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フィリップ・まろさんの読書ノート

介護のアサッテ。
グループホーム(認知症対応型共同生活介護)の職員の僕。毎日が驚きと責任と感動の繰り返し。翻って自宅では大正14年生まれの実母の介護。
世間では介護の果ての不幸な出来事が報道されることしばしば。僕自身、母親に手を出してしまうことがある。しかし危いところでいつも心のブレーキが制動を効かせる。
実際に自分の家族がそうなったときのことって、若い世代では想像も出来ないだろう。でも、必ずそのときが来る。
僕の選んだ本や、僕の失敗談を是非とも参考にして欲しい。
介護とは僕にとって『戦争と平和』である。
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 1

心ふれあう「傾聴」のすすめ―高齢社会でのコミュニケーション・スキル

著者 : 長田 久雄

出版社:河出書房新社

発売日:2008-05

評価 :

完了日 : 2008年08月27日

いい本に巡り会えた。

副題に「高齢社会でのコミュニケーション・スキル」とある。
高齢者との意思の疎通を図る技術の書、とのふれこみではあるが、いやいや、どうしてどうして。
現代人に欠けたコミュニケーション能力アップのための1冊、と大きく出ても何ら遜色の無い立派な書物です。

高齢者や認知症者の介護についての本を結構読んできましたが、ここでまた新しい言葉と出会いました。

「ラポール」

信頼感があって、心が通い合った状態、ということらしい。

このラポールの状態を得る第一歩が「傾聴」。
耳を傾けて、話し手の言葉を聴く、ということです。

やがて「傾聴は」、「受容」へと進化し、さらに「共感」へと進んでゆく。

「傾聴」→「受容」→「支持」→「共感」

ラポールな状態がこうして形成されてゆきます。

傾聴の意義とは、「聴くことで相手の心を癒し、孤独感や不安感を減らす、あるいは相手の隠れた思いや問題を聴くことで、求めている本当の支援ができることです。そして相手の気持ちが落ち着き、考えが整理されて自分で解決する意欲を引き出すところにも傾聴の意義があるのです」と説きます。

すごいじゃないですか。
相手のお話をじっくりと聴いてあげることで、こんなにもすばらしい成果が得られるなんて。
要するに人間には、他の誰かを癒して上げられる能力がもともと備わっていると言うことです。

くれぐれも言って置きますが、下手なアドバイスは禁物ですぞ。ひたすら聴いてあげること。聴いて、受け入れて、支持して、共感すること。これに尽きます。

おしゃべりが好きな僕も、これからは人の話を聴く耳を持ちたいと思いました。

本当にいい本です。


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 1

介護職のための実践!パーソンセンタードケア―認知症ケアの参考書

著者 :

出版社:筒井書房

発売日:2007-08

評価 :

完了日 : 2008年08月27日

職場で1ユニット9人の認知症の老人の介護をし、自宅では認知症の母を在宅介護をしている僕ではあるが、そう易々と理解できたり、スペシャリストになれたりできないのが認知症者の介護の現実である。
常に勉強と観察を要する。たくさんの事例を見て、さまざまな先駆者の話を聞き、多くの本を読み、最新の情報を取り入れて、一人一人の認知症者のケアにフィードバックする。この繰り返しである。

表題の本は認知症ケアの参考書である。

施設の職員は入居者の安全を第一に考えるあまり、ともすれば身体拘束を余儀なくされてしまうことがある。しかし、現在の施設介護において、身体拘束は要介護者の尊厳の無視につながると考える。

認知症者の尊厳を保つこと。さらに、認知症者に主権を持っていただくことに重点を置く介護。

これがパーソンセンタードケアである。

かと言って、認知症者の中には自己判断や自己表現ができない人もいる。
さて、そんな方々の要求に見合った介護をするにはどうすればよいか。
そのヒントがこの本には書かれている。

パーソンセンタードケア。
認知症者が中心にいる介護。

ともすれば時間中心であったり、介護者の都合であったりする介護を見直す。

自分が認知症となったとき、その介護で満足できるのか。
どうしてほしいのか。
それを考えながらあたる介護。
要介護者が求める質の高い介護を実現するために必要なこと。たゆまぬ想像、観察、洞察。
しかし緊張はいけない。
緊張感は必ず認知症者に悟られます。常に情報を収集しよう感覚を研ぎ澄ましながらも心に余裕を持つこと。言うは易く行うは難し、の見本のようなものです。

