというものだ。又 如何に『立川文庫【真田編】』の底本だからといって 此に真田十勇士の活躍を期待するには少し無理があろうかと思われる。ここには その萌芽が数多蒔かれてある と言うのが適切だろう。

ここでの「真田三代」は「昌幸—幸村—大助」だが 冒頭にその類い希な一族の祖として「幸隆」の功績も挙げられている:「真田三代は、この幸隆の血をただしくひいていたからすぐれていた」と(喜)。
真田家は木曽義仲の家人:幸氏の頃から既に甲斐武田家に仕えていたとされ 幸隆公は幸義の一子で幸氏から十余代後の末孫である。昌輝公は正室に 昌幸公は側室に産まれた子とされているが 信綱公に関しては記述がない(なかったと思う)。
個人的に面白かったのは やがて家督を継いだ幸隆公と 既に信虎を追放して当主の座に就いていた晴信公とが当初不仲であった という解釈。幸隆公は「あの親不孝者め」と軽蔑を隠さず それを晴信公が「わしを軽んじる不届者」として真田家征伐(!)を考えている。ここに 飯富兵部の紹介と小山田備中の説得から武田家に仕官することになった山本勘介が絡む。二人には 勘介が流浪の身で在った頃 幸隆公の評判を聞きつけて館である岩尾城に訪ね 意気投合して十日剰りを共に語らい過ごした という経緯があった。晴信公から真田征伐を申し付けられそうになった勘介は仰天し 晴信公を説いて 逆に橋渡し役として幸隆公を再訪する という筋である。そして勘介の「共に合戦で腕試しをしたい」と言う熱意に打たれ 幸隆公は武田家への尽力を決心するのである。
——すると 今年の大河ドラマ『風林火山』にて 武田家仕官以前に勘助が幸隆公との知遇を得ている という設定は 強ちあり得なくもない訳だ。案外この辺りから採った話かも知れない。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 2

謀将真田昌幸〈上〉 (角川文庫)

著者 : 南原 幹雄

出版社:角川書店

発売日:1998-11

評価 :

完了日 : 2007年01月14日

この上巻は『謀将 真田昌幸』に非ず ズバリ『謀将 真田幸隆』である。海野一族敗亡の危機に直面するところから死去に至るまでの幸隆公でビッシリ 昌幸公の本格的な登場は この巻での終章に当たる僅か数頁のみだ。上下巻という体裁ではなく それぞれを一巻完結物の『謀将 真田幸隆』『謀将 真田昌幸』として発売しても差し障りない。寧ろ何故そうしなかったのかと訝られるほどなのだが もしや幸隆公の知名度が関係したものか(苦笑)? 純粋に昌幸公のみに関する作品を求める場合には 入手前の検討が必要かと思われる。

幸隆公は 棟綱を父に 幸義を兄にもつ 海野家の次男:小次郎として登場する。早々に海野平の合戦にて幸義が討ち死にする為 実質上の嫡男として一族の将来を担うことになる。妻は羽尾入道幸全の息女であり 他説で正妻に名の上がる河原丹波隆正の妹は ここでは側妾という設定。この側妾は源太郎(信綱)以下源七郎までの全五男を幸隆公との間に設ける。幸隆公の男児が全て妾腹という設定に 初めての僕は仰天した(笑)が 正妻を次々亡くした末 幸隆公はこの側妾を晴れて正妻に迎えるという仕組みである。

海野平に敗北し上州へ落ち延びた海野小次郎である処の幸隆公は 諸国見聞の旅に出る。小田原滞在中に武田晴信公から使者が遣わされることで 武田家仕官への途が拓かれる。遣いは今話題の(笑)山本勘助ではない。原隼人正昌胤である(勘助は 川中島第四次合戦にて啄木鳥戦法を献策するまで描かれず それが唯一の登場場面だった)。
逡巡の末に甲斐を訪れた幸隆公は 晴信公との運命的な出逢いを経て 仕官を決断する。その場で改名を促され「真田」の姓を選んだ幸隆公に 「弾正忠幸隆」の名を晴信公が与えるという形で 「真田幸隆」が誕生する。併せて 新たに六文銭を旗印に採用することを晴信公が赦し ここに幸隆公の 一族再興の御膳立てが全て整う——何やら歴史上にて成立背景の不鮮明な部分を 晴信公の威光の下 一纏めに片づけられた感がしないでもないが(笑) 眞田家にとってはかけがえのない “其の瞬間” である。

以降 信州先方衆としての幸隆公の勇躍が繰り広げられるのだが 全体に合戦色は淡い印象である。現代に幸隆公第一の功績として伝わる戸石城攻略も 極簡素な戦術で描かれるのみだ。
それよりは 一族再興をかけ 謀略尽くめの戦略を練り進める上で 如何に幸隆公が心を痛めたかが とりわけ実父や岳父との直接対決に及んだ 志賀城・岩櫃城の攻略戦を通して 丁寧に描写される;実父とは合戦中に一騎打ちとなり 幸隆公が勝利する。岳父とは状況の弾みからやむなく開戦し これも死に至らしめる。半ば不可抗力的な経緯と結末とが語られてあるものの 箕輪城攻略まで含めれば三度も(と言うのは 先代箕輪城城主:長野業正も公の岳父(!)という設定なのである)骨肉の戦いに身を投じざるを得なかったその姿は苦悩に満ちて 後の眞田本家・分家の葛藤をも想起させる。或いはこの “骨肉の闘争” は この物語第二・第三のテーマと言えるかも知れない。それが戦国の世に在って 眞田家に特有の悲劇な訳ではなかったとしても。
その底辺に 一族再興への情熱と執念 息子達の無事の成長と子孫繁栄を願う眼差し 晴信公への忠誠と不惜身命の心意気が 幸隆公の最も鮮明な人となりを為して隈無く沁み渡っている。

