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フィリップ・まろさんの読書ノート

きよしこの丘で
読了した重松作品がだいぶたまってきたので独立しました。
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 11

いとしのヒナゴン

著者 : 重松 清

出版社:文藝春秋

発売日:2004-10-27

評価 :

完了日 : 2008年12月15日

いつもの事ながら書評は書かない。
僕以外にもこれまでに10人の読書人がこの本について書いている。
内容について詳しく知りたい人はそちらをお読み下さい。

としておいて、さて僕の極私的エッセイを始めましょうか。

「謎の類人猿ヒナゴン、30年ぶりに比奈町にあらわる」

以上でこの物語の大半を言い尽くしてしまう。

残りの半分は、現・比奈町長のイッちゃん、ドベ、カツ、ナバスケといった同級生世代と、さらに15年ばかり遅れてきたノブ、ジュンペ、西野の幼馴染世代が巻き起こす、強調して言うが“大真面目なドタバタ喜劇”の物語である。

山深い過疎の町、比奈町。
この穏やかで静かな町にも平成の市町村合併の荒波が押し寄せてくる。
合併か自立か。
町民の心は大いに揺れる。
自立の目玉となるのがヒナゴンの存在だ。
ヒナゴンさえ見つけられれば、それを観光の軸とした町興しが可能となる。

町長イッちゃんいわく「比奈町の豊かな自然と人情は変らない……森と清流とヒナゴンの町、比奈町は、皆さんのお越しを心からお待ちしております」

しかし、この文章は町長イッちゃんの懐刀である教育委員会の西野の作である。
イッちゃんは元・キャロルの栄ちゃんの著書『成り上がり』を人生のバイブルとする元・暴走族のドンであった。

と、まあ、なんだかとんでもない設定の町長である。
男気一本の人物かと思うと、わりとマキャベリズムに染まった部分を持ち合わせている。
でもだからこそ、その懐の大きさを感じさせてくれる。

ツンとすました町一番の秀才である西野くんの意外な熱血漢ぶりがクライマックスを飾る。
しかし、やはり最終的にカッコイイところを持っていくのはイッちゃんだ。
“ヤザワ”は“カッコイイ”から“ヤザワ”なのである。「餅は餅屋」の喩えどおりである。

この物語、これまでに読んできた重松作品とはかなり様子を異にする。
しかし、長編小説の名人である著者の健筆振りが遺憾なく発揮されている。

長編小説の名人ぶりを何処で判断するかと言うと、僕は、登場人物の性格設定を上げる。

序では、まずは典型的な性格を用意する。
破では、典型外の意外な性向を表出させる。
急では、打ち破った典型的性格を改めて覗かせる。

上記のことに成功したときに、長編小説の登場人物たちが読者のすぐ隣りにいる人に見えてくる。
そして読者は登場人物に感情移入をしてしまう。

うまいのである、重松清は。
で、読後しばらく、僕は登場人物たちと「あのときはこうだったよなぁ」なんて本の中のエピソードを思い出しては語り合ってしまうのだ。

「アホ」と言っちゃいけないよ。
「純粋」なのだよ、僕は。

それではまた次の物語の世界を彷徨ってこの場所に来るとしますか。


この感想へのコメント

3.ryoukent (2008/12/25)
スマヌ
12/24イヴの今日まで韓国へ出張していました。
ちょっとした過ちで勧告ではPCが使えなくて、たなぞうへ来ることが出来なかった。
また今度ね。
4.フィリップ・まろ (2008/12/25)
ああ、こちらこそごめんなさい。12/25が僕の職場のグループホームのクリスマス会で準備に大変でした。で今日本番だったわけですが、朝7時に入って、夜8時まで休みなく働いていました。男手が僕だけですから、てんてこ舞いですわ。

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 39

くちぶえ番長 (新潮文庫)

著者 : 重松 清

出版社:新潮社

発売日:2007-06

評価 :

完了日 : 2008年11月17日

雑誌『小学4年生』に連載されていた小説に加筆修正したものという。

こんな素晴らしい小説を読めた小学4年生は幸せ者である。
大人の僕が読んでも充分に幸せになれた。

「『番長』とは、平安時代、中衛府、近衛府、兵衛府、などの舎人の長をつとめた者のこと」である、と立原正秋はその著書『美しい城』に書いている。

『美しい城』は世俗の価値観から遥かなところを生きる勁直な非行少年の物語である。

大きく趣を異にするが『美しい城』の主人公と『くちぶえ番長』の番長の生き方には多分に共通点が窺われる。

さらに僕ら中高年世代のマンガ読者であれば思い出すのが『夕焼け番長』だろう。

『夕焼け番長』の主人公は三度の飯よりも喧嘩好き。しかしその苛烈なまでの戦闘意欲が、夕焼けを見ると失われてしまう。なぜなら、番長の両親は夕焼けの鮮やかな紅色の空の下で亡くなったのである。

