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フィリップ・まろさんの読書ノート

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 1

幸せさがし (寂聴おはなし絵本)

著者 : 瀬戸内 寂聴

出版社:講談社

発売日:2007-07-11

評価 :

完了日 : 2008年06月30日

瀬戸内寂聴さんが書いた絵本である。
寂聴さんは後期高齢者の規定年齢を10歳も超えて絵本作家としても創作活動をしていらっしゃる。スーパー・エレクトリック・バアチャンである。

むかし、むかし、中国にチンフーという若者がいたそうな。
病弱な母親はいまわの際に「西のほうに仏様がいらっしゃるのでどうしたら人間は幸福になれるか教えてもらいなさい。幸福をさがしに行ってごらん」と言い遺した。
チンフーは旅をする。
ある村で住み込みで働くがここの一人娘は17歳になっても言葉が話せないので仏様にあったら幾つになったらそれができるのか聞いてきてくださいと依頼され、次の村では水が枯れて出ない理由を仏様に聞いてきてくださいと頼まれ、大きな川では白蛇に天上界へもどる方法を仏様に尋ねて来てくれと頼まれる。
それからもチンフーは歩きに歩く。
そして、仏様が天から声を掛けてくださる。
チンフーはこれまでに出会ってきたものたちの疑問を仏様に尋ねる。
チンフーは自分が旅に出た本当の理由である自分の幸せさがしのことは何一つ聞けなかった。
しかしチンフーは「人がよろこべば、うれしいもの」と自分に言い聞かせる。
さて帰り道でチンフーの身におきた事柄は…。

解説で著者が言う。
「自分のことより、人のことを心配するチンフーのやさしさが、この話の眼目です」

説教臭いことだ。
でもその説教臭さが昭和30年代までの日本人の感性を豊かにしてきた。
西洋の馬鹿げた利己主義を「ジコチュー」などとまんざらでもない様な受け止め方をしてきた結果が薄気味の悪い平成を作り上げている。

日本人よ、心すべし。


この感想へのコメント

19.フィリップ・まろ (2008/07/10)
疲労にも2種類あると思う。「ああ、今日は良くがんばったなあ。いくつか失敗もあったけど、うまくリカバリーできたし。疲れたあ。だけど充実」というのと「ああ、今日はサイテー。手柄は自分のものにしやがるし、失敗は全部こっちのせいかよ。疲れたあ。心までぐったり」っていうの。1対9の割合で訪れます。でもそのたった1度の充実感で残りの9を帳消しにしてしまう。だけどやっぱり1の数を2に3に増やしたい。
20.パル2パパ (2008/07/10)
だから、その諸悪の根源を元から断たないとダメなんだよ。結局、周りはアテにならないと解った様だし、同じ目に遭わしてやったら?

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 1

月のうさぎ (寂聴おはなし絵本)

著者 : 瀬戸内 寂聴

出版社:講談社

発売日:2007-07-11

評価 :

完了日 : 2008年06月30日

かの瀬戸内寂聴さんが書いた絵本である。
寂聴さんは作家デビュー当初は少女小説を書いていたというから、“瀬戸内寂聴と絵本”の取り合わせもまんざら有り得ない話ではない。

むかしむかし、インドのある森にうさぎとさるときつねが仲良く住んでいたそうな。
ある日、そこへ襤褸をまとったよれよれのひとりのおじいさんが歩いてきて三匹の前で倒れた。
さるときつねは首尾よくおじいさんのための水や食料を探してきた。しかしうさぎは探せなかった。
三匹とおじいさんは森の中で一緒に暮らすことになった。
さるときつねはおじいさんのためにせっせと食料を運んできた。
相変わらずうさぎは探しあぐねて手ぶらで帰ってくる。
うさぎはその夜、自分を食べてください、と焚き火の中に身を投じる…。