でもそれが要求されるのが介護者なのです。

介護者は常に自分の介護に疑問を持ちます。

「これでいいのだろうか…」

そんなとき、この本が一つのヒントを与えてくれると思います。


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 3

龍の棲む家

著者 : 玄侑 宗久

出版社:文藝春秋

発売日:2007-10

評価 :

完了日 : 2008年06月03日

特別に心をざわめかせる物語の展開がある作品ではない。しかし認知症で徘徊する高齢者の精神世界のありようをうまく表現した作品だったと思う。

10年前に亡くなった僕の父は徘徊老人だった。今また母親に徘徊が出始めている。
痴呆老人が徘徊するのにはいつもそれなりの理由が存在している。
ただその理由が現在形の出来事に由来することが極めて少ない。
随分と昔の、彼らが子供の頃の、或いは青年時代の、時には新婚当初の出来事に触発されて街を徘徊するようである。
彼らが今居る時制とシチュエーションが解からない僕らは対応に慌てふためいてしまう。
今、彼らが彼らの人生のどの時代を生きているかをすばやく見抜くことこそが、徘徊を切り上げて自宅に帰らせるヒントであろう。

父親が認知症になって徘徊をはじめたことをきっかけに、脚本家になる夢を捨てて実家に戻った幹夫。いつまで続くとも、どこまで続けるとも解からないままに介護生活を始める。
父親の徘徊の見守りを始めてほどなく、龍が淵公園のベンチで知り合った女性、佳代子。痴呆症の父親の対応が適切であるのも当然で、介護福祉士であった。幹夫は佳代子に教えられた対応法に従って、「何処へ行こうと、何を言われようと、とにかくさからわず、怒らせず、ひたすら寄り添う」姿勢を崩さない。
佳代子と知り合ったことで、初めての介護にもいくらかの自信めいたものが出てくる幹夫。「父に連れ添って共に徘徊するような気鬱な日々にあっては、今や佳代子だけが救い主のようだった」と感じる。
しかし、佳代子にはまた佳代子の拭いきれない過去があった。つきつめたところでは彼女は自信を失って「介護」から逃げていた。
認知症で徘徊をする父親を軸にして幹夫と佳代子の生活が一歩ずつ変容してゆく。

「父の行為や状態を、症状と見るかぎり幹夫にも活路は拓けない。症状ではなく、表現と見ることが大切なのだ」との一説は、至言だ。この言葉を売れない脚本家であった主人公の感想としている辺り、作者の腕を感じる。

「幹夫は父の中に龍が棲んでいるのだと思った。あらゆる天候を支配し、台風や竜巻や雷も自在に起こす龍…」
どの認知症者の中にもこの龍に変わる何者かが棲んでいるのかもしれない。その人のあらゆるものを支配して、問題行動をその表現として引き起こさせる何者か。僕の母親の中にも何者かが棲んでいる気配が漂ってくる。

玄侑宗久の小説を読むのは『中陰の花』と『アミターバ』に続いて、まだ3作目である。なんだかもっちゃりする文体の人だなあ、と思った。だが、今回の作品でうってかわって、好い表現をする小説家だなあ、と評価が大きく転じた。
好みの小説家を見出すのは読書家にとってとても嬉しいことである。


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 1

父・丹羽文雄 介護の日々

著者 : 本田 桂子

出版社:中央公論社

発売日:1997-06

評価 :

完了日 : 2008年05月28日

先日読んだ瀬戸内寂聴 著『老春も愉し』に紹介されていた。

10年前に発刊されている。当時、僕の目に届いていた本書であったが、郷土の誇る文士、丹羽文雄の老醜を見たくない、との思いが強かった。

それに僕自身、当時は認知症や老人の介護問題に関心があったわけではない。
いや、どちらかというと避けていた。
あの頃、実父の痴呆症(そう、当時は認知症をこう呼んでいた)の度合いがひどかった。しかし、それを万事一切妻に任せていた。違う。押し付けていた、と言った方が事実か。

