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フィリップ・まろさんの読書ノート

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 1

クマよ (たくさんのふしぎ傑作集)

著者 : 星野 道夫

出版社:福音館書店

発売日:1999-10

評価 :

完了日 : 2007年12月09日

「いつか おまえに 会いたかった」

極北の写真家・星野道夫のクマへの思いがたった一行の言葉に凝縮されている。

子供の頃、物語の中にいたクマ。
或る日、ふと、町なかの電車に揺られながら、その存在感をひしひしと感じ取ってしまう。
自分は、今こうして町にいるが、クマよ、君はこの瞬間にも見知らぬ山の中で草をかき分けながらのし歩いている、と。

この感覚、すごくよく解りますよ、星野さん。
僕にも、そんな瞬間が度々訪れます。

若い頃、何度もその感覚に襲われて、僕は、自分に語りかけてくる者のその正体を突き止めたくて放浪の旅に出たものでした。

星野さんの場合、正体ははっきりしていました。
そう。クマです。

僕にはクマに会いに行く勇気も決断もありませんが、遠くの僕に語りかけるものの正体の一つはクマであったかもしれません。
星野さんの作品に触れれば触れるほどクマを直に見たくてしょうがなくなってきましたもの。

地上最強の生き物、クマ。
ナチュラリストであり尚且つ、格闘技好きである僕が地上最強の生物に会いたくなるのは当然ではありませんか。
30年まえ、ヒグマと極真会館のウイリー・ウイリアムズの戦いを『地上最強の空手』という映画で見ました。あの戦慄的光景。忘れられません。
勿論、ああ言った、見世物興行的映画の世界にクマを引っ張り出すことの愚かさに気付いていない僕ではありません。
でも、知りたいのです。この地上で誰が一番強いのか。
これは愚昧な男の闘争本能なのでどうかお許し下さい。

話を戻しましょう。

星野さんにとっても、クマは地球上の友人であり、反面、恐怖の対象であったようですね。
正直な方ですね、星野さんって。
それだけ、場数を踏み、クマとの接触を続け、その生態を知ってしまうと、人間どうしても自分がその道の権威にでもなったように錯覚してしまいます。「クマとはかくなる生態を持つ、しかじかの存在である」なんて言い切っちゃいますもの。
実地にクマと対峙するほどの権威者でありながら、その存在を「愛すべき隣人」と捉えるとともに「恐怖の対象」とも自覚するところが僕に尊敬の念を抱かせます。

星野さんがカムチャツカ半島のクリル湖畔でヒグマに襲われた事故。あれにはたくさんの不可抗力と不確定要素が含まれていたことを僕は知っています。星野さんのクマに対する畏怖の念は、自然そのものに対する畏怖の念と何ら変わるものではなかったと僕は信じていますもの。

いけない。
福音館書店の意図する出版理念から大きく外れている感想を書いてしまったかもしれません。
例によって、裏表紙に「小学中級から」と注意書きがあります。
それでも、いい大人にもこんなにたくさんのことを考えさせてくれる良い本です。

クマ。恐いけど大好きな地球の仲間です。


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6.KUMI (2008/06/03)
あはは~♪
なんか、面白いんだよなあ~、まろさんは☆
これだもの。時間かかってもアクセスしたくなるわけですよ

たなぞう君もいままでのサボリ癖を改心したらしく、今日は
以外と早く、お隣のまろさん家まで来れました!
仕事も大事だけど、お茶の時間も大切にしたいんで、間隔あいても遊びに来ますね~♪
(幸い、パンツ一丁でも気にされない所は望ましい)
7.フィリップ・まろ (2008/06/03)
お~KUMI殿じゃ~!
良く来たね。さあさあ、入って入って。お茶でもどうぞ。
あらら、しかし、ホントにパンツ一丁で来ちゃったんだねー。いいよいいよ、そう言ったもんなあ。僕は相変わらずカシミアのスーツ姿で申し訳ないけど。気にしないでくれ給え。
たなぞう君もこれほどたくさんの情報量を処理してんだから仕方がないか。幾らか強靭になったシステムのお陰でKUMI殿が訪ねて来られたんだもの。文句言わないでおくよ。

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 1

ムース

著者 : 星野 道夫

出版社:平凡社

発売日:1988-06

評価 :

完了日 : 2007年12月08日

また僕は写真集の面白い見方を発見したのでご紹介しましょう。

例えば、本書の最初の「秋色のツンドラに、水を飲みながら憩うムース親子。遠くに、北米最高峰デナリ山 (マッキンレー)がそびえている」とキャプションのついた見開き2ページ。