著者は犠牲奉仕と忘己利他の精神から生まれる慈悲を子供たちに伝えてあげて下さい、という。

自分主義。オレ様。自己愛。
西洋から伝わってきた「新しい思考」が大きく日本人の精神構造を曲げてしまった。

もう一度、古臭い日本人の発想を点検してみる時期ではないでしょうか。


この感想へのコメント

4.パル2パパ (2008/07/02)
確かにそれなりには、そういう部分も或る事は或るでしょうね。唯、自分の身を以って、虎の空腹を満たすなんて行為は、ムリ!それが例え喩えであったとしても。精々、自分が潰れない程度でなら、するわね。
5.フィリップ・まろ (2008/07/03)
釈迦が求めるのは極端なことが多い。従って僕がお世話になった比叡山なんかでも12年間籠山とか、7年間寺院の境内から一切外へは出ない、とか千日回峰だとかに結びついてしまう。仏道を追い求めようとしている在家の僕らには到底できないことばかり。それで僕は在家主義仏教者の唯摩居士が好きなんです。彼のことは唯摩経という仏典に書き残されています。

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 1

ピンク!パール!

著者 : 村上 康成

出版社:徳間書店

発売日:2000-10

評価 :

完了日 : 2008年06月26日

ひれの色が鮮やかな桃色であることが自慢のヤマメ“ピンク”の物語の最終章です。

ヤマメは一般的に山奥の渓流で生涯を過ごします。
ところが稀に川を下り海に出る種が現れる。降海型と言います。
その種族も成長するとまた生まれ故郷の川に戻ってくる。ただし、体型が大きく違って。
渓流にい続けるヤマメが稚魚であるしるしのパーマークをその体側に残しているのに対し、降海型のヤマメはパーマークがすっかりと消え、身体つきもヤマメに比較するとかなり巨大化するのです。
そしてその種がサクラの頃に川に戻ってくるものを“サクラマス”、五月になってから戻ってくるものを“サツキマス”と呼びます。
ピンクはサクラマスでした。

桜の咲く頃に生まれ故郷の川に戻ってきた元ヤマメのピンク。
彼は恋人のパールとともに山奥のふるさとを目指します。
ところが川はピンクやパールが知っていた頃とはずいぶんと様子が違っていました。
砂防ダムができていたのです。
行く手を遮られて諦めてしまう仲間たち。
ピンクとパールはそれでもふるさとの渓流を目指してダムを遡行して行きます。
このあたりを表現した絵本の絵の鳥瞰図が実にいい。
「がんばれ!ピンク!パール!」
と声を掛けてしまいました。
滝となって落ちてくる水を懸命に遡上する二人。いや、2匹。降りしきる桜の花びら。
そして…最上流部へ。彼らが生まれ育った渓谷へ。
やがて生まれ出てくる彼らの子供たちのことを夢見て。

だけど彼らには自分たちの子供の姿が見られないんですよね。産卵と射精行動が終わると彼らは静かに死んでゆく。ただし、彼らの骸が川の栄養分となる。それが彼らの子供たちを育てることになる。目に見えない親の保護を受けて子供たちはすくすくと育っていく。

人間だって同じことなんだろうな。目に見えない親の愛情を受けて育っている部分があるのだろうな。生物って哀しくて、素敵である。


この感想へのコメント

1.はもる (2008/06/30)
こんにちは。
「あ!ヤマメ!!」と思い感想を読ませていただきました。
恥ずかしながら私がヤマメを知ったのは5~6年前です。
その数年で数や大きさも激減しているのが淋しいです。
幸いウチの子供は年1回ヤマメを見る機会があるので、この絵本と共に記憶に残ったらいいなぁと思いました。ぜひ子供と一緒に読んでみたいと思います。
2.フィリップ・まろ (2008/06/30)
はもるさん、コメントをお寄せ頂きありがとうございます。
親子が共通の趣味、話題を持っている、というのはいいものですよ。僕の場合、もう15年くらいも前の話になりますが、幼い息子と娘を連れて、長良川河口堰建設反対運動に参加して一緒に戦い、一緒に学び、一緒に遊んできました。
お時間があれば僕の読書ノートの『童話が教えてくれたもの』もしくは『天才?ボク本』の中の『読書は心の翼』も読んでみてください。
 

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 1

ピンクとスノーじいさん

著者 : 村上 康成

出版社:徳間書店

発売日:2000-09

評価 :

完了日 : 2008年06月26日

この春に山奥の渓流で生まれた、ひれが鮮やかな桃色であることが自慢のヤマメ“ピンク”。

夏にはさまざまの体験をして成長をした。
夏の出来事については『ピンク、ペッコン』を読んでください。

冬。
水がとても冷たく、餌の乏しい季節。
ここでも弱肉強食の食物連鎖は途切れることもなく続けられている。
この冬を乗り越えたものだけに許される命の継承がる。

やっと見つけた餌も大型の仲間に横取りされる。しかしそのヤマメもさらに大型のイワナに捕食される。イワナの名は“スノー”。
イタチに尻尾を噛まれ間一髪のところをスノーじいさんに助けられる。