父の状態から、丹羽文雄の身に起きていることの想像がたやすくできた。尊敬する文士が父と同じような醜態をさらしている。そんなことが書いてある本など読めるか、と思った。

10年の月日は僕の考え方を大いに変化させてくれた。今の僕にとってこの本が必読の書になっていた。避けて通る道は、選んで通るべき道になっていた。

本書の著者、丹羽文雄の令嬢、本田桂子の厳しい介護状況。ほぼ同時期に父母ともに認知症になっている。それが介護する者にとってどれほど大きな負担になるか。まだらボケの母親がアルツハイマーの父親を口汚く罵る。娘にとってこれは地獄絵図だ。本来、助け合い、支えあって過ごすべき夫婦の老後。それがこの有様では。つらくて介護者が泣いている間にも次の事件が引き起こされる。介護者には泣く時間さえも与えられないのか。それも血を分けた両親に追い込まれて。

財産管理の件で実の娘である著者が母親から訴えらるまでに至る。訴状が弁護士から届いた。夫とふたりして弁護士に会いに行って事情を説明して事なきを得たが、その思いたるや如何ほどであったろう。

母親がそうであれば父親は徘徊して居なくなる。
もはや事件が起きることのほうが通常であるかのような毎日。
母親を特別養護老人ホームに預けてからも、その夫、丹羽文雄が元気で居ることを伝えると「早く死んじゃえばいいのに」と言う。娘としては心がちぢに乱される一言だ。

それでも著者は決心する。自分が最後まで両親の介護に努めると。それも絶望をしないで明るく愉しく無理をしないで。

そう、このことが大事なのだと思う。
任せられるところは人に任せ、利用できる制度はめいっぱい利用し、無理をしない。
これが介護の妙諦であろう。

僕は母親の介護に行き詰った時、一度その場から退散することにしている。煮詰まった関係に出口はないから。へたをすると事件を起こしかねない。それが肉親の介護の恐ろしいところだ。

逃げりゃいい。
逃げて、気持ちを新たにする。そしてもう一度始めからコミュニケーションを取り直すのがいい。
話し合う努力を怠ると、関係は泥沼化する。


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1.ベアandリーチェ (2008/05/29)
丹羽文雄さんは高校の大先輩です。
学校の図書館に寄贈棚がありました。
いつだったか丹羽氏の病気の話を聞いてすごく驚いた覚えがあります。
2.フィリップ・まろ (2008/05/29)
ベアとリーチぇさん、四日市高校出身ですか。優秀ですね。丹羽文雄は故郷、四日市のことが大好きで「四日市へ帰りたい」と言い続けていたそうです。また、認知症になる前も、四日市からの来客には何を差し置いても面会したそうです。人柄の良さを語るエピソードです。
 

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 1

ここまでわかった認知症 (シリーズ認知症と向き合う 2)

著者 :

出版社:旬報社

発売日:2008-01

評価 :

完了日 : 2008年05月07日

この連休中は仕事に家事にとどっぷりと漬かっていた。施設での介護職。そして自宅では認知症の母親の在宅介護。つまり四六時中、僕は認知症の老人とともに、連休を過ごしていたわけである。
相当なる疲労とストレスが僕を襲った。連休中に夜勤が2度シフトされていたし。少し休憩を取ると目を開けているのがやっと。油断をするとすぐに両の瞼が閉じてしまう。自動車の運転が危険なので、ロッテBLACK BLACKガムを常時2つ3つ口に投げ込んでいた。実は今も1つ噛みながらのPC打ち込みである。

NHK福祉ネットワーク編の『シリーズ 認知症と向き合う』の第2巻である。
1巻と3巻についても僕の読書ノートに記してあるので興味のある方はそちらも御一読ください。

その1巻3巻はとても参考になったが、この第2巻、これは認知症を知る上では他にはない巻と成り得たと思う。
たまたま僕の母親が認知症で要介護度が上がった時期と、僕がこの本と出会った時期が重なったから余計にそう感じるのかもしれない。
が、この本にはそれだけではない、認知症と真剣に向き合う真摯な姿勢があり、介護漬けの僕の弱った心身にエネルギーを補給するような大切な何かがあった。そのエネルギーとなる何かを僕の手で伝えたい。自分の家族に或いは自分の周辺に認知症の人がいる方には是非ともご一読をお薦めしたい。