右掌を丸く望遠鏡のようにしてください。それを右目に押し当てます。ほら、子供の頃に、海賊ごっこをしたときみたいにね。でも両手のひらでつくる双眼鏡じゃだめですよ。あくまでも右掌だけで、やってください。

そしてフローリング(畳しかないお宅はそれでもいいですからね)(床暖房のお宅ならなおいいですね。ウラヤマシイ)に広げた見開き2ページを右手のファインダーから覗いてみてください。

どうです?ものすごい臨場感でしょう!まるで自分が極北の写真師にでもなったかのような。

遥か彼方に聳えるデナリ山。そこから沸き立つ雲。視線を少し下げると小高い丘が連なる。ここで風景の色彩が一変する。広がるツンドラの大地。やがて水辺に憩う親子のムースへと視線は集約されてゆく。

肉眼で見た風景から切り取るべきモチーフを選び取り、カメラのファインダーを覗き込んだ星野道夫氏。写真家もおそらくこの状態で幾日も幾日も待ち続けたのでしょう。

そして或る日。星野さんの思ったとおりの場所にやって来た親子のムース。ベストショットの誕生する瞬間です。これはもう写真家の執念に降参した自然がもたらしてくれた天の計らい以外の何者でもない決定的一枚です。

そんなことが、僕の発見した、なんて言うと大げさだけど“右掌覗き窓式風景写真鑑賞術”で解ってきます。
是非一度お試し下さい。


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 7

ひとりずもう 上 漫画版 (1) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

著者 : さくら ももこ

出版社:小学館

発売日:2007-04

評価 :

完了日 : 2007年12月03日

思春期から青春時代のさくらももこのお話。

子供から大人へと急速に変化してゆく心と体。
自分でも如何ともし難い心と体。
変だな、おかしいな、と思いながらも制御できない心と体。

自分は何処から来て、何処へ向かっているのか。
自分のことなのにそんな基本的なことすら解らない。

この年頃の自分ほど厄介なものはない。

流れにまかせて無抵抗に流れているのが一番の得策か。

でも力一杯生きている級友がいる。
青春真っ只中に燃えている級友もいる。

なのになんで自分だけが…。

でも、それも青春。

少女時代の妄想とおふざけと一粒の邪気を含んだ無邪気さと天真爛漫さがここでは顔を潜めている。

漫画版の上巻であるからには下巻も出版されるのだろう。もしかすると既に出ているのかも。読んでみたい。もやもやするけれど。

もやもやする作品だけど、ここを通り過ぎてきたからこそ、さくらももこがさくらももこになったのだと思う。さくらももこが作られたと言うか。

気に入ってしまうと全部を知りたくなる僕としてはこうした「ちびまる子ちゃん」であるさくらももこのアンチテーゼの部分も読んでおかないと何も言えねえよなあ。

だいじょうぶ。また『あのころ』のさくらももこは戻ってくる。


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5.かつら (2007/12/07)
は、早いですねぇ。落札できましたか?
また感想楽しみにしています!

トークショーの写真で、はまじを見たのですが、あの漫画の面影ありましたよ(笑)あのはまじが・・・といろいろ妄想してしまいました。
6.フィリップ・まろ (2007/12/08)
おかげさまで落札いたしました!
仕事を終えてお風呂でのんびり読める肩の凝らない本がこれで5冊となりました。
しばらく安泰です。

はまじ、自分の道を見つけて頑張ってるんですね。
僕も来年は次の道に移ることになりました。
恫喝と威嚇、謝礼と叩き合いの業界から脱出です。

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 4

憧れのまほうつかい

著者 : さくら ももこ

出版社:新潮社

発売日:1998-11

評価 :

完了日 : 2007年12月02日

さくらももこを集中的に読んでいる。
気になる本が一冊あるとすぐヤフオクで調べてみる。すると、たいていが纏めて売り出されており、目的の本以外にも何冊も付いてくるから落札後は立て続けに読まざるを得ないのだ。嫌いじゃないので、いやいやそんな消極的な話ではなく、好きなので手に入れた本は全部読む。この季節、お風呂で長湯しながら読むのに、さくらももこモノは持って来いなのである。