『美しい城』『夕焼け番長』そして『くちぶえ番長』に共通するのは、決して弱いものいじめをしないこと。
権力に対する反抗が自らの体を張った美しい暴力に転化されること。

だから僕ら平凡な小市民的少年はいつも「番長」に憧れるのだ。

『くちぶえ番長』の異質性は番長が少女である点だ。
重松作品にはたびたびこうした凛冽な精神を持った少女が登場する。
他に惑わされない硬質でいて柔軟な精神の少女。
かっこいいのだが、大人の目をして見つめると痛々しくもある。
ただ彼女たちは大人のそんな視線なんて自分を甘やかす好ましくないもの、と捕らえているようだ。

早逝した父から番長になることを宿命付けられた少女、マコト。彼女はツヨシの学校に転校してきた。ツヨシの父親とマコトの父親は小学生時代「ちびまる子ちゃん」でいうところの大野君と杉山君のような関係であった。
たった1年きりの友情であったが、番長マコトのやんちゃぶりや、出会いと別れの模様が実に印象深い。

世のしがらみや、仕事上の行き詰まり、人間関係に疲れた大人に読んで欲しい。無邪気の中に邪気を含んだ、見た目は純粋で、実はちょっぴり不純物の混じった少年少女時代にに立ち返らせてくれる作品である。


この感想へのコメント

16.フィリップ・まろ (2008/12/03)
1等星>2等星です。さらに-1等星>1等星です。
あの等級が低い方、木星ですか。
夜空って眺め上げていると飽きないよね。
獅子座流星群の降る夜、僕は庭にある木製ベンチに寝転がって、1時間以上も天体ショー眺めていたものです。
こう見えてわりとロマンチストです。
17.ryoukent (2008/12/03)
ロマンチックまろ兄い こんばんは
たぶん2等星が木星でしょう
でも、今夜は月は見えるけど1等星も2等星も見えない。
なんだか少しさみしいですね。

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 9

小さき者へ (新潮文庫)

著者 : 重松 清

出版社:新潮社

発売日:2006-06

評価 :

完了日 : 2008年11月07日

表題作を含めた6つの短編集。
全部良い出来でした。
的が絞られていて問題意識がはっきりとしていたので、短編の割りには入り込みやすかった。

「海まで」は都会で家庭を持った息子と田舎で独居の老母の間近に迫った遠距離介護の問題が良く描けていた。老母と孫のすれ違いとふれあいが感動的だった。老母の生まれ育った場所をめざす自家用車での短い旅での一家の会話と思い。家族のあり方を考えさせてくれる秀作だね。

「フイッチのイッチ」は離婚から母子家庭となってしまった少年と少女二組の家族の話。まだ知り得るはずも無い大人の事情。そこにまで考えが及ばない少年は少女のアドバイスを受けながら、父親と母親を引き合わせるための作戦を練る。この少年のように無知で無邪気で単純で素朴であれば、世の中の揉め事の大半は無くなるであろう。だが、誰に少年の行動を「無駄だからやめなさい」と言えるだろうか。

「小さき者へ」僕が一番気に入った作品。引きこもりの息子に、夜毎にパソコンで手紙を書き綴る父親。しかし、書き溜まるばかりで、一度としてプリントアウトして息子に手渡したことが無い。息子に宛てて書き続けてきた手紙が、或る日、自分の過去に戻る。自分の少年時代。少年と同じ頃の自分と父親との関係。エピソードとして挿入されるビートルズのナンバーに、年輩の読者は自分の青春時代を思い起こすだろう。そしてあの頃の自分と父親との関係にまで思いを馳せることになる。胸に沁みました。

「団旗はためくもとに」これも好きな作品だな。大学時代、応援団長をしていた父親と、突然、高校に通い続けることに意味を見出せなくなり、自主退学しようとする娘。父親と年頃の娘(「年頃の娘」っていったい何だ! いかん、ここで語義に引っかかっていては話が進まない。考察断念。)の関係性がよく描けていた。
世話になった先輩の手術を影から応援し、零落しつつある応援団時代の後輩を応援し、娘の門出を応援する元・団長の父親。誰かに応援されているって、こんなに心強いことは無い。僕はこの父親にエールを送りたいね。

「あおあざのトナカイ」は脱サラして古い商店街で宅配ピザ屋を始めたものの、経営能力の無さから店を閉めてしまった男の物語。妻は子供をつれて実家に戻った。実家の父親の口利きで夫が新しい仕事につけるようにとの配慮からだ。妻の気持ちは解っているものの立ち上がるきっかけが掴めずに自宅でぼんやりと過ごす男。そこへ商店街の会長の死去の知らせが届く。男のピザ屋のあとはケーキ屋になっていた。夢を抱いて店を開く店主の家族を暖かく見つめることで立ち直りのきっかけを掴み始める男に、「立つんだ、ジョー!」と声を掛けました。