イタチに襲い掛かるイワナって、いるんだろうか。いるんだろうな。村上康成がそのあたりのところを調査もしないで描くはずがないもの。
幻の大魚、イトウのことかな。

あの日以来、姿を消したスノーじいさん。
尻尾の傷も癒え、新しい春が来た。命の息吹が山間のそこここから聞こえてくる季節の到来だ。

ピンクはこの春に生まれたヤマメの稚魚の群れに混ざって上流を向いて泳いでいる。
目が輝いている。
一年を過ごして春を迎えたヤマメの自信に満ちた勇士である。

遅ればせながら、僕はここで開高健が名著と呼ぶ『鮭サラーの生涯』を思い出した。


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 1

ピンク、ぺっこん

著者 : 村上 康成

出版社:徳間書店

発売日:2000-08

評価 :

完了日 : 2008年06月26日

「おなか ぺこぺこ、はら ぺっこん」

いつもいつのときでも、おなかをすかせている、ひれの色が桃色の“ピンク”はヤマメの稚魚。

夏の初めの山奥の渓流に生まれ育つ。

ピンクはいつも仲間たちやたくさんの兄弟たちと群れをなす。

ヤマメの稚魚の群れが壮観である。
見開き2ページにざっと60尾強(ビールをやっつけながら読み、書き込んでいるので正確な数字はわからない。悪しからず)が絵本のページ狭しと書き込まれている。
黒くぱっちりした目玉と、体側にきちんと並んだ幼魚のしるしであるパーマークが印象的だ。

ピンクは山奥の渓流でたくさんのことを経験する。
狙っていた餌をひとまわりもふたまわりも大きなヤマメに横取りされたり、イワナに追いかけられたり、ヤマセミに狙われたり。大好物のカゲロウと思って飛びつくとそれはフライフィッシングの疑似餌であったり。

夕方、大好物のカゲロウが川面に大発生する。ピンクたちヤマメは水面から躍り出てカゲロウを捕食しようと懸命である。
このページも見開き。約90匹(ビールをやっつけながら読み、書き込んでいるので正確な数字がわからない。悪しからず)のカゲロウが川面を飛び交う。

そして…。
さきほど推定60尾(ビールをやっつけながら読み、書き込んでいるので正確な数字がわからない。悪しからず)のヤマメの群れを紹介した折には、みんな上流をむいて整列していた。これを魚の“向流性”というが、今度はちがう。それぞれがカゲロウを追ってめいめいの方向を向いている。著者がヤマメの行動学をしっかりと学んだ上でこの絵本を描いたことが判る。
あっちこっち向いた小さなヤマメたちの姿勢が躍動的で川面の水が裂けるのがよくわかる。

山間の渓流に夜が来る。ピンクたちヤマメの稚魚はまた隊列を組んで、上流に向かって整列する。

こんな一日が地球上では何万年も続いてきたのだろうな。
皆さん、想像しようよ。
今、この時にも、人知れず生物たちの命がけの営みが繰り返されていることを。



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 1

五十からでも遅くない

著者 : 瀬戸内 寂聴

出版社:海竜社

発売日:2005-02

評価 :

完了日 : 2008年06月23日

がははははは。
新しい読書ノートを立てた御祝儀相場が作用して評価点を5点にしてしまった。
僕が5点をつけたからって、衆人が同様の高評価をするとは限らない。その典型的な一冊としてサンプル化しておこう。

でも、ね。

まず、タイトルがいいじゃないですか。

この5月で51歳になった僕は、このタイトルに励まされました。
だって、人生、失敗と遠回りの繰り返しの果てに51歳になっちゃった僕ですよ。
人生の大半を果々しい成果もなく終えてしまった感じがして「ほはぁ~」とため息ひとつの誕生日を迎えた僕のところに、この本がやってきた。