『憧れのまほうつかい』もその中の一冊。だが、これは大当たりだった。
まず装丁の綺麗なこと。表紙を見ているだけで楽しめる本っていいな。さくらももこはエッセイも名人芸の域に達しているけれど、一冊まるごと時間的かつ空間的に何かを追求する紀行文も唸らせるものがある。さらにこの著書には物語が詰め込まれている。ページのあちこちに挿入されたイラストが目を惹き付けた。

「私がその素晴らしい作品を発見したのは高二の冬であった」
そして、さくらももこの、絵本作家エロール・ル・カイン探訪の旅が始る。

「原画を見にいく」旅の始まりは信州。ル・カインの原画の収集家が小淵沢にいるのだ。
今、僕は「収集家」と呼んだが、実は「篤志家」と言った方が正しいだろう。
金に物を言わせて将来価値が出そうな作品を利殖目的に買い荒らしたのではない。
ル・カイン没後、彼の絵の価値を理解しない夫人が、二束三文で売り出していたのだ。
ル・カインの原画が散逸するのを防いだのがこの日本の収集家であった。
しかも彼は買取り後もル・カインの未亡人に生活費を送り続けていたと言うのだ。「収集家」では納まるまい。「篤志家」である。

この篤志家の所蔵するル・カインの原画が『憧れのまほうつかい』に挿入されている。物語性をたっぷりと含んだ飽きの来ない細密画だ。

旅は「ウェッジウッドの町」へと続く。なるほどウェッジウッドの陶器の文様はル・カイン的であり、さくらももこ風でもある。さくらももこのル・カイン探訪の旅がいよいよ本格的に始動する。

ロンドンに戻ったさくらももこは「イアン・キールさんの家に行く」。この人は生前のル・カインと交流があった人。生前の仕事振りやその人格の純粋さを語られ、さらにル・カインに魅せられてゆく著者。

「ロンドンの街とペニー・シンプソンさん」の章では自作を差し上げたところ、あなたのイラストには如何にあなたがル・カインのことが好きかがよく出ているわ、と言われ、ほろりとする一幕も。

しかし、帰りの飛行機の中では、買いそびれたエナメル人形のことで後悔が一杯の、いつものダメダメ女さくらももこに早くも戻っていることに、僕は大いに共感を覚えた。


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4.フィリップ・まろ (2008/06/02)
浅学にて「パスティーシュ」なる言葉を初めてお伺いしましたので、さっそく「ウィキペディア」で調べてみました。「作風の模倣」と言う意味ですか。なるほど。僕は模倣というと「エピゴーネン」しか知りませんでした。他者との対話はこういった知識の広がりが着いてくるので好きですね。
「パスティーシュだよ!」
「あたりまえじゃん!」
「でもなんだか楽しいね♯」
「うん、体が疼くよ◯」
5.ryoukent (2008/06/02)
パスティーシュ はわたしの好きな作家「清水義範」が得意とする作法です。結構難しいらしく、国内では清水義範に次ぐものが居ないのだそうです。ある意味独創性は無いですからね。
たなぞうの調子が良くなってきた。どうかこのままでいて欲しい。

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 1

アラスカ―極北・生命の地図

著者 : 星野 道夫

出版社:朝日新聞社

発売日:1990-04

評価 :

完了日 : 2007年12月02日

奇跡を体験した。

何時もの週末のように、愛チャリ・ブルーインパルスに跨り、図書館へ。
ここで星野道夫の『ムース』と表題作を借りた。

帰路、公園をぶち抜くコースを選んだ。そして初冬の風は冷たかったが日差しがあったので、公園内の芝生にでんと腰を下ろした。

『アラスカ』は」デッカイ写真集だ。しかし、広大な原野の写真としてはこれくらいデカイほうが臨場感に触れやすくなると言うもの。チャリのかごからは半分くらいはみ出してはいるが、なあに人目を憚る写真集じゃないから、どうぞ皆さん見ておくれ、ってなもんだ。

芝生に腰ををろして、ひと時、冬の散歩道の休息を取って帰ろうとした。が、かごからはみ出したデッカイ『アラスカ』が気になり、取り出した。

チョイ見のつもりが、結局、最後のページまで。

ここで、奇跡が起こることになるとは…。

この本の大半はカラー写真集。終盤に少し星野氏のエッセイが挟み込まれ、最期に写真のモノクローム小型判がそれぞれの写真の説明とともに掲載されている。
カラー写真の部分が高級アート紙を使っているのに対して、説明のところは少し厚手の上質紙が使われていた。僕はもと印刷会社の営業マンだったのでその辺りは一般の読者より詳しい。

最後のページには3枚のオーロラの写真。そして次をめくると、本の奥付がある。
ところが、この3枚のオーロラの写真の部分だけ、裏側には写真も文字も何も印刷されていなかった。このことが奇跡の重要なポイントだった。

僕が、奥付のある最終ページをめくった時、青空が広がる公園の一部に一片の雲が流れた。そしてすぐに雲は風に飛ばされたようだ。

ここで奇跡が起きた!