残念なのは 信綱・昌輝両公が ここでも 呆気なく長篠の銃弾に散って逝くだけ で在ること。赤い月の晩に産まれた難産の逆子として 或いは「異能・異才・当主の骨相」をもつ非凡の子として また若くして名家:武藤家を継ぎ晴信公旗本に出世した有能武将として 昌幸公に一種特別の光を当てながらも 「決して引けを取らない」「一人前の武将」と筆者が幾度も形容する処の両公は 幸隆公死没から殆ど一足飛びで長篠に赴き 銃弾の雨中へ我から突撃して 言葉も無く死んでしまう。惜しむ間もなく昌幸公の眞田家復帰である。これはなんとも無情であった。誰が書いてもこうなるのかと単純に落胆する一方 これが創作色の濃い作品であろうことを振り返れば 此の部分こそ力を入れて創作することは出来なかったのだろうか と訝しくも思う。架空の女色をチラつかせるより その分其方へ頁と精力とを注いで欲しかった。‘そのようなもの’ が無くとも 読者はしっかりついてくる のだから。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

謀将 直江兼続〈下〉 (徳間文庫)

著者 : 南原 幹雄

出版社:徳間書店

発売日:2006-02

評価 :

完了日 : 2007年01月06日

面白かった。上巻の倍も面白かった。一晩で読み切った。これほど差が出た理由は何だろう いよいよ兼続の野望が実現へ向けて動き出したからか それとも僕が自覚に反して好戦的なのか。
上巻を「北国の長い冬」とするなら この下巻は「待ちに待たれた春」から「一気に緑萌ゆる短き夏」である。米沢再開発と江戸への参勤とが淡々と繰り返される上巻の いつ明けるとも知れない景色の薄暗さは そのまま兼続の忍耐と雌伏に置き換えられる。耐え抜いて下巻を開いてみれば 何やらその長き冬を兼続と共有出来たような心地さえ生まれている。

創作小説なので どこまでを綴るべきか躊躇われる処である。いっそ全く語らないつもりで要所を掻い摘んでおくこととする。
この巻で 兼続の戦略は目覚ましい進展を見せる。関ヶ原合戦から既に十余年が経過し 周知の通りの “言いがかり作戦” を濫発して 徳川家は豊臣家を葬るに至る。それ則ち 現世に於ける家康の使命尽きたことを示す。兼続は遂に待望の瞬間を迎えることとなる。
一方 漸く天下の悉くを掌握した徳川幕府と その圧力に憤懣募らせる朝廷との軋轢は かなり深刻且つ一触即発の様相を呈していた。それこそは兼続が狙いを定めた 彼の壮大なる戦略の核心である。辛抱強く丹念に打ち込まれた兼続の楔は確実に功を奏し とうとう朝廷は幕府討伐の密勅を北の伊達・佐竹・上杉の三家へ下す——。

歴史創作小説は一見「何でも出来る」ように想われて 実は唯一つ どうしても取り除けない弱味をもっていることに 今回改めて思いを致した。則ち 「歴史を変えることは出来ない」当然の理である。それまでの展開がどんなに魅力的且つ信憑性に富んでいても 徳川幕府は15代264年の永きに渡って続くのである。
同じ視点から 兼続の婿養子:本多安房守政重 旧姓:正木佐兵衛の 加賀前田家への働きかけが水泡に帰したままで終わることは 俄然面白味に加速を増したこの巻にて唯一惜しまれる点だが 彼にも資料は遺って在る様子なので 終盤 上杉家の為に充分働けなかったとしても致し方ない処である。歴史上の政重は隠居するまで加賀前田家の家老で在り続けたのであり 作品にて兼続が決起した当時の当主:利光(利常)は将軍:秀忠の婿であった。最後の最後 関白二条邸の前で行き会う兄:本多上野介正純を相手に 一世一代の大仕事をさせたい処ではあるが いずれにせよ倒幕軍を勝たせる訳にはゆかない:徳川幕府は15代264年の永きに渡って続くのであり その末に物語を読む我らの今日が在るのだから。

兼続が密勅を受けた倒幕軍として徳川家に決戦を挑む というのは 「歴史のIF」である。
ここでもし もう一つ「IF」が赦されるならば 我らが眞田左衛門佐信繁公を是非とも上杉軍に迎えたかった。なれど信繁公は 徳川幕府にも秀忠の首にも 何の興味も示さなかったかも知れない。たとえば兼続の乾坤一擲を九度山にて知って居ても やはり大坂城に入って一直線に突撃したかも知れない——唯 大御所の首一つを求めて。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

謀将 直江兼続〈上〉 (徳間文庫)

著者 : 南原 幹雄

出版社:徳間書店

発売日:2006-02

評価 :

完了日 : 2007年01月05日

伝記小説だと想って購入してみたら創作小説だった。出鼻を挫かれたけれど 取り敢えず読み進めることに。

作品は 関ヶ原合戦前夜 徳川家康率いる上杉討伐軍が 下野小山にて急遽西へ転進するところから始まる。必勝の策を秘めて待ち構えていた直江兼続は追撃を進言するも それまで一心同体とさえ思われた主君:景勝は この好機に限ってそれを退ける。曰く「わが軍法に、退却する敵をおそう作戦はない」——こうして兼続は 上杉家は 石田三成率いる西軍は 千載一遇の勝機を逃すことになる。
——つまり 此処にあの「直江状」は展開されない。西軍敗北の顛末も一々細々とは語られない。要するに (大坂城を除く)全てがほぼ徳川の下に帰したところから この物語は始まるのである。謂わば 日の本屈指の大大名:上杉家の執政という立場から 一転 米沢三十万石という一介の徳川家臣:上杉家の家老に零落した 兼続の後半生にのみスポットを当てる試みである。
兼続の前半生というのは 誰が描いても相応面白いものに仕上がるが 後半生については そのように単純には運ばないものだ。其処に敗北後の兼続の 人生に対する新たな意義が見出されてなくてはならない それが僕なりの定規である。幼少から創作モノよりは伝記モノに より興味をそそられる僕ではあるが そんな訳でこの作品にも少しの期待が湧いた。