「三月行進曲」これはいまいち解らんなぁ。少年野球チームの監督と3人の野球少年の話。問題を抱えた3人の少年を春の甲子園大会の開会式に連れてゆく。「それで」と冷たく詰問されると、返答に困るよ、僕も。でもこんな大人が世間にはいなくちゃいかん、とは思うね。落語に出てくる、何かというと問題を解決したがる長屋の大家さんみたいな。

最後に、この文庫本の解説を「作文家」と称する少女が書いている。うまいなぁ、解説。でも相当に編集者の意志が働いている文章であることが解るね。
子供を甘く見るつもりは無いし、「スルドイ!」と感嘆させる子供も稀に見かける。でもなぁ、ジュブナイル小説の解説じゃないんだから、ちょっと気になるね。

なぁんて、珍しく今回は書評らしいことを書いてしまった。
でも、やっぱりこういうの、僕には似合わんよなぁ。


この感想へのコメント

5.nana (2008/12/09)
いろいろと経験されているんですね。遠回りな人生といっても、ひとつとして無駄なことは無いと思います。苦労してこそ分かることもありますし。自分がそうです。
父親へのエールしかとお受けいたしました。
6.フィリップ・まろ (2008/12/10)
今度の世界同時不況はとんでもなく巨大な敵です。
世の中のお父さんたちがこの敵に押し潰されないことを心から祈ります。
僕は人生に躓く度に弱気になって、いっそ一思いにあの世にいけたらなぁ、なんて思ってここまで来ました。
ただ僕の場合、根が騒がしいものですから、へこんでいるのが解かりやすい。まわりに気付いてもらえやすい。
我慢強いお父さんが心配です。
世界中のお父さん仲間に、無理すんなよ、と言いたいです。

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 5

その日のまえに (文春文庫)

著者 : 重松 清

出版社:文藝春秋

発売日:2008-09-03

評価 :

完了日 : 2008年10月25日

あっ!この文庫本、つい最近に発売されたばかりなんだね。
ヤフオクでこの本と『疾走』と『小さき者へ』とを廉価でまとめ買いしたから、発売日がもう少し以前のものかと思っていた。
そういえば、「映画化決定!11月全国ロードショー 大林信彦監督作品」の帯がついていたっけ。しかもバリバリに美しい商品として送られてきていたな。

しかし僕が一度読むと、どうしていつもいつもこうまでも本がボロボロに傷むのかね。
速読がまるで効かず、読了するのに人の2倍以上は時間がかかるせいだろうか。
人が2時間程度お付き合いする本との関係を、僕は5時間も手放さないのが傷みの原因なんだろうね。
僕は著者にとっては、長い時間をかけてじっくりと読み込む良い読者である反面、本にとっては何時までもしがみ付いてページを開きっぱなしの悪い読者である、のかな。

『その日のまえに』は文庫判の帯のキャッチコピーによると「生と死、そして幸せを見つめる連作短編集」ということである。
はっきりと連作なのは「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」の3作。
だが、独立した作品である「ひこうき雲」と「潮騒」のエピソードが「その日」の章と最終章の「その日のあとで」の中にうまく挿入されている。
短編として読んだものが、もう一度新しい物語の中に息を吹き返す。ちょっとしたお得感がある。
この手法で著者は後に『きみの友だち』を成功させている。

『その日のまえに』の「その日」とは、死を迎える日のことである。

小説構築の手法としては前述したように、『きみの友だち』が上げられるが、テーマは『カシオペアの丘で』が『その日のまえに』の延長線上に位置する。

そしてこれは極めて個人的見解ではあるが、小説手法上では『きみの友だち』に、また、テーマにおいては『カシオペアの丘で』に、僕は軍配を挙げる。
しかし、それは重松清の作家的成長であり、いずれも、作品として、より完成度が増した、ということに他ならない。

重松清は『きみの友だち』『カシオペアの丘で』を成功させるために、『その日のまえに』を書かなければならなかった。通過点として必須の作品であったのだろう。

両親のいづれかが不治の病に犯される。そのことを年端も行かない子供に告知する。なんと残酷な場面であろうか。僕は『カシオペアの丘で』でその場面を読んだ時、胸苦しいほどの絶望感とやるせなさが大きな塊となって突き上げてきたのを覚えている。小説の中の少年を力いっぱいぎゅっと抱きしめてあげたくなった。
『その日のまえに』ではケンとダイの兄弟だ。兄弟の違った二つの個性に合った母親の死の受け止め方に胸を締め付けられた。