モノクロームのオーロラの写真が奥付のページの白紙の部分に、冬の日差しと一片の雲のイタズラで裏映りしたのである。
日差しから雲、そしてまた日差し。この光のグラデーションに写真のオーロラが呼応して動いたのだ!

僕は、一瞬、自分の目を疑い、次の瞬間、自分の目とともに奇跡を信じた。

「こんなことがあるんだ!」

これは間違いなく、星野さんからの僕へのプレゼントだろう。星野道夫を薦めてくれたKUMIさんには申し訳ないけど、お先に星野さんからクリスマスプレゼントを頂いちゃいました、って感じだった。

『アラスカ』写真もいいけど、短いエッセイがとてもいい。写真家であり、ナチュラリストであり、思想家、冒険者、文章家でもある星野道夫がこの本には余すところ無く表現されています。


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6.KUMI (2007/12/05)
それは、まろさんと、私の性格がめちゃめちゃ似ているから
ですよ♪書く事も読む事も、お話する事も大好きだし、興味のあるものも、似ているじゃん。
最近、毎日の様にお話しているのでなんだか、交換日記みたいだな、と思い始めてたりして。
(に、しては良く続くよね~。しゃべりすぎか?!)
『魂のパートナー』って、なんか運命的な感じがしすぎて
照れちゃいますよ。
7.フィリップ・まろ (2007/12/07)
この際、照れくささなんて捨てちゃいましょう。でないとやっぱり照れちゃうからね。

それにしても、不思議な運命に導かれて、僕はあの時本当に、オーロラを見てしまったんです。しかもあんな形でね。

そうそう、この本の文章のことをもっと言っておくべきだ。
ほんの数ページ。その中に星野さんの思いが濃厚に凝縮されています。濃縮されていながら胸焼けするようなしつっこさはない。見事な文章です。名人上手。文の達人です。

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 1

ちびまる子ちゃんの俳句教室 (満点ゲットシリーズ)

著者 : さくら ももこ,夏石 番矢

出版社:集英社

発売日:2002-03

評価 :

完了日 : 2007年12月01日

あたしゃ、とうとうこんなところまで来ちまったよ。
これって、小学生を対象とした俳句のマニュアル本ではないの。
しかし多少なりと俳句を齧る「短詩型文学の貴人」を自称する僕。俳句と初めて接する小学生の目線で書かれた本書に「うん、こういう親しみやすさが次代の俳人を生むのであろうな」と応援したくなった。

僕もいずれはまとまった小説を書きたいと思いながら、齢、既に50歳。仕事と書き物の両立の難しさに嘆いている。
小説は陸上競技で言えばマラソンだ。仕事という鉄人レースに参加している僕にはもはやマラソンに出場する気力も体力もない。

しかし、何らかの競技には出たい。パフォーマンス力はまだまだ若いものには負けやしない。
と言う事で、短距離を選択した。
イカサマ歌人、フィリップ・まろの誕生である。
またこのイカサマ師は川柳、俳句にも聊かの見識と技術を持っている。
つまり「わかる」ということである。

本書は、俳句ってなんだろう、というレベルから、その成り立ちを解説し、次ぎに、芭蕉、蕪村、一茶、子規の俳句の紹介と、先人たちの生涯がやさしく語られている。この俳句作品の裏には、作者のこういった体験が生きているんだ、とわかる。

中に、小学生の作品が挿入されているが、これがいいのだ。幾つか紹介しよう。

   とびばこで足をひらくと空にいる
   しんぞうがぼくよりさきに走ってる
   なわとびの中に入って風もとぶ

一句目。この9歳の少年は跳び箱を宇宙ロケットの発射台に見立てているのである。「えいっ」と手を付き「やっ」と足を開いた瞬間、この子はロケットになって空に舞い上がったのである。

二句目。男子10歳。解ります、その気持ち。だって心臓って、いつもフライングしてしまうよね。まだ自分はスタートラインにも付いていないのに、心臓は走り出しちゃってる。