『北の王国』(童門 冬二著)の兼続は 米沢の土に生きることを新たな生き甲斐とした。
この作品の兼続も 会津百二十万石からの大減封に遭うわけだから 勿論米沢の再開発には身を粉にして臨む。だが そんな兼続を真に支えるのは 土着への情熱ではない。機が熟したれば 徳川を相手に今度こそ天下を争おうという 乾坤一擲の野望である。
それは 既に老境に在る家康の死を前提とした戦略であった。米沢再開発と江戸幕府への服従に労苦を注ぎながら 兼続は少しずつ楔を打ち込んでゆく。三成の遺児:七法師の養育を引き受けたこと 家康参謀:本多正信の二男:正木佐兵衛を婿養子に迎えたこと は 兼続の野望に大きな収穫であった。
家康の死没を待って再興を計るという意味では 眞田昌幸公に似た状況だと想う。けれど昌幸公よりずっと現実的な乾坤一擲だ。零落したとは言え 上杉家は中央に参加することを赦されて在るのだし 婿養子縁組みを自ら望んだだけでなく上杉家臣としての人生をも選んだ佐兵衛には 兼続と共に徳川打倒を目指すような処があって たとえば 眞田信幸公の元に本多忠勝の息女にして家康の養女である小松殿が輿入れしたのとは 随分意味合いが違っている。第一 信幸公には徳川への翻意など微塵も無い。
なにか 兼続がチョット嫉ましくも映る(苦笑)が 「(眞田の為にも)頑張ってくれ」という想いが徐々に募ってくる。

さて そのように隅々まで貧窮してごった返す米沢と 肚の探り合いが続く江戸とを兼続が忙しく行き来する中 実弟である大国実頼が 混乱に乗じ兼続の執政に反旗を翻そうとして失敗に終わるところで 上巻は括られている。
この巻にて作品進行上のカギとなる人物が多く出揃う訳だが 中に 新発田重家の息女:お蓮を頭に兼続を「怨敵」としてつけ狙う郎党が在る。物語としては面白い設定だし 実際そのような輩も兼続には複数在ったかも知れぬ。が 上巻を終えた限りに於いては 彼らは蛇足のように映った。如何せん兼続自身の多忙が枚挙に暇の無いほどなので 脇役に割く筆も自ずと限られてくる。折角形づくられつつあった脇役達の像は 毎度完成することなく舞台から一旦引き上げてゆき 再び脚光を浴びる時には既に輪郭もボヤケてしまっている——そんな具合だ。三成の遺児:七法師に関してもほぼ同じ状態であるが こちらは「兼続の乾坤一擲」の際に旗印とも成ろう存在であるから 削るのならお蓮一党が適当かと思われた。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

真田幸隆 (学研M文庫)

著者 : 江宮 隆之

出版社:学習研究社

発売日:2006-09

評価 :

完了日 : 2006年12月27日

知る限り 世に2冊目の『真田幸隆』である。
僕にとっては今一つだった『直江兼続』と同じ文庫・同じ作者ということで 仕上がりに不安を感じながらの読み始めたのだが そちらと較べると格段の説得力でもって 資料も話題も少ない幸隆公を 堂々たる眞田家始祖に描き上げている。今作でも事前の調査をしっかりしたのだろうことは 序章から第一章に語られる真田家と幸隆公の出自についての長い行に窺える。この2章は殆どそれに費やされたと言ってよいほどの濃密さにて 少々過剰とも映るのだが とにかく諸説が共存する公のこと故 作者にとって 予め作品の立脚点を平らかにしておくが重要と惟われたのかも知れない。この辺りで既に 僕の内には「何やら(原作での不足を補う為に幸隆公を起用した)来年大河ドラマ『風林火山』の為の 地盤固めのような……」印象が湧いていた。出自語りの相手に 武田家との橋渡し役である山本勘介が据えられていることも その印象を後押しした。
ともかく。そうして語られる幸隆公は 真田頼昌を父に 海野棟綱の娘を母にもつ 海野源太左衛門幸綱として作品の前半を生きる。つまり 後に武田家への幸隆公の仕官を巡って対立し 公の手に掛かって暗殺されたとも言われる海野棟綱は ここでは公の父ではなく祖父である。そして公の妻は これにも諸説あるがここでは羽尾入道幸全の娘という説が採られており 嫡男:信綱は未だ幼い一人子である。海野棟綱には嫡男に幸義が在るが 幸義に長く男児が授からなかった為 又 公の父:頼昌も既に他界して居ることもあって いつからか幸隆公が 海野家嫡孫で在るかのように家中の期待を集めるようになっていた。その幸隆公と 棟綱・幸義父子を三本柱とする海野家は 信濃に在って好戦的な豪族達に領地を囲まれて居り 近隣の関東管領:上杉憲政を頼りに 今や武田信虎を筆頭とする連合軍を相手 存亡をかけた戦いを挑もうかという処である。

そのように 海野と真田の氏素性を明らかにすることで幕を開け 一族存亡をかけた決戦を序盤の山場に据えた作品は その後幸隆公が若き晴信率いる武田家へ仕官してからも 常に真田家の 幸隆公の戦いとして 知略を駆使した数々の攻防を語ってゆく。
仇敵への仕官に断固反対する祖父:棟綱を手下に命じて討たせ 漸く晴信に参じた公は 名を「真田幸隆」に 旗印を六文銭に改めて 信濃先方衆として縦横の活躍を見せる。一族滅亡の後 箕輪城主:長野業正の元に身を寄せ 働き盛りの身を持て余して居たことを想うと それは爆発的であり 何か九度山蟄居生活後に入った夏の大坂城にて 此を限りと獅子奮迅の突撃を見せて散った子孫 信繁公を彷彿とさせるものがある:眞田の血は 幸隆公の代 既に湧いて世に在ったという訳だ。
此の幸隆公の 旧領回復と一族再興への一途な情熱は 同時に若き甲斐の虎と 其れに賭けた己自身への情熱である。そんな幸隆公の姿は「寄らば大樹の下」とは無縁の処で 武田家に新参で在りながら潔く 実に頼もしい。