この短編集をひとつひとつの独立した小説として読むならば、僕は「ヒア・カムズ・ザ・サン」が気に入った。
母と息子の母子家庭の話。化粧品の訪問販売をする母ちゃんが癌の宣告を受ける。そのことでお互いに悩み続けながらも直接面と向かって話すことは無い。そんな親子の間に駅前のストリートミュージシャンのカオルくんがいい具合に入り込んでくる。カオルくん、といっているが彼女は女性。主に教会音楽を弾き語る。そんな彼女に母ちゃんはビートルズのナンバー「ヒア・カムズ・ザ・サン」をリクエストする。母ちゃんは若い頃この曲を聴いて、息子が帰ってきた、という歌だと思っていた。「サン」違いである。

と、ここで僕が登場してしまう。
「ヒア・カムズ・ザ・サン」・・・「陽が差してきた」を「息子がやってきた」と勘違いした時、小説家は新しい物語のモチーフが一つ発見されたと感じたことだろう。
僕は短歌を少しやるが、こういう瞬間の嬉しいことよ。まさに「ヒア・カムズ・ザ・サン」である。

と、ここまで書いてきて、評価点を☆3つから、☆4つに昇格しちゃお。
感想としていろんなことがたくさん書けるってことは、それだけでも高く評価できる。

『その日のまえに』・・・その日。
僕は前に自分の母親が認知症に認定される日を「その日」としてとある地方自治体の主催する手紙文の公募に応じたことがある。
その日。「Xデイ」じゃなく「その日」。
人生のいろんな場面で、人それぞれの「その日」がある。
怯えたり、期待したり、泣いたり、笑ったりしながら、人は「その日」の到来をじっと待つほかは無い。


この感想へのコメント

24.ryoukent (2008/11/17)
そういえば、こないだ京都出身の同僚に面白い話を聞きました。
山口県は徳山市へ出張した時に 駅へ向かう道が混んでいて、ふと話題が京都の道路事情の事に。
なんでも京都の目抜き通りというのは営業用の車が優先であることが暗黙の諒解になっているそうな。
地元のナンバーでもその様な観光通りを通るときは小さくなっているんだそうです。

今度確かめに行ってみるか。ウチの奥さん連れて。
25.フィリップ・まろ (2008/11/17)
京都の通りは車線があってないようなもの。右に左に縦横無尽に走れなくては行きたいところに行けやしない。
僕は身の為にも四条通と河原町通には入り込まないようにしています。条里制の行き届いた街だから、どの道を通ってもたいがい何処へでも行けますもの。

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 12

小学五年生

著者 : 重松 清

出版社:文藝春秋

発売日:2007-03

評価 :

完了日 : 2008年10月18日

さまざまなかたちの小学五年生を描き出している。
小5マンダラと言える17編からなる短編集である。

1篇があたり13ページ。
1ページに約680字。
400字詰め原稿用紙に換算すると1篇が20枚の小品集ということになる。

小学五年生は過渡期である、と僕は言ってしまう。
私立中学の受験を考える子供が進学塾に通い始める学年なのだ。
ご多分に漏れず、うちの息子もその道を進んだ。
途中、天童荒太の『家族狩り』のような修羅場も多々あった。が、今はその息子も万城目学的に言うところの立命館白虎隊の一員として青春を謳歌している模様である。

もう一度言うが、小学五年生は過渡期である。
私立中学受験を目指す者が進学塾に通う姿を不思議な絵でも見るように見つめる子供たちにとっても、それは初めて突きつけられた知的格差社会の構図だ。
夕方日が暮れるまで一緒に遊んでいた友達が一人、二人と消えてゆく。
友だちと眺めた夕焼けを一人で眺めるようになるのが小学五年生なのである。

そんな彼らの日常的些事がてんこ盛りなのがこの作品集である。

「葉桜」と「南小、フォーエバー」と「友だちの友だち」は転校生の話。
転校を何度か経験した作者の実体験が生きている作品である。
一度も転校をしたことの無い僕は転校生がやってくると大いに気にかけたものである。お宅訪問を欠かさなかった。新しい風の匂いに惹かれやすいタイプの子供だった。それで転校生を迎える立場で読んだ。

「もこちん」と「ライギョ」はイジメの話。ほんの短い話なのに、はらはらして読んだ。イジメはどんな場合でもいかん、いかん。

「おとうと」に僕は惹かれた。
志賀直哉の『真鶴』を思い出した。
30年前に読んだ『小説の神様』と言われた作家の作品を僕に想起させるあたり重松清もやるではないか。
しかし、それを思い出した僕もわりとやるではないか。