A4判120ページ程度の薄い本である。しかし、ここにどれほどたくさんの情報と慰謝が込められていることであろうか。
従来、この手の本は認知症の家族を持った人に向けたものがほとんどであった。
しかし、この本はそこに留まらず、認知症に罹患している本人にも語りかけている。そうした本作りの姿勢には大いに好感が持てた。

昨今の認知症者のケアにおいて、パーソン・センタード・ケアが注目されつつある。つまり認知症者に寄り添ったケアのあり方か。
この視点はここでも大きく取り上げられている。
そしてさらにこう導き出す。「認知症者が最も恐れているのは孤独と叱責である」と。裏を返せば「人はどんな境涯にあろうとも他者と交わっていたい。得意とする事についてはそのパフォーマンスを発揮し誉められたい」ということだろうか。要するに、人間的欲求において、若い健常者と何ら変わりが無い、ということだ。

認知症の人たちの本人会議の模様がリポートされている。軽度な認知症では、会議の席で一定の議題について話し合うことさえ可能なのである。

この会議における彼らのアピールを少し紹介しよう。

〈本人同士で話し合う場を作りたい〉
〈認知症であることをわかってください〉
〈わたしたちのこころを聴いてください〉
〈自分たちの意向を施策に反映してほしい〉
〈家族へ〉
〈仲間たちへ〉

閉じこもりがち、或いは閉じ込めがちの彼らからの包み隠さぬ訴えが初めて活字となって心に届いてくる。認知症の人々はそんなことを考えていたのか。

中でも〈家族へ〉のアピールに、僕は頭を棒で叩かれた思いがした。

「わたしたちなりに、家族を支えたいことをわかってほしい」
「家族に感謝していることを伝えたい」

毎日、職場で9人の認知症者の世話をし、自宅では認知症の母親をデイサービスと訪問介護の手を借りて在宅介護している僕。この本を読んで初めてみんなの考えていることを知った。なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

要は目線の問題である。
世話をしてあげている、と思っている側には思い浮かばなかった。
口先ばかりで「生活の質」を高めよう、「その人らしい生き方」のできる場を提供しよう、なんて言ってたってだめだ。

肝心なのは、寄り添い、目線を合わせることだ。
そして「あなたが必要なんです」と心から望むことだ。

あした、僕は、新しい気持ちでグループホームの9人と接してみようと思う。「いっしょにこのホームを作っていこうね」という気持ちで。

母親には・・・難しいが、少なくとも今日よりは優しく接してあげることを心がけようと思う。


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入院・介護SOS―不安解消119のツボ (今すぐ役立つ介護シリーズ (9))

著者 : おち とよこ

出版社:創元社

発売日:2008-03

評価 :

完了日 : 2008年04月24日

「SOS・1 親が急病、ケガをした」に始まり、「SOS・119 日頃から準備しておきたいこと」までの不安解消の119項目がほぼ1ページに一つまとめられている。

そして、こんな場合、何処に連絡をしたらいいか、が懇切丁寧に書かれいる。懇切丁寧、と言っても1ページ1SOSのペースですからね。
いや、だから返って辞書のように扱えば便利かもな。
いやいや、辞書じゃないなあ。
タウンページか。

言っとくけど、通して読んでみても面白いもんじゃないよ。それは力の限り保証します。

だいたい何かって言うと「地域包括支援センターに相談しましょう」で、〆られている。
老人問題のほとんどが地域包括支援センターで解決の手掛かりが得られる。わざわざ本にしなくてもペラ紙一枚で用が済むと思うのだけど。なんてのは「たなぞう」では言いっこなしだよね。

SOS・106番はわりと良い情報が載っている。
介護や医療費の捻出が難しい時、自宅を担保にして月々決まった額の融資を受け、死亡後に担保とした不動産で、借入金とその利息を一括返済する、という仕組み。「リバースモーゲージ」と言うらしい。これはいい制度だ。助けられる家庭が多いと思う。残念ながら我が家は既に抵当に入っているので、この恩恵に蒙ることは出来ないようだが。