そして・・・
「五十からでも遅くない!」
と寂聴さんが檄をとばし、励ましてくれたのでした。

本の帯に載っている寂聴さんの写真の仏様のような笑顔。
普段から、『和顔施(わがんせ)』つまり、「やわらかい笑顔、それ自体が最高の施しである」と解き続けている寂聴さんならではの清らかで品格のある笑顔。そこに「人生の喜びは五十から」とコピーがついている。

出会い、だね。

本と僕との出会いですよ。

読みべき時期に読まれるべき本が巡ってくる。

千載一遇の奇縁に恵まれ、僕は一期一会を果たす。

読書生活においては、僕は、誰にも負けない豊かな人生を送れたと自負いたします。人生、それだけでも充分か。

瀬戸内寂聴尼が出家したのが51歳の時。
そう、僕の今の年齢で彼女は(ここは同い年の女性としてタメぐち)出家に踏み切ったんだ。只管、小説を書くことに没頭し、一心に恋愛に身を窶して走ってきた51歳の女性。

彼女が最後に心の平安を求め、たどり着いたのが出家であった。
彼女の人生観が大きく軌道を変化し始める。51歳で出離した彼女に、もはや迷いも悩みもない。一切を仏に委ね、任せてしまっているから。

そして考えつく・・・。
「五十からでも遅くない」
この言葉をバカなほど信じきって、僕は51歳からの自分の人生を始めるとしましょうか。


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 8

『求めない』 加島祥造

著者 : 加島 祥造

出版社:小学館

発売日:2007-06-29

評価 :

完了日 : 2008年06月20日

職場の人間関係に悩む20歳以上も年下の女友達から奨められた本。
偶然、うちの高校3年生の娘が学校図書館から借り受けていたのを目ざとく見つけて読んでみた。
僕はユング学派の書生で「偶然の一致」に弱い。

京都宇多野の竜安寺には「吾唯知足」と彫られた蹲がある。「口」という文字を中心にして、形成された4文字。
「口」が下についた「吾」。
「口」が左についた「唯」。
「口」が下についた「足」。
「口」が右についた「知」。
そして「われ、ただ、たる、を、しる」と読む。
これ考えた人、センスいいよね。まさに禅坊主の発想だね。
「求めない」の根本思想は「知足」にあるようです。

余談だけれど「いろはにほえとちりぬるを…」のイロハ歌を考案したのは真言宗の開祖、空海だと言われている。天才的、じゃなくて天才だね、あの人は。

話を表題作に戻しましょう。
「あとがき」に「人は他人にも自分にも求めなくなった時、『随所の主』となることができそうだ」とあります。

『随所の主』とはどんな場所に居ても主人公でいる自分、とでも言いましょうか。
実はこれも禅の言葉。
中国の禅僧、臨済義玄の言行録『臨済録』の一節の言葉です。
「随所作主、立所皆真」
読み下すと「随所に主と為せば、立ち所に皆、真なり」となります。意味は、どんな場面にあっても自分自身をしっかりと持っていれば外部状況がどう変化しようと振り回されることはない、といったところでしょうか。

著者は老子のタオの思想の研究家のようですが、相当に禅の研究もなさっていらっしゃる様子。「求めない」をキーワードにした短詩のそこらじゅうに東洋の思想が散見できます。

それでは僕がとても気に入った一節を抜き出して締めくくりたいと思います。

 子が母の乳房を求めるとき
 母も子に乳を飲むように求める
 それは片方が「求める」ことじゃあない
 互いを生かすことなんだ。
 共存とは、
 「求めあう」ことじゃなくて
 互いに「与えあう」ことなんだ。
 片方だけが求めるとき
 相手を傷める---
 奪うからだ。

単純な言葉の繰り返しだけど、奥行きの深さに思わず覗き込んでしまう。こうした覗き込みは大いにすべきだろうね。


この感想へのコメント

1.パル2パパ (2008/06/20)
解り辛いね、互いに求めあい与えあう事が、「共存」であり「共存共栄」に繋がると云い表す事の方が解り易いと思うけど、どうだろう?一編を引用した、まろさんを責めるつもりは毛頭無いけどさ。
2.フィリップ・まろ (2008/06/23)
なんとまあ、辛口のコメント。
解り易いと感じ、尚且つ自分が気に入った部分を抜き出したつもりでしたが。
「求めない」をテーゼにしてこの本の言いたいことが始っているので、一捻りして返って来た二重否定的な論旨の展開が誤解を招くのかもしれません。
しかし肯定否定織り交ぜながらも考えるヒントが結構たくさん詰まっている本だと思いました。
 