三句目。8歳の女の子。この感覚も好きだな。本来縄跳びって一人でするものだけど、調子よく跳べてる時って、地面や空気や風が一緒に飛んでくれているみたいに感じるよ。

ただし上記の三句には季語がない。切れ字も。これでは本来の俳句は成立しない。でもね、こうやって表現して、言葉をまとめてみるところに始めるのが上達の近道だと思うのです。

本格的に俳句をやりたい人は、やはり五・七・五の定型句、季語、切れ字の約束事を守らなくちゃね。絶対に入選句には選ばれませんよ。あしからず。


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2.船橋胡同 (2007/12/01)
なに くそ俳人が迷ってるのですか!?浅田次郎先生も曰く、
本を書く人は大器晩成が良い!経験も少ない苦労も知ら
ない若者の作品は薄っぺらだ。これからは、老年社会。
日本の歴史と国語を理解してる人の文章が世界に受け入れられます。
世界から見て 今の日本の風潮がおかしいのです。
まろさんは後50年は生きる。じっくり行きましょう。
今日別の人に資産3分割の事を書いた。これから勉強です。
3.フィリップ・まろ (2007/12/01)
はっ、はやいっ!
書評を書いて、お昼ご飯の残滓の洗いものを片付けつつ、コブクロの『Million Films』を歌って浮かれていたら…。
ナント2件もコメントが。
そしてどちらも「まろのバーロー!」的内容。
でもパル2パパさんのご意見も、胡同大兄のお言葉も、ものすごく正当な反論で気持ちがいい。
先哲曰く「俳句は第2芸術」と。
胡同大兄のお言葉に従って、後50年以内に何らかの結果を出しますか。

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 2

あのころ

著者 : さくら ももこ

出版社:集英社

発売日:1996-07

評価 :

完了日 : 2007年11月30日

表紙の絵が歪になっているのは、卵の殻を利用したモザイク絵だからである。このため著者は温泉卵を三つ食べたそうである。それでも足りなかったので家族にもお願いをして卵を食べてもらって、殻を集めたと言うのだ。

何故さくらももこは卵の殻を集めるのに坂東英二に協力依頼を要請しなかったのか。

「ボクは新大阪から東京駅までの新幹線の中で、ゆでタマゴを6つは食べるでえ。ゆでタマゴ大好きやわ。あれ美味いわ」

何時も何時も新幹線の中で食べるゆでタマゴが坂東英二の話題の中心であり、彼の最大関心事であるのに。

さらに話は飛躍するが、最近、ナイナイの岡村がその坂東英二のモノマネをしている。これが実によく特徴を捉えている。岡村のモノマネでは“みのもんたバージョン”が気に入っているが、“坂東バージョン”も捨てがたい面白みと芸術性を感じる。

さくらももこが今度また卵の殻を利用した大作に取る組むことがあるなら是非とも坂東英二に材料調達を依頼すべきである、と僕は声を大にしてアドバイスしておきたい。

本編は漫画『ちびまる子ちゃん』ではどうしても描ききれなかった「あのころ」のおもしろ話をエッセイの形を取って発表したものである。

「テキヤ」のオヤジに引っ掛った経験から人生を学習してゆく、との話に始まり、「夏休みの宿題」にズルをした思い出。トイレが気になって「遠足ぎらい」になるお話。親友タマちゃんが見つけた「ツチノコ騒動」。涙の「自転車の練習」。そして僕が一番気に入っているお話である「物をなくす」。

どれを読んでみても、心当たりのあるものばかり。つまり、「自分も『あのころ』そうだったよなあ」と思い当たる節のある出来事ばかりなのである。

6年間の小学生時代って50歳である今の僕が思うと、実にまったくもう、あっと言う間の歳月である。しかし、小学生であった当時の僕にとって6年間は永遠に続く時代であるように思われてならなかった。

『あのころ』考えていたことは、世代や地域、貧富の差に関わり無く、この本に詰まっているようなことだった、と断言しちゃいます。


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 4

ももこの話

著者 : さくら ももこ

出版社:集英社

発売日:1998-07

評価 :

完了日 : 2007年11月24日

やはり、さくらももこは、子供の頃の話が面白い。
彼氏がどうの、結婚が決まったの、やれ離婚で御座る。なんて生臭いゴシップ話は読者を引かせるほど、文章にも表現にも冴えが無いね。コクが無ければ、キレもない。そんなビール、飲みたかないね。
ただ妊娠、出産の話『そういうふうにできている』は傑作であったけれども。