読み本じゃなく、引き本だけど、1冊あると便利で安心かな。


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白愁のとき (新潮文庫)

著者 : 夏樹 静子

出版社:新潮社

発売日:2004-12

評価 :

完了日 : 2008年04月22日

図書館で借りてきた単行本の初版は平成4年10月の刊行。他にも角川文庫版が平成8年1月刊行。そして新潮文庫から平成16年に再度文庫化されている。
それだけ作品の質の高さを出版社が認めているということらしい。

若年性の認知症を取り上げた作品である。ただし、作品中では、まだ、「認知症」が「痴呆症」と表現されている。逆を言えば、それほど早くから著者は認知症に関心を示し、その当時の最新の学説や臨床例を研究した上で、問題作として発表したものだと言える。

しかし、どうも読んでいて納得のいかない箇所が多かった。
「痴呆の疑いが濃い」
と大学時代の友人である医師から告げられた50代そこそこの男性が、こんなに冷静にそれを受け入れられるだろうか。僕なら無様なほどにうろたえるだろうと思う。
僕は自分が主人公と同世代であることに意識が集中しすぎているのだろうか。
この主人公は自分に課せられたライフワークをほぼ思い通りに成し遂げてきた自信から、こうまでも冷静に事態を受け止められるのだろうか。
僕は半生を中途半端な生き方しかしてこなかったから、ここで若年性アルツハイマーを告知されては家族に申し訳が立たない、との恐怖感から、自分ならうろたえる、と言っているのだろうか。

この主人公と大学時代の友人である医師との会話の不自然さも読んでいてきつかった。友人とこんな他人行儀な会話はしないでしょう、普通。それとも僕の周りの友人は野蛮人が多いから、会話体に不自然さを感じるのかなあ。
小説の後半に出てくる郷里の友人たちとの会話もちょっと頷けなかった。同じ理由でね。

友人である医師の勤める病院で知り合った女性との間に男女関係が生まれるのも納得できなかった。

この文庫本の帯に「精神余命はあと一年です!」とある。本文に出てくる言葉である。
この言葉をキャッチ・コピーにするあたりは、出版社もあざといなあ、という気がする。

『精神余命』なんて言葉、僕は納得がいかない。
それじゃあ、何かい。認知症の人は、もはや精神が死んでいる、とでも言うのかい。

これほど納得のいかない小説を読んだのは何年ぶりのことか。
しかし、著者が早くから「痴呆症(認知症)」の問題を世に問いかけた姿勢に敬意を表して評価点を3点にした。


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13.KUMI (2008/05/09)
うわぁぁぁ~!まろさん、認知症予備軍だったのかぁ。
じゃあ、私もだな。(一緒、一緒♪)
いや、小さい人は見たことはないんですけど、どうやら何か特殊な能力がありそうです。

ヒソヒソ・・・
たなぞうで、お話してるとその方の御姿が見える様な気がするんです。声もわかる様な気がする。性格も。内緒だけどね
14.フィリップ・まろ (2008/05/16)
さらに深く認知症について学習したところ、軽度認知障害と年齢による物忘れ、性格的(おっちょこちょい)な物忘れ、との境目って解らんのです。KUMI殿の場合、瞭かに性格的な面が多いかと…。
うちの母親の場合、長谷川式簡易スケールという名の認知症テストでは軽度でした。母親のは難聴の障害が引き起こすストレスが大きな要因であるようです。

書き出すと、やめられない止まらない。かっぱえびせんの如きたなぞうです。

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地域で支える介護と医療 (シリーズ認知症と向き合う 3)

著者 :

出版社:旬報社

発売日:2008-02

評価 :

完了日 : 2008年04月21日

今日の僕は凹んでいる。
夜勤の巡回中の出来事。
入居者の男性老人に排便を認めた。
パジャマや防水シーツが汚れないように処理するのが鉄則だ。ましてや蒲団を汚すなんて介護職としてのプライドが許さない。何よりも余計な労力を費やし疲れるのは自分である。もちろん、人間が相手なので、どんなに慎重に取り掛かったって汚れる時は汚れる。
僕は防水シーツを汚したから凹んでいるのではない。