あくまでも “真田の戦い” として描くという一貫した姿勢は 幸隆公を “一武田家臣の” 真田幸隆ではなく  “真田家当主としての” 真田幸隆たらしめた。のみならず 作品自体をも武田家の威勢に預かる “家臣団としての眞田家物語” ではなく 名門で在りながら一度は滅亡に瀕した小豪族:海野家傍流眞田家が 如何に勇敢に其の名を回復し再起したかを語る 紛れもない “眞田モノ” に成り立たせている。鷲塚佐太夫(猿飛佐助の祖父と伝わる)・禰津潜竜斎・出浦盛清・横谷左近・唐沢玄蕃・霧隠鹿右衛門ら コアな真田ファンなら垂涎するような「忍び組」も早くから幸隆公に付き従うが 終始出過ぎず控えめな働きぶり(笑)で在ることも  “眞田モノ” にありがちな「=忍びモノ」というスタイル踏襲から作品を護っている。
ただ 背表紙のあらすじにある「息子たちに対する深い愛」というのは その「息子たち」自身未だ年若く 昌幸公がやっと甲府の躑躅ヶ崎館へ人質として迎えられ 信玄からその聡明さを見出され始める辺りで描写が停止し そのまま終章を迎える為 又 幸隆夫妻の間で子供達の成長が篤と語られるのでもないから ここは全編を通しての幸隆公の 「眞田一族に対する深い愛」と言う方が適切だろう。
更に「迷いなく手に掛け」た筈の身内:祖父棟綱についても 仇敵に与してまで旧領回復・一族再興したことに棟綱が不満で在ることを 今際の際に幸隆公は夢にみるのであり その点に関してのみは憂いをもった儘生涯を閉じる締め括りである。
信濃と武田家中に 随一の知謀を以て快進撃を続けた幸隆公。その生涯に一抹の翳りを投げ掛ける最期ではあるが この作品のように幸隆公を描き全編に挿入するならば 来春に迫った大河ドラマもなかなかの出来映えに成ると想った。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

全一冊 小説直江兼続―北の王国 (集英社文庫)

著者 : 童門 冬二

出版社:集英社

発売日:1999-08

評価 :

完了日 : 2006年12月25日

長文にて収まり切らず。興味のある方は下記へ。

http://sanada10uc.blog67.fc2.com/blog-entry-46.html


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

直江兼続 (学研M文庫)

著者 : 江宮 隆之

出版社:学習研究社

発売日:2004-11-10

評価 :

完了日 : 2006年12月23日

「大義の人」というと僕に先ず浮かぶのは上杉謙信公だが 直江山城守兼続 そしてその主君・上杉景勝公も 其の血筋を受け継ぐ者というイメージが強い。家督だけでなく「大義の精神」をも継承するという意味で 景勝公は正に “名実共の” 後継者だったろう その景勝公と水魚の交わりで在ったというのだから 兼続も又「大義の人」だったろう と。
兼続を題材とした作品は多い。僕が採った内 唯一謙信公存命の頃からの彼を描いた本作を 僕の最初の兼続に選んでみた。

此処では 景勝公が上杉景虎との後継者争いに勝利する 所謂 “御館の乱” は「不義の戦い」であり それを先導 或いは扇動し勝利に導いた張本人こそは直江兼続である という解釈が披露される。
尤も そう解釈するのは何もこの作品ばかりでなく 現代の考証の多くが先ず立場を同じくする処であるらしいことを 何作かの兼続モノを読み継ぐうち僕は知った。そしてそれは ではそもそも不義に始まった景勝公の時代を それを執政として支える兼続の中枢を どのように料理して結末までもってゆくのか どのように兼続自身へ納得させるのか という 僕の兼続モノを読む上での第一の興味/姿勢を 新たに生むこととなった。

その点で この作品は辛くも「☆3つ」だ。兼続は “御館の乱” を人生最初にして最後の不義としながらも 大坂の陣後に至ってまで尚 その罪深さと それでも「毘:義」の旗の下に戦い続けてきた自己矛盾とに呵まれて居る。この作品で大坂夏の陣は終章である。終章も終わり間近に至って 兼続の理性は 「義」のみに囚われて居ては大志を遂げること叶わない「人間のあるべき姿」 即ち 不条理こそは人間の実像であることを 家康の友:本多正信の言葉から悟るのであり 一方情念は 自分限りで名門:直江家を断絶させることで 現世への一生の不義を精算する決意で在る。
これが 元々それほど厚くはない作品の 終盤に近づくにつれ弱くなる筆圧にて綴られるのだから 何か大急ぎで「臭い物に蓋」したような印象である。説得力に欠ける結末であり 故に より心を注いで綴られたように映る前半部分:景勝時代の草創期に関しても 同時に色褪せてしまった。

もう一点:
現代に伝わる定説を 作者なりによく検討した上で綴られた作品であることは理解出来る。そして 定説に対し筆者がどのような立脚点に在るかを 一挙に表明する作品でもある:謙信公に川中島(第四次)合戦での車懸かりの陣 その実体についてを後日談として解説させたり 兼続から質された真田昌幸公に「啄木鳥戦法などあり得ない」と断言させたり 信長の鉄砲三段撃ち その真偽を明かそうと兼続自身が坂戸城にて実施を試みたり……という手法である。
偏に好みの問題だが 僕にはしっくり来なかった。自ら採る解釈とほぼ一致するだけに 妙に読後の味わいを左右して止まない。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

藤堂高虎 秀吉と家康が惚れ込んだ男 (PHP文庫)

著者 : 羽生 道英

出版社:PHP研究所

発売日:2005-05-03

評価 :

完了日 : 2006年12月19日

「主家を転々と替える度に知行を増し……」というのは 高虎を紹介する殆どの行に見られる 謂わば決まり文句である。
確かにその通りだが 「主家を転々と」したのはあくまでも “結果” であって 必ずしも事前に目論まれていたことの “成果” ではない。最初に浅井長政の下を 仲間内で殺傷事件を起こしての出奔という形で辞したのは 或いは浅井家が織田信長の前に風前の灯火で在ることを見抜いたからこその “身から出た錆” だったかも知れないが その他は 主家の取り潰し(磯野員昌)や当主の死亡による交代(豊臣秀長→豊臣秀保) 主家の断絶(大和豊臣家)など 不可抗力的なケースも少なくない。それらをまで「転々と……」にカウントするのはアンフェアだろう。