その他の作品も小学五年生ならではの甘く切ないそれでいて無頓着な性向がよく描けている。

でも、重松清の持ち味はなんと言っても登場人物の魅力にあると思う。何冊か著者の作品を読み継いできてそうと解かった。
登場人物の心情に感情移入して物語世界を仮想体験して泣いたり笑ったりさせてくれることのできる実力のある作家、それが重松清だ。
だから僕は長いものが読みたいね。

大きな世界観は構築できないけれども、こんな話があるよ、と手のひらに差し出された物語の断片。
ただの断片では小説が成立し得ない、とみるや、小学五年生という年代を設定。ばらばらの作品群に有機的繋がりを与えたところは作家のお手柄であろう。


この感想へのコメント

2.ベアandリーチェ (2008/10/19)
前にどこかで書いたことがあるのだけれど

小学5年生っていうのは
低学年ほど子供ではなく中学生ほどオトナではない。
子供の中でイチバン中途半端な時期なのでしょう。

だから重松さんもよく5年生を登場させますよね。
3.フィリップ・まろ (2008/10/21)
ryouさんへ。
猛烈なる凝り性である反面、めちゃくちゃ飽き性なもので。
感想は、人が読もうが読むまいが関係なく、書くことのみが目的です。生理作用です。

ベアさんへ。
中学生とはまことに中途半端な時期ですが、そのトランス状態こそが感性を磨いているのかもしれません。僕が愛犬エルと出会い別れたのもその頃でした。

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 8

卒業

著者 : 重松 清

出版社:新潮社

発売日:2004-02-20

評価 :

完了日 : 2008年10月18日

「まゆみのマーチ」「あおげば尊し」「卒業」「追伸」からなる4つの短編小説集。
ん?じゃないな。
1編がこのボリュームだと中篇小説集かな。
今僕が読んでいる重松の作品『小学5年生』を短編小説集とするなら、『卒業』はやはり中編小説集だ。ページの数量だけじゃなく物語的広がりや厚みからしてもそう言える。

短編でも中篇でもどちらでもいいじゃないか、と言ってはいけない。
作家は必ずその違いによって、文体やプロットを使い分けている、はずである。私見だけど。

『小学5年生』のことはまた改めてそちらの感想として立ち上げるつもりだが、枠が短いだけに、展開が速い。締め括りもスパッと斬られている。

対して、中篇集である『卒業』。
読者が物語の登場人物とともに過ごす時間が長くなるだけに感情移入の度合いが深まる。

小説を腑分けして何がい言いたいか、というと、つまり、短編小説やさらに短い掌編小説では泣けないが、中篇クラスになると泣けるのである。登場人物たちと共有する時間が長くなるからね。気持ちが入っちゃうわけである。

「まゆみのマーチ」が僕には印象に残った。
母親の無償の愛がテーマだ。

田舎で一人暮らしをする母親が危篤との知らせを受けて帰省する主人公の幸司。
彼の妹、まゆみは現在もであるが、小学生の頃、人迷惑な問題行動をとっていた。
具体的に言うと、どこでもどんなときでも歌を口づさんでしまう。妹のそれを育んだのは母の子育てにある、とみる幸司。
彼はそんな母娘の関係を冷ややかに、時として激情に駆られるくらいに熱い視線で捕らえている。
二人のやり取りを甘ったるくて、邪魔臭くて、小田原出身の僕の妻風に言うと「かったりぃ」と受け取ってきた幸司。

だいたいが、無償の愛、なんてこの世に存在するのか。
それを甘えというのだ、と決め付けて冷たく腹立たしく苦々しく思う彼。

そんな幸司もおおきな問題を抱えている。
息子、亮介の不登校からの引きこもり。

幸司は危篤の母親を見守るうちに、母と妹まゆみの関係を再検討する。まゆみ自身の口から当時の母娘の関係をききながら。

まゆみは母親から「まゆみが好き、好き、好き、とっても好き、好き」と歌い続けられていた。
実は幸司も「幸司が好き、好き、好き・・・」と歌い続けられていたのだった。そういうことが好きでない幸司の性格を見抜いている母親は幸司の気付かないところで。

ちなみにこの歌、40年近く前にテレビ放映されていた手塚治作品、『悟空の大冒険』のエンディングテーマだ。
だから僕も歌える。
こういう小道具に同時代人は敏感に反応する。掴まれる。作家の思うツボにはまることになる。

さて、幸司はまゆみに寄り添って歩いていた母親が実は自分にも寄り添っていてくれたことを知る。

自分は息子、亮介に寄り添って歩いてあげてきただろうか。
そして母親の無償の愛を知った幸司のとった行動とは…。

無償の愛、はこの世の中に溢れるほどある。
僕が尊敬するマザー・テレサ。
マザーの場合、燦然と輝く無償の愛だが、人知れず存在する無償の愛の何たる多いことか。

心が弱った時、誰かが自分のために降り注いでくれている無償の愛を感じ取ることにしよう。



この感想へのコメント

5.でこぼこハムスター (2008/10/21)
まろさん、読みが深いなぁ。まろさんの感想読んだら、もう一度作品に触れた感じになります。
6.ryoukent (2008/10/21)
なんと、まろ兄ぃ、そう来ましたか。
全部書けとおっしゃる。写本ですな。