この老人の右臀部には爪で掻きに掻いたかさぶたができていた。
僕がオムツを開いたのをここぞとばかりに引っ掻き始めたのだ。かさぶたがこそげ落ち、少し出血をした。止血をして軟膏を塗った。次に僕はまだ掻こうとする老人の手を片手で防御しながら蒸しタオルで肛門を拭きオムツ交換に懸かった。
しかし、片手は所詮は片手。複雑な作業が瞬時に出来るわけが無い。
老人はいよいよ抵抗と反撃を繰り返す。「なんやおまえーっ」と僕に悪態をつく。そして、僕は、ついに「○○さん!あなたの為にしてやってんじゃないか!少しはこっちの身になってくれ!」と叫んでしまった。
あれほど、僕は、目標とする人物はマザー・テレサ、などと言って高邁な介護の精神を吹聴してきたのに。最悪の自己表現をしてしまった。
認知症の老人を相手に僕は威嚇行為を働いたのである。
疲れていた。追い込まれていた。などと言い逃れや自己弁護をする気は無い。
もしかすると、これは介護職者としての資質の問題かもしれない。
僕はこの仕事が好きで、やりがいを感じている。だがそれは自分勝手な夢想と思い込みなのかもしれない。心が大きく揺れる事件だった。

本書について話さなければ。
認知症のタイプが大きく3つに分かれる、というのは聞き初めであった。
①アルツハイマー病
②ピック病
③レビー小体病
アルツハイマー病は海馬及び脳の後方部が病変し、物忘れや時間・場所の認識ができなくなる。
ピック病は脳の前方部が病変。「わが道を行く」行動が目立つ。
レビー小体病は脳の後方部が病変して「幻視」がある。また転倒しやすくなる。

なるほど認知症の人たち(うちの母親もそうだ)に見られる特徴が上記の3つに集約されそうである。

本書にはこれらの症状が出た時の対応策が、ミニドラマ化されて解りやすく解説されている。

「パーソン・センタード・ケア」つまり要介護者を中心に据えた介護のあり方、要介護者との寄り添いの必要性が解かれている。当然と言えば当然の接し方であるが、これも古い本には見当たらない新しい介護の言葉である。

認知症の介護も日進月歩進化し続けている。10年前に書かれた本と比較すると、windows95とvistaほどの違いがある。
介護の世界も日々更新されている、と言っても過言ではない。新しい情報の共有化を進めて最新の介護に当たるべきである。

だが、しかし、要介護者が人間なら介護者も人間である。僕は介護者の精神的肉体的報酬的余裕が安全で快活な職業意識をもたらす、と考える。

どんなにそれらしいご託宣を述べようが、僕みたいな「ならず者」介護職者は淘汰されるべきなのかもしれない。


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3.りょうま (2008/04/21)
海外から(特に東南アジア)からの国費、私費の留学生と出会う機会があります。目の色を変えて勉強している彼らの姿と、同世代でゲームやバイクに夢中な日本の愚息世代。すでに、日本はかの国に追い越されている気がします。若い力の衰退だけでなく、福祉といった社会のシステムの立ち遅れを考えると、先行き非常に不安になります。
4.フィリップ・まろ (2008/04/22)
以前勤めていた会社は社員25名程度の中小企業でしたが、一度、中国人留学生を雇用したことがあります。大学院まで進んだ女子でした。日本語はとても堪能。しかも、これが男勝りの働き者。同世代の日本人の事務員が「わたし、こんなの持てなーい」なんて言ってる30キロある段ボール箱を肩に担いで営業車に積み込んでました。夏は下着が透けるくらい汗を流して。彼女と二人でISO14001の認証を取得しました。

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男性ヘルパーという仕事―高齢・在宅・介護を支える

著者 : 山口 道宏

出版社:現代書館

発売日:2006-03

評価 :

完了日 : 2008年04月10日

「50歳のオッサンに何が出来るの」
これが40日前に転職して、僕が介護職員としてグループホームの現場に立ったときの、同僚たち、つまり先輩女性職員たちの圧倒的多数意見であったらしい。