この作品での高虎は 惚れ込んだ主には 寧ろとことん献身的で在る。最初に高虎が「一生の主」と見込んだ羽柴秀長は 折に触れ高虎を直臣に迎えたがる兄:秀吉の申し出を悉く断るのだが 応えて高虎自身も全く靡く風が無い。もしも高虎が只の計算高い知行取りで在ったならば 秀吉の誘いは “渡りに船” だったろうし 相手は天下人 鞍替えは難なく運んだことだろう。だが高虎は 秀長が死去するまでその傍に在った。秀長の死後 家督が猶子:秀保に譲られてからも その秀保が17歳で早世するまで 後見を務めて大和豊臣家に仕えて居る。
作品の副題には「秀吉と家康が惚れ込んだ——」とあるが そんな訳で高虎が秀吉の直臣で在った期間は極短い。又惚れ込んだのは専ら秀吉の側で 高虎の眼差しは秀長の死後 既に家康の方へ向かいつつあった観がある。生前の秀長は 秀吉との橋渡し役として 秀吉とは別の・秀吉には無い人脈を保持して居り 家康とも昵懇だったと聞くから 或いは当然の成り行きかも知れないが この辺りに高虎の 天下と人の将来を見通す天分のようなものを感じることが出来る。秀吉の死後 高虎は一直線に家康へ傾倒してゆく。
高虎を著す作品故 天下を左右したあらゆる事件の功労者として彼が取り立てられるのはこの筋の常道であるにせよ 関ヶ原合戦での西軍豊臣恩顧諸氏に対する内応工作大成功の話や 方広寺鍾銘事件も実は高虎の入れ知恵によるものだったと聞かされると 豊臣滅亡劇第一の立役者は高虎のように映る。のみならず 否 寧ろ徳川幕府成立後こそが高虎の真骨頂発揮の舞台であり 幕府安泰の為 徳川三代に渡って其の手腕を惜しみなく振るう姿を想うと 個人としての彼を贔屓としながらも眞田を主家と仰ぐ身としては 心境複雑なるもの大である(苦笑)。
さておき。
大御所:家康については自ら望んで不勉強の極み(笑)故 何故家康が譜代家臣を差し置くような第一の信頼を 新参外様の高虎へ寄せるまでに至ったか 僕には今一つ知れないのだが 以降 家康と高虎は 合わせ鏡のような骨太の主従関係を築き上げることになる。家康の天下統一と幕藩体制安定維持との為に 高虎の後半生は粉骨砕身されたと言って良いだろう;
関ヶ原合戦後 豊臣恩顧大名の監視役として伊予に封じられるが 内意を受けての公儀普請で各地へ赴任する以外は 殆ど常に家康の隠居所や江戸藩邸に詰めて過ごし 本拠地に休む間も無いほどである。(このエピソードは 一寸イヤらしくて好きぢゃないのだが)死に臨んだ家康から 宗派の違いからあの世では別れ別れだろうと言われると それまで信仰してきた日蓮宗から家康の宗派:天台宗に その場で改宗してしまう。死んでも家康に仕える志は又 上野東照宮近くに菩提寺:寒松院をも建てさせた——この人の 一体どこが「薄情者」なのか 寧ろ定説となっている高虎像の方が怪しまれるという処である。

「主家を転々とした」のは 高虎が天分を発揮する為の 脱皮のような 成長する上で欠かせない過程であり その過程を貫いて実行させたのは 人には “適材適所” というものがあることを識り 且つそれを蔑ろにしなかった 或いは諦めなかった 高虎の剛直な資質なのだろうと 僕は惟う。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

藤堂高虎 (学研M文庫)

著者 : 高野 澄

出版社:学習研究社

発売日:2002-03

評価 :

完了日 : 2006年07月18日

非常に読み進め易い作風でありながら 味わいというものが感じられない一冊だった。このカンジ 何かに似てるな……と想って 浮かんだのは「年表」である。只淡々と高虎の足跡を記述しているのであり 後年に至るにつれ詳細になるように感じられるのも つまり時代が下って良質な資料が多く現存するからだろうか などと要らぬ想像をしてしまった。
主君を転々と替えた世渡り上手として描くのでも 数々の合戦にて先鋒を務め上げた武人として描くのでも そうした経歴から常人には無い労苦と危機管理とに迫られる人間として描くのでもなく 只々彼の概略を列挙したという印象が否めない。そうした中で 唯一高虎が入れ込んだ対象として「理想の城:長浜城」が在り 「伝統石工集団:穴太衆」が在り それは彼が出世を重ねる毎に受ける城普請の行と共に幾度も繰り返されるから 或いは「築城家:藤堂高虎」の物語と言えるかも知れない。だが 特に穴太衆に寄せる信頼と情熱の剰りに大きな様子は この淡々とした概略記の中では逆に異質な存在である。高虎のみならず折角の筆者の熱意も巧く活かせず終いで 惜しい仕上がりだった。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 12

風林火山 (新潮文庫)

著者 : 井上 靖

出版社:新潮社

発売日:2005-11-16

評価 :

完了日 : 2006年07月12日

様々な あちこちで触れた諸々から成る僕の山本勘助像は 「古今の兵法に通じ 城の縄張りを得意として居たにも関わらず 醜悪な容姿の為に何処でも冷遇され続ける。その不遇な時代に日本各地を放浪した経験から 武芸百般のみならず天文地理にも明るい。武田信玄に見出され軍師として仕えるようになってから いよいよその本領は発揮されることとなった。川中島第四次合戦での『啄木鳥戦法』は 勘助の発案によるものとされる」というところ。

だがここでの勘助は 郷里の三河と 召し抱えられていた今川領の駿河以外 他国へは一切出たことがない。剣を習ったこともなければ人を斬ったこともない。けれども 読書から学んだ各地の風土地理を余さず記憶して居たし 行き会う旅人から方々の情報を聞き出すことは欠かさなかった。それらを総合して観れば 訪れたことのない土地の有様まで 絵に描くように正確に想い浮かべることが出来るのだ。剣術にしても 勘助が一度相手を斬る覚悟で臨んだならば 不思議とアッサリ一太刀で片は付いた。同じ要領で 信玄の胸の内も手に取るように理解出来る。だから常に内心にて先回りをし 信玄が発言し易いような間の手を入れるのだが 周囲の人間も又恐らく信玄自身も その配慮には気づいていない。