OCRって機械があるからそれ使っちゃおうかな。
しかし、もしホントにそんなことしたら絶対に捕まって、インドか中国の赤壁あたりに幽閉される。
そんときゃ、まろ呪いに脅かされてやりました って白状しちゃう。

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 2

重松清 見よう、聞こう、書こう。―課外授業ようこそ先輩・別冊 (別冊課外授業ようこそ先輩)

著者 :

出版社:KTC中央出版

発売日:2002-06

評価 :

完了日 : 2008年10月17日

NHKテレビ『課外授業 ようこそ先輩』の書籍化である。

この番組が以前から好きで、わりとよく見ていた。
椎名誠の回なんて「いいぞ、いいぞ」とテレビに向かって快哉を挙げながら見た。

本当にテレビに向かって「いいぞ、いいぞ」と快哉を挙げる人はいない、なんて勝手に決めてもらっては困る。

実際に僕はテレビに向かって「いいぞ、いいぞ」と快哉を挙げる男なのである。

いかん。椎名さんのことも僕のことも今はどうでもよろしい。

重松清だ、ここは。

見ていない、重松清の回の『課外授業』は。

そりゃそうだ。放映の頃、重松清なんてちっとも興味が無かったもの。

ここ数ヶ月だ。こんなに集中的に読み出したのは。

そしてこの本の存在を知り、読んでおきたい一冊になった。

小説の書き方を後輩である子供たちに教えるのが今回の課外授業。

本書にはそのあたりの経過や準備、周辺事情がまとめられている。

そんな中で重松清の小説作法が語られている。

それが「視点を変える」である。

家族から見た自分。父や、母、或いは兄、姉、妹、弟の目線で自分を語ってみよう、との試み。

小説作法上、単純なことではあるが、これが客観的視点の基礎となる。

自分が見た自分しか知らない子供たちが悪戦苦闘する。この悪戦苦闘が客観性を呼ぶのだ。

また、5W1Hを取り入れた表現。物語の混乱を防ぐためには押さえておくべき手法であろう。

子供たちに授業を講じる重松清の姿勢がまっすぐである。

受け止める子供たちの眼差しがまっすぐである。

読んでいる僕の感受性がまっすぐになる。

まっすぐに伸びた3本の線が超矢印ベクトルとなって新しい何かに向かって働きかけ、さらに伸びていこうとしている。

何かとは僕を含む人生の小説である。


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 7

エイジ

著者 : 重松 清

出版社:朝日新聞社

発売日:1999-01

評価 :

完了日 : 2008年10月03日

『エイジ』
切れ味の鋭いシャープなタイトルだ。
しかし、話は割りと冗長である。

中学2年生のエイジが主人公。
中学2年生は、小学生のような可愛い幼さも無ければ大人の一歩手前の余裕も無い。思春期と反抗期が重なって自分で自分のことが制御できないややこしい年頃。

エイジの暮らす東京都・桜ヶ丘ニュータウンに通り魔が横行していた。
通り魔を通してクラスの秀才やツッパリ、或いはいわゆる普通の生徒たちが自分のポジションを再検討する。

ところが、自分を映し出す鏡であった通り魔が実は同じクラスの同級生であることが判明する。
中途半端な年頃で自分自身のお尻が落ち着かない彼らは社会から「少年」と呼ばれ始めた同級生のしでかした事件にいよいよ心がざわめいてしまう。動揺した空気が教室に張り詰める。