そうした事情も、ホームでの仕事も、何も知らない当初は相当厳しく当たられた。

しかし以前に勤めていた建築関係の営業の仕事では、ヤクザまがいの男たち(たびたび本物のヤクザもね)と渡り合っていたので、それに較べりゃましか、と1日1日を過ごしていた。

そのうちに、女性だけでは大変であった作業を僕が受け持ち、自分たちではできなかったことをサラリと僕がやっつけてしまう姿を見て、みんなの考え方が変わって来たようだった。
「この50歳のオッサン、頼りになる」
ということか。

業界全体を見渡しても圧倒的に女性ヘルパーが占める中、男性のヘルパーにその存在価値はあるのか。そのあたりから本書は書き込まれている。

Ⅰ部「ドキュメント 男性ヘルパーという仕事」では男性ヘルパーとして既に活躍している人々の日々の仕事ぶりが追跡調査されている。
僕も3ヶ月ほどであるが訪問介護の登録ヘルパーを経験しているので、紹介された彼らの奮闘振りが身近に感じられた。やはり初めの内は受け入れられにくいのだ。
だが、彼らはここで考える。
「じゃあ、どうすれば受け入れてもらえるのか」
そして自分の態度、言動、身なりを振り返る。時としてデリカシーと言う言葉は男性に味方する。自己を振り返った男性は工夫をする。

また仕事によっては男性でなくてはできないこともある。例えば、利用者がデイサービスに行く日の玄関先までの移動。2階に居室があった場合などは特に。エレベーターが付いているお宅などほぼ皆無である。となると人力で運ばなければならない。自ずと男性ヘルパーの仕事と言うことになる。

この章では特別養護老人ホームでの体験記も書かれている。排便がうまくいかず、ホールのあちこちに撒き散らかされた様子は何処のホームでも見られる風景だ。それからの対処が職員の力の見せどころか。

「サービスの質を高めましょう。でもヘルパーの賃金は抑えましょう、ではあまりに虫がよすぎる」との見解。まったく同感である。
しかしこの問題については、「介護士の処遇が良くないので何とか介護報酬を上げたい」と舛添厚労大臣が2008年4月4日付けの新聞で発表した。2009年度改定で報酬水準を引き上げられる見通しだ。自分も母親の介護に手を尽くした舛添大臣の腕の見せ所を信じて待とうと思う。

介護の方法を述べた部分で、ベテラン職員が「基本プラスその方その方の特徴で」と述べる。まさにその通りだと思う。個人個人の状態、要望、性格、嗜好に合わせるのがノーマライゼイションの基本である。

Ⅱ部の解説・資料編が読ませてくれる。
親の老後のめんどうを見るのは長男の嫁の務め。これが古き日本の正しい姿であった。確かにそれが嫁の美徳であった時代がこの国にはあった。
しかし現代の日本ではもはやこんな話が通じると思う方がおかしい。過去の神話にしかすぎない。しかし、それを信じ込んでいる家庭が未だに多く存在する。古びて腐りかけた道徳に縛られて身動きが取れなくなった家族。彼らを解放してやれるのが介護保険制度の役割であろう。

「同性介護」「異性介護」についても興味深いことが語られていた。医療上「同性診療」「異性診療」という言葉は過去に使われてはいないのだ。要するに医師には最初から権威が付き纏っており、先生が男性であろうと女性であろうと『先生』に違いが無いのである。患者は医者先生の性別に拘ることなく、診察を受け入れるのである。
残念ながら介護士はまだ、そうは社会において認識されてはいない。
このあたり、ジェンダーとか男女共同参画社会のあり方とリンクする問題がたくさん残っている。しかし成熟した社会をつくるためには避けては通れない問題である。

『男性ヘルパーという仕事』に端を発して、現代社会の抱え込んださまざまな問題がこの本には書いてあった。
自分がこのタイトル通りの職務を帯びているために興味本位で手にした本だったが、読み応えと問題提起に満ちた優れた内容だった。

最後に、僕は自分の勤め先で「オッサンはキャラが良いから好き」とオネエチャン職員に言われた。彼女なりの言葉で誉めてくれているのだろう。




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