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 1

場所

著者 : 瀬戸内 寂聴

出版社:新潮社

発売日:2001-05-25

評価 :

完了日 : 2008年06月11日

野間文芸賞だか谷崎賞だかを受賞した作品である。著者は後に文化勲章を受けることになるのだから、文学賞も通過点でしかない。
しかし当の本人はどんなかたちのどんな賞であっても、作品を誉めてもらっている、と感じられれば手ばなしで大喜びされている。
もはや「天下無敵の」と枕詞をつけられてもおかしくない瀬戸内寂聴があの人懐っこい笑顔で喜んでおられるのであれば、出版関係の人々はもっとたくさんの賞を庵主さんに捧げるべきである。喜ばせてあげるべきである。今や瀬戸内寂聴の元気は、日本の中高年の元気に繋がる、そんな存在なのであるから。

『場所』は試みの小説、と言えるかもしれない。
かつて自分が立っていた“場所”を、喜寿を過ぎた著者が再び訪れる。その“場所”を探し当てるまでは紀行文のようであり、随筆的でもある。その“場所”への思いを語り始める辺りから、俄然、小説化してゆく。

端的に梗概を述べるなら『場所』は作家であり僧侶である“瀬戸内寂聴”の胎動を書き表した私小説だ。
瀬戸内寂聴の持つ、あの、そこに居るだけで人々を安心させてくれる存在感、安定感。その雰囲気が生まれ出てくる以前の、瀬戸内晴美のアメーバ的右往左往期の話である。『花衣夢衣』の澪と真帆が真っ青になる、昼メロはだし、どろどろの半生の私小説である。
スカッと爽やか、40年前のコカコーラ的性格の僕には耐えられない展開である。しかもこれが私小説と言いながら、ほぼ全部事実に基づいているから「いやんなっちゃうなぁ、庵主さん」というのが僕の偽らざる感想である。

しかし、このどろどろがあったればこそ、後の瀬戸内寂聴が生まれ出たのである。不世出の“心の拠り所”となる庵主さんが誕生したのである。時代を代表するエポックはいつもこうして艱難辛苦の泥の川を渡り超えてここにあるべきものとなるのだろう。

自作をほめてもらって嬉々として満面の笑みを浮かべる無邪気な瀬戸内寂聴尼。出版関係者と読者はもっともっと誉めて差し上げるべきである。
瀬戸内寂聴尼僧の笑顔が、深い谷底に沈み込んでしまった世相の日本にあって、無明の闇に灯す灯火となっていることは疑いようの無い事実である。


この感想へのコメント

7.ベアandリーチェ (2008/06/18)
そうですね。
主人公の立場で見ると、自分を成り立たせるためには「子ども」を捨てる必要があったわけですが、捨てられた子どもの立場に立ったら…   と。
夫と子どもを捨てて恋人に走ったから晴美が晴美であり続けそして寂聴となることが出来たのではあるのですが。
8.フィリップ・まろ (2008/06/23)
ひとくちに「子供を捨てる」と言ってしまっていますが、よくよく自分の生活に照らし合わせて考えて見ますに、とんでもないことですよね。その悲壮感、逼迫感、罪悪感が男の僕には少々欠けていた模様です。
ベアandリーチェとの対話でその辺のところがよーく解りました。

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 2

リーラ

著者 : 玄侑 宗久

出版社:新潮社

発売日:2004-08-28

評価 :

完了日 : 2008年06月06日

ここに一カンの握り寿司があるとしましょう。もうちょっと具体的に、イクラの軍艦巻きとでもしましょうか。あの、ヨード卵の黄身のような濃厚で、ほの甘く、そこはかとない苦味が隠し味となった北海道産のイクラと、海苔の風味。そして酢飯の醸し出す味のハーモニー。イクラの軍艦巻きを目前にした、♪寿司食いてぇ、な人は以前に口にしたその味覚を瞬時に頭に思い描くと思います。そして、小粋に手で摘んだ寿司を口に運ぶ。
ところが、オカシイ。食べる前に思い描いていた味が舌に伝わってこない。大脳関係の思考組織が???状態。解析不能でフリーズしてしまう。何故か。実はこのイクラの軍艦巻きは砂糖および、甘味系の食品で寿司を真似て作ったイミテーション・フードだったのである。
外見から判断される味覚と、実際の味の組成に天地ほどの差があり、頭が混乱をきたしたわけでありました。