青春グラフィティのモチーフとしては一本の筋が通った作品だ。
でも著者の作品である『きみの友だち』ほどの緊迫感や青春のきらめきがない。

まして桜ヶ丘ニュータウンの通り魔は他にも現れ、オヤジ狩りやチーマーが続出すると、これはもはや日本のニュータウンではないなあ、といった気がしてしまう。

エイジがずっと思い続けていた相沢志穂とエイジと交際することになった本条めぐみの輪郭がイマイチ判然としていないのもマイナス点。

あと中学生らしい同世代間のニュアンスでのコミュニケーションがいろんな場面で表現されていたが、読者に伝わり辛かった。

中学2年生は人生における一つの大きな節目であると思う。反面、中学生活にも慣れ、受験勉強にはまだ早い中途半端さが生活を包み込む。

そして、社会を震撼とさせる出来事が周辺で巻き起こっているにも拘らず、物語は冗長に進められてゆく。

僕の五感と喜怒哀楽の襞に引っ掛ってくる種類の小説ではなかった。


この感想へのコメント

2.フィリップ・まろ (2008/12/24)
nanaちゃん、こんにちは。
そーか、そーか、高校生が読むと、自分たちのただ今の状況や感覚が的確に表現されている作品、と受け取れるわけか。うん。本って、読むべき年齢があるものね。nanaちゃんには旬の果実であったんだ。僕の場合は、中学時代は深い霧の向こうの出来事です。重松清の感性はどの世代の主人公をも表現してしまいますね。
3.nana (2008/12/25)
そうですね。本というものは、その年齢の時点では、分からなかったことが、数年後に読み返してみると、これってこういうことだったのか、と後にわかることが結構あります。タイミングって大切ですよね。

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 13

きみの友だち (新潮文庫)

著者 : 重松 清

出版社:新潮社

発売日:2008-06-30

評価 :

完了日 : 2008年09月24日

精文館書店中島新町店の時間的書店員43歳改め17歳さんは、もはや僕の泣き所をしっかりと捉え切っている様子である。

まろさんにはこの本がおすすめ、と申し渡されて読んだ本。
いやはや、泣かせてもらいました。

僕には二つの書斎がある。

僕は青空の下、公園の芝生の上で寝転がって本を読むことを無上の楽しみとしている。
書斎の一つは、そう、アウトドア。
もう一つはお風呂。
ぬるま湯に窓を開け放ち、湯気を追い出しながら、30分程度。これも幸せな時間である。

僕が『きみの友だち』のクライマックスの場面である「花いちもんめ」の章を読んだのは城跡公園の芝生の上。

全編を通した主人公は小学4年生の時に交通事故で足に障害を負った恵美だ。恵美が交通事故に巻き込まれるきっかけとなってしまった由香とのちょっと歪な友情物語。それを第3者のストーリーテラーが淡々と語ってゆく。

だが、各章にはそれぞれに主人公がいて、その章での佳境が用意されている。1本の読み物として成立している。いろいろなパターンの友だち関係が描き出されている。

「花いちもんめ」ではここまで書き継がれてきた友だちのことが集約され、過去の出会いとすれ違いが今の友だちとの関係性を作っていると物語る。

物理的な関係性には終りが来る。この章で一つの物理的友達関係が終りを告げる。恵美と由香の友情は由香の死で幕を閉じる。

城跡公園の芝生と一体化していた僕は本を閉じると空を眺めた。
そこには恵美と由香が探し続けていた「もこもこ雲」が出ていた。
僕は時々こういった種類の奇跡を起こす。
涙がハラリ…。

僕が著者であったなら、ここで一巻の終りとするな。

しかし話は続いた。

最終章。

その名も「きみの友だち」

僕が読んだのは、もちろん自宅のお風呂の中。

この物語を語ってきたストーリーテラーがこの章で顔を出す。
恵美はここでストーリーテラーと結ばれる。

友だちとの死別で閉じるべき話が、友だちを心に残して生き続け、新しい「伴侶」というパートナーを得て幕を閉じる。

ああ、そうだな、僕もこの方が嬉しいな、と思った。

30年前、21歳の時にバイクの事故で死んだ僕の親友のことを考えても『きみの友だち』の終わり方はこうでなくちゃいけない、と思った。

僕がお風呂で零した涙は仕事に疲れてささくれが目立ち始めた感情をやさしく浄化してくれた。


この感想へのコメント

30.KUMI (2008/10/08)
おこんばんわっ♪
阪神の調子が悪いから、もうテレビはいいや。
まろさんとこに遊びに来ました♪
そう、そう♪まろさんのそのエッセー、どこで読めるのか気になっていたのでした!
『公募ガイド』に掲載されるのですね☆

掲載号の発表はこの場所って事で。ワクワクするなあ~♪
全国区の一般紙!晴れの舞台みたいだねー☆
31.フィリップ・まろ (2008/10/11)
キッチンからこんこんと包丁の音が聞こえてきた。
眼を開けると薄暗い。
時計は5時15分をさしていた。
そうか、早出の妻がもう朝食を作ってくれているのか。
ゴミを出し、朝刊を取りにいこうと思った。
生ゴミを集めていると、「何してんの」と妻。
「ゴミを出す準備でしょうが」
「お父さん今何時だと思ってんの?」
「えっ?」
僕は朝5時過ぎだと思っていたら、夕方でした。
夜勤明けで3時間くらい爆睡して、オカシクなっちゃったよ。

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青い鳥

著者 : 重松 清

出版社:新潮社

発売日:2007-07

評価 :

完了日 : 2008年09月20日

正しいことを教えるのではなく、たいせつなことだけを教える教師。村内先生が全8編からなる『青い鳥』の主人公であるが、一つ一つの物語での登場場面は少ない。しかし、毎回、印象的な登場の仕方をして物語をぐっと引き締めては各章の主人公たちに後を任せて立ち去ってゆく。