この本の帯にも書いてある。「テーマは読者期待、作者得意の『子供時代』」だって。
なーんだ、出版社サイドも著者自身も僕と同じことを思ってんじゃないか。

「風呂で歌をうたう」のお話が好きだな。
僕も小学6年生まで娘と一緒にお風呂に入っていた。
僕は昔、フォーク・シンガーだったので、あっ!ウソウソ!フォーク小僧だったので、歌を歌うのが大好き。で、毎日、娘とお風呂で歌っていたものです。
娘が小さかった頃は、メロディは知っていても判らない歌詞が出てくるとそれなりに誤魔化して歌い切った。でもあっちも日々成長する。そのうちに理屈の合わない歌詞にクレームをつけるようになる。「お前は、営業マンの小さなミスを見つけたらイジメたくなる顧客か!」と僕も応戦した。

それからさらに娘が長じてくると、あからさまに歌詞の間違いを指摘し始めた。こうして娘に歌詞を教わることになり、いつしか主客が転倒してしまっていることに気付く。
そしてこの作品の中の父ヒロシと同じハメになる。
何度教えられても覚えられない。かすってはいるのに正確な歌詞が出てこない。

そう言えば、昔、少年だった頃、父親がデタラメな歌詞で僕の好きな歌を歌っていると、矢鱈と腹が立ったものであった。「真面目にちゃんと歌え、バカ!」なんて。

でも、今考えると、父親は別にふざけていた訳ではなく、精一杯いい調子で歌を楽しんでいたのだ。それが今の僕になら解る。よく言えば、大人になったという事であり、ネガティブに考えると、年を取っちまったってことかな。

とまあ、そう言った、どのご家庭にでもある思い出話が各章に綴られている。小さな、つまらない、取るに足りない家庭内での出来事。でもそれらの一つ一つが家庭の歴史なんだなあ、と思うと、お話の一齣でさえ愛しくなってくる。
さくらももこは家族のささやかな歴史の1ページを再現する名人である。


この感想へのコメント

1.オヤオヤもんど (2007/11/26)
さくらももこさんは、すばらしいエッセイストですよね。私も漫画とエッセイを何冊か読んだ記憶です。さて、県図書館でおとりよせの市民大学2003の『曼荼羅』を、ついに読ませていただきました。もっとむずかしい内容かと想像していましたが、メールという形で、わかりやすく、浅野弥衛さんの抽象画の世界を、思いながら、読ませていただきました。そして、最後の一行にて、もう一度、絵の前に導かれていくような印象です。
2.フィリップ・まろ (2007/11/26)
あっ、どーも、どーも。ご苦労をお掛け致しました。そして拙い小品をお読み下さり、心より御礼申し上げます。
夭折してしまいましたが、浅野弥衛さんの次女が僕より一年先輩で、仏文のオーソリティでした。エッセイも矢鱈と旨くて、僕は他者の作品は一度きりしか絶対に読まないのですが、彼女の新聞連載記事は何度も目を通しました。彼女の叔父、つまり浅野弥衛の義理の兄が文芸評論家の清水信です。小林秀雄の愛弟子です。
 

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 83

新釈 走れメロス 他四篇

著者 : 森見 登美彦

出版社:祥伝社

発売日:2007-03-13

評価 :

完了日 : 2007年11月23日

試みが面白い。

『山月記』『藪の中』『走れメロス』『桜の森の満開の下』『百物語』。以上の五編の古典的小説を現代版に焼き直しした作品集である。

どの作品も舞台は京都。
『桜の森の満開の下』で森見は初めて作品として京都を抜け出し東京に舞台を移す。が、すぐに京都に戻ってくる。東京での風景描写に筆の冴えを感じなかったのは僕だけであろうか。著者がおっかなびっくり自分のテリトリー外の見知らぬ街に迷い込んでしまったって感じを受けたなあ。

以前NHKテレビの『トップランナー』と言う番組で「まだしばらくは京都から出る気はない」とのコメントを述べていた。
著者の発想の原点、プロットの出発点、作品のモチーフが京都での学生生活に大きく起因していることがわかる。
そして同様に学生時代を京都で過ごした僕のような読者にはそこがたまらなく懐かしく、郷愁をそそられる。

『山月記』が好きだ。原作もフィクションに違いないのに、その立場に立ってみたら虎にでも成り得るやも知れぬ、と単細胞の僕は深く感じたものであったが、『新釈』の主人公が天狗になってしまったのも信じられちゃう頭の人であるよ、僕は。