——かような “神憑り的” 人物に設定する必要が 一体何処にあるのだろうか。其れは何か勘助という存在をファンタジー化(容姿を想えば「妖怪化」でも佳い)するだけで かえって主人公を読者から遠ざけてしまわないだろうか。僕にとっては 自らの五感と五体とで学んだ数々によって支えられる勘助の方が ずっと肉厚だし骨太である。
又 そんな仕様なのでこの作品での御屋形様は悉く線が細い。何やら勘助の助言なり太鼓判なりが無ければ 陣ぶれも為せぬほどで在る。勿論 総大将が軍師を重用し その意見に細心で臨むのは当然だろう。が 決断は 純粋に御屋形様自らのもの でなくてはならぬ。御屋形様から始まり 御屋形様に決されて終うものでなくてはならぬ。この辺り 僕の陳腐な理想のみで仕上げた感情論で恥ずかしいが 兎に角 特に「甲斐の虎」と謳われる御屋形様には そのように自発的で強く在ってもらわねばならんのだ(笑)。
更には あの高坂弾正が「頗る風采の上がらぬ武人」と形容されているのには 驚き以上に何か新鮮ささえ感ずる(再笑)。無口で只黙々と任務遂行してみせる高坂弾正に 御屋形様は「八分の信頼と二分の軽蔑」を抱いて居ると云い だが奇怪な容姿から人々に嫌われ続けた勘助は そんな彼に寧ろ心安い思いで居る:同胞相哀れむ という訳だ。

という具合に 独特の人物観満載な作品である。
物語の舞台は 信玄の諏訪攻めの辺りから川中島第四次合戦までに据えられてあるが  “合戦モノ” では決してなく 軸となるのはやはり勘助と信玄/由布姫の人間関係である。
そもそも 「四郎勝頼擁立の為に一肌脱ぐ勘助」というのが「独特の人物観」を象徴しているが これの発端である「勘助の由布姫への思慕」というのは いつぞやの正月番組に描かれたほどには恋慕恋慕していない。前述通り 人に嫌われ続け 自らも又人を好いたことのなかった勘助が 素直に好感を抱いた初めての人間が信玄であり由布姫であり 彼らへの忠義を尽くす為 即ち 偏に武田家繁栄の為に 武田・諏訪両家の血を継ぐ四郎勝頼の成長を 時に陽となり時に影となって助けてゆくかたちである。その姿は極自然だ。

であるにしても 僕にとっては中途半端な勘助であり御屋形様であり武田家だった。タイトルに『風林火山』を掲げた割には 描かれる勘助の人生に壮大さを読み取ることが出来ない:「名前負け」の感が否めない。他家の主従に材を求めた作品ではそれほど気にならないことながら 僕にとって “武田モノ” というのは 単に主人公と御屋形様との絆を強調されるだけでは駄目なようだ。 主力家臣団に満遍なく筆を振るうのでなければ 全く片手落ちである。武田家内にも大小の紛争は常にあったに違いないと想いつつも  “武田家=団結の軍団” なイメージはいつまでも崩れない(苦笑)。

余談ながら 原作を読んでみると あの正月番組の台詞回しは此に概ね忠実だったことが知れる。が しかし あのようなラストシーンは原作に一切無い(剰りに滑稽でいつまでも印象が薄れない為 原作弁護も兼ねて一筆しておく)。
又 2007年度大河ドラマでは大役を担う様子だが 作中に「眞田」の文字は 三箇所に幸隆公の名が挙がるのみである。物語進行には一切貢献していない。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

黒田如水 (小学館文庫―時代・歴史傑作シリーズ)

著者 : 童門 冬二

出版社:小学館

発売日:1998-12

評価 :

完了日 : 2006年05月28日

僕は元々 黒田官兵衛孝高については詳しくない。増して隠居後の如水となると 号の名くらいは知っていても そもそも一体どうして急に隠居を決め込んだのかについてさえ 何の知識ももたずに過ごしてきた。あんなに明晰な頭脳をもった人が まだ充分働けそうなのに……と その「明晰な頭脳」こそが彼の宿痾だったことを知ったのは 竹中半兵衛を学ぶようになってからである。この物語は僕が初めて特に触れる官兵衛であり 題名通り隠居後の姿を描いたものだから その現役時代については未だ疎いということになる。
物語は 新本拠地となった筑前(福岡県)福崎の地名を 一族の故地:備前(岡山県)福岡の再興をかけて「福岡」に改めたい如水と それに伴い博多の地名までもが失われるのを嫌う博多商人:島井宗室との対立で幕を開ける。細々と詳細が語られる訳ではないが この豪毅な商人気質と 処世から離れること叶わない武士の鋭い眼光とは 時に反撥し時に共鳴し合いながら 作品の根底に終章まで横たわって存在する。一風変わったメインテーマではあるが 僕は素直に如水の足跡として読み進めた。
処世術で言うなら きっと細川藤孝(幽斎)や藤堂高虎の方が巧みだっただろう。勿論いつの時代でも世渡り上手な人というのは 半ばやっかみを含んだ冷たい視線を世間から浴びるものだけれど 如水の場合は常に自ら蒔いた種で窮地に追い込まれて居たように映る。だが 同時に彼は打たれ強い。現役時代の一年近い獄中体験は 彼の身から健康を奪った代わり 魂には強靱な生命力を授けたに違いない。そこから生まれる不屈の精神 それが無かったら たとえ有り余る知謀があっても生きて活かすことは出来ない。官兵衛を真に支えてきたのは この不屈の精神だったように想う。
隠居後の官兵衛 すなわち如水の最大の山場は やはり関ヶ原合戦の混乱に乗じて目論んだ九州征服にあるかと思う。不屈の精神が見せた乾坤一擲である。中央で悶着している間に 東軍として九州の西軍勢力を成敗し 勢いを駆って中国地方に上陸 毛利領を平らげ 天下人への餞としようというのだから 殆ど “空き巣狙い” だ。何しろ加藤清正の勢力以外 九州は悉く西軍に与して主力不在なのである。更には「天下人への餞」などと言うのは建前で 如水の本心は西軍勝利を願っている。西軍が勝てば 大将の石田三成に合戦後の各家を統べる力量は無い。その時こそ 己が天下を目指すのだ と。
が 残すは島津家の薩摩のみとなったところで 呆気なく関ヶ原合戦は終わってしまう。二度とは巡らぬだろう如水最大の好機も そして野望も共に潰える。たったの一日で天下分目の大決戦が東軍勝利で終わったことに落胆したのは 我らが上田城の眞田昌幸公だけではなかった訳である。冒頭にて如水と激論を交わした博多商人:宗室も 戦乱の波の内に気骨と気概とを失い やがて逝く。
だが 総てを悟った如水は寧ろ爽やかで在る。宗室とその精神の死によって勝負がつかず終いとなっていた地名についても 福崎は福岡に・博多は博多のまま という謂わば妥協案が採られる。如水にしてみれば 相手(に気概)無くしては勝負も何もあったものではないという処だが 僕の眼には漸く宿痾を克服したかのように潔かった。そんな僕の眼差しを支持するかのように 如水辞世の句が作品の幕を引く:
「おもいおく 言の葉なくてついに行く 道はまよわじ なるにまかせて」
——大往生だと想う。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