そう、村内先生こそが『青い鳥』なのである。

「よかった、まにあった」が口ぐせ。

出会いに間に合えた生徒に大切なことだけを教えては、次に間に合ってあげなければならない生徒の元へ飛び立ってゆく。翼が特別に蒼い、青い鳥だ。

村内先生は吃音症である。言葉がうまく発声できない。中でも「か行」と「た行」とはつっかえて、まるで道路工事現場のようになる。

おそらくそのことで村内先生は幼少年時代に想像を絶する悲しみをたくさん味わってきたのだろう。

成長の過程で村内先生は気付いたのだ。

「たいせつなことだけは、どんなにつっかえても伝えなければならない」と。

そして「みんな」じゃない「ひとり」にそれを伝えることが自分の使命だと感じ、教職員の道を選んだものと推測される。

さまざまな問題を抱える生徒たちに「たいせつなこと」だけを伝える村内先生のことを、僕は、今『青い鳥』と言った。

でも違うな。

当たっているけれど、違うな。

『青い鳥』とは「たいせつなこと」それ自体だ。

そして「たいせつなこと」を分析すると自己の判断力であったり、問題解決能力であったり、自己修正能力であったり。
村内先生は、寄り添い、語り合う中で、生徒の持つ潜在能力を引き出してあげられるのだ。

誰にでもある潜在能力。
本人が気付いていない潜在能力。
外に求めても見つけられない潜在能力。

それが『青い鳥』の正体であると思う。


この感想へのコメント

3.ryoukent (2008/10/03)
おれんちの 青い鳥は 名前:Jack 性別:オス 年齢:1.5歳 種別:ミニチュアダックスフント君 性格:おちゃめ でも さみしがりや なんでも噛むくせが最近直って、今は大変人気のうちの青い鳥です。
あれ? 話題が違った?
4.フィリップ・まろ (2008/10/03)
今日、休みを利用して津市にある社会保険事務所に行ってきました。母親の年金に「もれ」のある可能性がある、というので。いわゆる年金得別便ってやつ。
母は父とともにずっと商売をやってきたんで、そんなものあるわけが無い、と高を括っていました。
しかし調査したらあったね。
緻密な介護にはお金がかかります。助かるよ。

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ビタミンF

著者 : 重松 清

出版社:新潮社

発売日:2000-08

評価 :

完了日 : 2008年09月15日

『ビタミンF』とは実にうまいネーミングである。
『点滴』でも『カンフル』でも『頓服』でもない。かと言って『漢方』でもない。
ビタミン剤は特効薬のような効き目は無い。
とある疲弊部、もしくは脆弱化した箇所にのみズバッと効果を見せる。
ビタミンAじゃなく、B群じゃなく、Cとも違う。

『F』

Family,Father,Friend,Fight,Fragile,Fortune....

ビタミンFの定義は人それぞれ。そしてそれぞれの心の弱った部分を活性化する。

7編の短編集からなる。

収録されている第2編。『はずれくじ』の父である主人公の修一と息子勇樹少年の関わりに僕の息子が中学生だった頃を思い出した。また、僕が中学生でまだ若かった父親との関係をも考え合わせて読めた。

第4編『セッチャン』には胸が締め付けられた。
セッちゃんは学校で毎日クラスの子からいじめを受けている。それを逐一両親に話す加奈子。実はセッちゃんは架空の同級生。加奈子は自分が受けているいじめをセッちゃんに投影している。そのことが読み始めてすぐに読者にはピンとくる。しかし加奈子によるセッちゃんの描写が客観的であるから読者は胸が痛む。最後にはセッちゃんを転校させて自分の一つの時代にさよならをしようとする加奈子を思い切り抱きしめてあげたくなった。

『なぎさホテル』は離婚を間近に控えて家族旅行をする一家の話。設定はありきたりで、僕自身よく似た経験はしている。僕の場合がそうであったように物語もハッピーエンドで後味は良かった。

『かさぶたまぶた』は優秀な成績の娘がボランティアで行った聾学校でしくじったことに端を発する。自己評価していた自分と客観視した自分の違い。
完全主義で会社の部下や周囲から、この人こそ大人、と認識されて自分でもそれが己のアイデンテティと思い込んできた父である自分。すべてをかなぐり捨てて自分の欠点と恥ずかしいところを家族の前で曝け出した時、家族に新しい関係性が生まれた。
最後のオチはお約束の著者と読者の了解事項。でも読後感が良くてそれも、あり、だと思えた。

『ビタミンF』は大きな改善の認められにくい栄養剤ですが、精神疲労時の心の均衡を水平の位置に戻してくれる小説です。


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