『走れメロス』はお得意のモリミー・ワールド炸裂って感じの作品だ。
お馴染み「詭弁論部」「図書館警察」「自転車にこやか整理軍」「パンツ番長」「象の尻」。
「友の友情を信じない」と言うことを信じ続ける歪んだ友情の物語。
これだけそろえば、ドタバタ喜劇は自ずとそのスピードを増しつつ大団円へ。京都大学界隈から時計台の方面へと突き進んでいかざるを得ない。

どれもこれも原典を読んであると面白みを増すが、新しい作品集としても楽しめる。

でも僕は、『夜は短し歩けよ乙女』のカメラ台数を増やした多角度的撮影、じゃなかった、多角度描写の方に軍配を上げますね。


この感想へのコメント

1.かつら (2007/11/28)
私も「山月記」が大好きです!原作の漢字だらけの難解な文体も山中の雰囲気も科挙試験の難しさなどなど、あの短編の中でたっぷり味わえて好きです!
新釈は、メロスと山月記がモリミー節とも相性いいんじゃないかなぁ。など思いました☆
夜は短し・・・まだ読んでいないのでこれも楽しみです!
ホルモーの続編もでたし、京都モノ熱いですよねぇ
2.フィリップ・まろ (2007/11/29)
あっ、ほんとですか?『ホルモー』の続編が出てるんですか?
僕は自分の書評に「シリーズものにすれば日本の『ハリー・ポッター』になったかも」って書いたくらいに、あの作品が好きなんですよ。
近頃、BOOK OFF か図書館にしか行ってないので、この終末には本屋さんに行って調査してきます!
 

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 4

まる子だった

著者 : さくら ももこ

出版社:集英社

発売日:1997-09

評価 :

完了日 : 2007年11月18日

帯びに「テーマは十八番の『子供時代』」とあります。

賢明にして勉学熱心な“たなぞう”関係者であればもうご存知だと思いますが、「十八番」は「おはこ」と読みます。

『まる子だった』のテーマが「おはこ」なのですぞ!これはもう読まずにゃいられないじゃないですか。

だいたい前々から僕は「さくらももこは現在を語らせるより、小学生時代を語らせたほうが面白い!」と言ってきたではありませんか。
どうして人のアドバイスを素直に受け入れられないのですか、あなたたちは!
じゃあ、何故こんなに共感できるのか、判っているのですか!
それは誰もが子供であったからですよ。幼年期の桃源の夢想が再度ここに体験できるからです!
そんなことも知らなかったのですか、あなたたちは!まったく、もう!

すみません。興奮してしまいました。ご無礼をお詫び申し上げます。

エッセイの一つ目。『うわの空の詳細』。
笑えますが、僕にとっては他事じゃない。いや僕に限らず「実は自分も…」と言う人が結構居るんじゃないですか。今これを読んでくれているあなたもそうじゃないの?

僕の場合ひどくって、今でもそう。『うわの空症候群』って病気かもしれない。
あっ、そうか!僕が現に、もっかパニック障害を抱えているのは小学生時代に妄想ばかりしていた『うわの空』が一因しているのかも知れない。

ま、僕の病気のことはどうでもよろしい。

さくらももこの本で、まず気に入っているのはその表紙です。手にとってゆっくりじっくり観察してみてください。今回のものはフェルトで描いたまるちゃんの絵です。これ、著者が自ら作っているとのこと。楽しいじゃないですか。まさに手作りの本なのですね。

ということで僕は歴としたオッサンですがこの本を推薦する次第であります!


この感想へのコメント

1.パル2パパ (2007/11/27)
ハマッてますねぇ(^^)アニメを観ていると、不思議に思う点が幾つか。まる子は何故、まる子なのか?ももこという本名が或るにも関わらず、親兄弟も友達も全てニックネームで呼ぶ、友造爺さんと父ヒロシは名前が公表されているが、他の出演者の名前が不明。その辺が全て判明する著作を紹介して下さい。
2.フィリップ・まろ (2007/11/30)
お答えいたします!
「まる子」が本当は「ももこ」なのに何故みんなにそう呼ばれているかは、多分、コミックの第1巻に載っていたかと思います。お姉ちゃんやお母さん、お婆ちゃんの名前も何処かで読んだ記憶が…。
それと、「さくらももこ」と言う名前も筆名のようです。
また、友蔵は、実際には嫁いびりをする嫌な爺さんだったらしいです。それをさくらももこが自分の都合の良い祖父として神格化したのが漫画の友蔵だそです。
 