長々と前説を書きました。
『リーラ』を読むに当たって、僕は、この前説に近い感覚を経験したのです。

僕より先にこの作品の書評を書いていた、盟友、舟橋胡同さんの感想から受けた内容とまるで違っているお話でした。

「自殺した40男に仏の救いが与えられるのかが読みどころ」というような内容の胡同さんの感想。これに釣られて読み始めた僕。40男が自殺した、なんて下りは何処にも出てきやしませんでした。あれれ、おかしいな、と思って、胡同さんの感想をもう一度読んでみると、この人、この作品をまだ読んでないんだね。衝動買いして、本の帯から推察される物語を想像して書いてたみたいです。それが本文からあまりに懸け離れていたのに、そこへ僕が乗っかっちゃった、という筋書きでした。

やれやれ、漸く、ここからが『リーラ』を読んだ僕の感想になります。
サブタイトル『神の庭の遊戯』。
飛鳥という名前の若い女性の自殺と彼女の霊的表出に突き動かされてゆく家族、そしてその周辺の人々の物語です。
各章のタイトルが登場人物の名前になっています。全16章。弟の幸司をはじめ複数回登場する名前がある。しかし、実体の無い飛鳥だけは、各章にその名前が登場するのに、章を請け負うタイトルにはならない。常に誰かの口でもって語られる存在である。このあたりに作者の意図を感じる。
で、この物語を思い切って手短に解説すると、霊鎮めの冒険奇譚、ということにでもなるだろうか。

僕は、何しろ、違ったストーリーを胡同さんから刷り込まれていたので、物語に入ってゆくのに相当な時間を費やしてしまった。
自力にて軌道修正をしたものの、気持ち悪い話だな、との感想に見舞われていた。天童荒太の小説に近いテイストかな。気持ち悪いのに読まずにはいられない、先へ進まずには許されない、虜にでもされた感覚を受けましたね。

それで、最後には弟、幸司とその恋人の弥生の活躍で飛鳥の霊は成仏するのだけれど、清々しさは無い。全体を通してやり切れなさに支配されるな。このあたりも天童荒太の作品に近い感覚だな。

ともあれ、玄侑宗久という作家の可能性は広がりを見せたと言えるかもしれない。
だけど、もうこの手の話はあまり読みたくないなあ、と言うのが、正直な感想ですね。


この感想へのコメント

85.パル2パパ (2008/07/16)
そんな事は、もう既に遣ってるんだよ、というなら、素人の浅知恵です、ごめんなさい。
86.フィリップ・まろ (2008/07/16)
いやいや、アドバイスを感謝しています。日勤者(非常勤)が6名。彼女たちは長くて6時間、通常5時間勤務体制です。そして不思議なのは毎月彼女たちの取りたい休日を優先的に決めさせてあげるところ。夏休み、子供のためにと全休する人もいたり。それでもかまわないけど、それをフォローするシフトを組まなきゃ。そのためには僕は非常勤者を今より倍増させることが肝要だと思います。

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 3

龍の棲む家

著者 : 玄侑 宗久

出版社:文藝春秋

発売日:2007-10

評価 :

完了日 : 2008年06月03日

特別に心をざわめかせる物語の展開がある作品ではない。しかし認知症で徘徊する高齢者の精神世界のありようをうまく表現した作品だったと思う。

10年前に亡くなった僕の父は徘徊老人だった。今また母親に徘徊が出始めている。
痴呆老人が徘徊するのにはいつもそれなりの理由が存在している。
ただその理由が現在形の出来事に由来することが極めて少ない。
随分と昔の、彼らが子供の頃の、或いは青年時代の、時には新婚当初の出来事に触発されて街を徘徊するようである。
彼らが今居る時制とシチュエーションが解からない僕らは対応に慌てふためいてしまう。
今、彼らが彼らの人生のどの時代を生きているかをすばやく見抜くことこそが、徘徊を切り上げて自宅に帰らせるヒントであろう。

父親が認知症になって徘徊をはじめたことをきっかけに、脚本家になる夢を捨てて実家に戻