竹中半兵衛―秀吉を天下人にした軍師 (PHP文庫)

著者 : 八尋 舜右

出版社:PHP研究所

発売日:1996-04

評価 :

完了日 : 2006年05月27日

さほどの厚さではないのに 進めるのには存外時間を要した。
理由の第一は 半兵衛の内向性の強さ そこから生ずる内省が 死の間際まで執拗に繰り返される処にある。大軍師たる者 無論己を律することには他者に対するより厳しいに違いない そして筆者は そんな半兵衛の孤高というものを著したかったのかも知れなくても 剰りに幾度も目に見えるかたちで綴られるが為 僕にはかえって 優柔不断な・線の細い・似非完璧主義者のような——まるで自身のような——半兵衛重治像しか結ばれなかった。安寧なる天下を志して居る筈だのに 実の処は 暴虐を極めたとも映る信長の天下布武を 其れを未だ畏れることしか知らぬ秀吉を 助けて己もまた暴虐を尽くしただけである。「わが一身の非力 わが生の矛盾」——半兵衛はこの自己反駁に呵まれ続けて逝く。作中引用された 死を前に宛てたとされる前野将右衛門への書状に見られる「一人雲にのって遊ぶような気分」の行とは裏腹に まるで失意の内に逝ったような印象を受ける。
第二は 比叡山焼討ちの辺りから 半兵衛が信長への対抗心をハッキリ自覚し 且つそれを実施に移して居る点にある(以前記したように 僕は二人へ「ぬるい関係」を求めて居る(笑))。増してや信長でなく秀吉に天下を取らせるべく目論むようであれば それは半兵衛讃歌の主題である「無私無欲」どころではない。家中の誰より密かに想いもよらぬ大望を温めて居るのであり 「無私無欲」というのは特大の隠れ蓑である。そう書いてみれば これはこれで半兵衛らしい謀り事ではある。現代に於いて比叡山焼討ちに際し最も強固に反対を唱えた者として挙げられる明智光秀でさえ 未だその叛意を明確に自覚するには至ってなかったのではないか。
「あとがき」の中で 半兵衛への思慕並ならぬことを筆者は明かしている。そうした熟しきった個人の理想が このような半兵衛を産んだのかも知れない。日頃 何を考えて居るのか肚の内の全く知れない人物として語られることの多い半兵衛は この作品に於いては読者の前へ胸の内を吐露して憚らない。そういう意味では異色であり 人間味を備えた半兵衛である。型で押したような像にそろそろ飽きた向きには佳いかも知れない。
又 これまで採ったうちではどれより前野将右衛門について詳しく触れられてある。その人物像の純朴で温かなことが 半兵衛と共に反駁する僕の途上に唯一の慰めだった。軍師という立場に張り詰める半兵衛が 好意を寄せるのも道理と想われた。表情豊かに描かれた「前将」は 物語の幕引く役をさえ担っている。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

竹中半兵衛と黒田官兵衛―秀吉に天下を取らせた二人の軍師 (PHP文庫)

著者 : 嶋津 義忠

出版社:PHP研究所

発売日:2006-02

評価 :

完了日 : 2006年05月24日

所謂「二兵衛」を描いた物語。半兵衛の稲葉山城乗っ取りから始まって 官兵衛の死で括られている。二兵衛は二章目から直に交誼を通じているが 物語の前半を半兵衛 後半を官兵衛が担うかたちである。
全体に「大雑把な伝記物」という印象が残らないでもない。合戦や調略戦に詳しい訳でも 主:秀吉との一筋縄ではゆかない関係に重点を置くのでもない。その一方で 他の二兵衛モノにては採り上げられていないエピソードが多く収められてあるから 特定の細部に頁を費やす分 全体としては「端折った」ように映るのかも知れない。

要するに 筆者が書き留めておきたかったのは 二兵衛それぞれの “人となり” なのだろうと想われる。
読み進める僕にとっては  “官兵衛の半兵衛への思い” が この作品の最も太い柱であった。半兵衛の方は相変わらず飄々と在るが 官兵衛の彼を慕う気持ちは微笑ましい限りである。訓えを請うというよりは兄の前の弟の如く もっと純粋で素直な眼差しで居る。もしも半兵衛が永く在ったなら 半兵衛が言う処の 官兵衛の「危うさ」は 半兵衛の示唆を受けた官兵衛自身によって巧く隠され 後の失敗も未然に防がれたかも知れない。秀吉の疑心暗鬼は それでも止まなかっただろうけれど……。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

軍師竹中半兵衛 (角川文庫)

著者 : 笹沢 左保

出版社:角川書店

発売日:1988-09

評価 :

完了日 : 2006年05月21日

僕が採った中では最も長編なる重治像。著者名に惑わされてか 文芸色も最も色濃く映った。本文より先に一読した解説に「半兵衛のお市への想い」について触れられてあった為 「ここまでもが『お市さま……』か」と面白くない気分に先ず駆られたのだが 繙けばそれは 永遠の理想像として互いの心を暖め眼に見えないかたちで支え続ける類の「想い」であって 存在により作品のメインテーマが逸れることは一度も無かった。
作中では 羽柴秀吉と蜂須賀正勝の手柄として伝わることの多い墨俣築城の成功や 織田信長の考案とされている長篠合戦での鉄砲三段攻撃まで 実は半兵衛が発案に因るものとされるなど 大軍師殿を持ち上げること限りない。一方で 当初「師」と仰いで半兵衛を迎えた秀吉の 己が功名と共に高じてゆく人間不信の様も その矛先となった半兵衛の心情を軸として丁寧に描かれている。
読み進めるうちに 果たして秀吉というのは  “人たらし” に於いては天下一品 誰をも魅了せずにおかない不思議な芸当を身につけて居たが  さて “人遣い” となると 巧妙だったとは一概に言えないな……と感じる。いつだったか僕は 「(人材を)遣うのは君主であって家臣ではない」と記したことがあるが それも軽率な物言いだったように思われる。秀吉—半兵衛—官兵衛を観る限りは 巧く遣って居た 或いは巧く立ち回って居たのは どうやら軍師陣のように映るのだ。
戦国史に興味を抱き始めた頃 「豊臣秀吉」は寧ろ好きな大名だったが 半兵衛(と官兵衛)を追ううちに その像が徐々に別の輪郭為すのを感じて居る。

余談になるが 半兵衛唯一の側近として登場した「赤丸」という男の一粒種が 他家へ養子に出た末 「剣豪:伊藤一刀斎」へと長じた という大胆な設定には意表を衝かれた。「まさか!」と 早速NETに当たってみたが 彼の剣豪にそのような資料は見出せない。『木枯らし紋次郎』シリーズを著した筆者ならではの発想という処か。もしも実話だったのなら 養子斡旋元が半兵衛だっただけにとても興味深いのだが この話はそれきりで終わっている。単なる挿話として挟むには何やら手が込んでいるから 当初はもっと踏み込むつもりが端折られたのか それともこれを下敷きにまた別の物語が存在するのか——。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

竹中半兵衛 (学研M文庫)

著者 : 高橋 和島

出版社:学習研究社

発売日:2005-07

評価 :

完了日 : 2006年05月20日

僕の初めて触れる “半兵衛重治モノ” 故 比較も批評ももたずに読み進めた。
後日振り返ってみると この本が最も戦の攻防——と言うより 半兵衛重治の小細工——について 詳しく巧みな表現を用いている。史実に忠実か否かを知る由は僕には無いが 殊に稲葉山城乗っ取りの行は これならば城方の眼を美事に欺くことが叶っただろうと想わせるものがあった。
寄人となった後の信長とのやりとりにも 小気味良い “減らず口ぶり” が理路整然と発揮されている。後々ハッキリしてきたのだが 半兵衛重治モノを読む時 「信長との関係がどのように解釈されているか」というのが 僕にとっては結構重要なようだ。その点でこの作品は 極理想に近い:互いに決して心を許しては居ないが 互いの在りようを痛快には思って居る。世に安寧をもたらす為の手段は全く違うが 目指す処は同じであり 互いは各々の立場に応じた働きを成すことに専心して居て 相手の領分を侵すことを望んでは居ない——ぬるい かな(笑)。
僕の所有する内では この一冊のみが半兵衛重治の死因を胃に求めており 又 女性との関わりが最も多いのもこの作品であることから コンパクトに纏まりつつも強く印象に残ることとなった。


この感想へのコメント


みんなの感想を読む
 1

武田信玄 火の巻 (文春文庫)

著者 : 新田 次郎

出版社:文藝春秋

発売日:2005-05

評価 :

完了日 : 2004年07月02日

最終巻「山の巻」は その徳川家との “三方が原の戦い” がメインである。こうして振り返ると 家康の御首(みしるし)は我が御味方によって頻繁に危うい。なのに取れなかった なのに徳川が天下を取ったのは やはり家康が並々ならぬ怪傑だったからだろう。空恐ろしいほど強運だったようにも映る。これを “武運” と称ぶなら その神は “軍神:謙信” よりも家康と親しかった。
信玄公が病苦に侵されていても 三方が原は武田の大勝に終わった。この一戦を “上洛の途上” に据えるか “織田信長への牽制” と捉えるか 研究家の意見は分かれるらしい。著者は前者を想定している。読み物としても そのまま尾張を駈け抜け或いは海を渡り 一息に京へ上るつもりだったとする方が 信玄公の気迫と執念とを語って味がある。徳川を揺るがすことで 天下布武を押し進める信長の背後を脅かし 足止めさせるのが目的だった・第一 大軍を率いての道程から言って食料等の確保は困難だったに違いなく  “一気上洛” には無理がある というのは如何にも現実的で説得力があり 実につまらない(笑)。
無論著者は入念な調査の末にそのような設定を採っている。 “調査の末” でありながら 信玄公の最期を「眼を見開いたまま死んでいた」と記した筆は浪漫に溢れている。既に何ものをも映し得なくなった信玄公の両眼が それでも尚凝視していた其れ──京に翻る武田の旗──は 何より読む者の眼に鮮烈である。

個人的に愉しかったのは この巻での眞田昌幸公の頭脳が頗る怜悧だったことだ。我が幸隆公はその三男:昌幸公に言わせると 中風気味で上田に逼塞したきり「相変わらず」に 前線には一寸も登場しない。が 信玄公の奥近習使番である昌幸公の 合戦に際して献策したり 信長の侵略に焼かれる叡山から要人を脱出させたり 伊勢一帯の水軍衆や一向宗徒を味方に付ける為奔走したり……という目覚ましい活躍ぶりは 幸隆公の不在を補って余りある。それもその筈 この後5年と経たないうちに 彼は父の死去と主家滅亡に遭うのであり それによって眞田家当主という大任を背負って立つことになるのである。一朝一夕であの「表裏比興の者」が仕上がる筈はない。その若かりし姿は 片鱗を垣間見せると言うよりは 寧ろ既に成熟し切って畏れ多い。此に「眞田幸村の父」などという形容を付けない著者の姿勢と相俟って 眞田贔屓の眼には実に痛快な一巻だった。


この感想へのコメント

<前のページ 1  2  次のページ>

Copyright c 2006 WEB本の雑誌 All rights reserved.