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 6

さくら日和

著者 : さくら ももこ

出版社:集英社

発売日:1999-07

評価 :

完了日 : 2007年11月17日

ページを開くとのっけから、自らの離婚騒動の顛末、というか、報告。

「えっ?じゃあ、今まで書いてきたあの新婚生活、夫婦生活の話って何だったの?!」
と糾弾したくなった。

しかし、だ。一寸先が判らないのが人生である。

僕だって、大学を出て、10年プータローやって、結婚。10年社会人を勤め上げ、社長と喧嘩して退職。ここで第一次離婚危機に遭遇。
その後、第二次、第三次の離婚危機を乗り越えてきた。
その都度、僕ら夫婦はとことん話し合って、和解。現在は子供たちも、それぞれ大学、高校へ通っている。

と、書くと今は幸せな家庭でいいじゃないか、って感じだが、来年2月末頃ただ今勤めている会社を諸々の事情で辞めるつもりでいる。
ああ、どうなってしまうのか我が家…。

現在の有りようから憶測されて、過去が全てウソや虚構であったと思われるのは、甚だ迷惑であり、邪魔臭い。
「あんときゃ、彼を愛していたし、その愛が永遠に続くものと信じきっていた。まさか、自分でもこうなろうとは…」さくらももこはそう思っているのだろうな。

離婚の報告はちょうど2ページ。たったそれだけにコンパクトにまとめて、お仕舞いにしようとしたことに喰い付き過ぎた。
「離婚の報告は、以上」
とのことなので、僕のこの件の感想も、以上。

さて、本文。
期待したほどじゃなかった。
さくらももこは概して現在を書くよりも、小、中学生の頃のお話の方がうんと面白い。共感できる。特にまだ世の中の訳がわからない小学生時代。永遠に続くかと思われた時の流れの中で、夢を見たり、現実に打ちのめされたりしては、何らかのものをしっかりと掴み取って成長してゆく子供。「ああ、これ、自分と一緒だ」と思いながら読める楽しさ。それがさくらももこの一番の魅力だ。

新福さんのくだりは面白いが、素人っぽい。僕らおふざけ人生の中ではよくある、またよくやる話。でもこれは結局、楽屋落ちネタでしかない。楽しさの伝わり方が薄いね。

子供のネタでは笑っちゃったけど、ただそれだけ。

小学生時代を語るさくらももこには、人に共感させるもっと特別なものが内在されている。それは小学生時代を生きてきた者から、現在その真っ只中にいる者まで全てに共感を持たせる力のあるものだ。そして僕はさくらももこからそんな小さな話をたくさん聞きたいのだ。


この感想へのコメント

1.パル2パパ (2007/11/18)
まろさんの書評を読んでいると、つい引き込まれそうになって困ってしまいます(^^;)他にも読む本が沢山或るのに、そんなに手を付けられないよぉ。いずれさくらももこも手にとってみようと思います。
2.フィリップ・まろ (2007/11/18)
嬉しいコメントをありがとう御座います。
僕の場合、書評と称しながら、その辺りにまつわる自分勝手なエッセイを書いている、というのが本音です。
ですから、トップページの自己紹介でも「スーパー極私的書評」なんて変な言葉を作って、自分のカテゴリーとしたのです。
でも喜んで頂けているなら幸いです。
そしてこのスタイルはずっと変わらないと思います。
 

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 1

未来への地図―新しい一歩を踏み出すあなたに

著者 : 星野 道夫

出版社:朝日出版社

発売日:2005-04

評価 :

完了日 : 2007年11月11日

大田区立田園調布中学校で行われた講演の模様の出版化である。

この本の解説で柳田邦男がこう言っている。

「星野さんは、写真家であってただの写真家ではない。エッセイストであって、ただのエッセイストではない。探検家であって、ただの探検家ではない。思索者であって、ただの思索者ではない。それらすべてを兼ねそなえた文明批評家とでも言おうか」

まさにその通りだと思う。
写真家だけでも、文章家だけでも、冒険家だけでも、哲学者だけでもなく、オールラウンドの表現者、それが星野道夫である。

若き日、旅人としてアラスカに行ったときの事。そこが自分にとって旅する場所ではなくて、住まうべき場所であると認識し、移住する決意を固めることになった経緯が中学生にも判る言葉で書かれている。

妻である星野直子の「おわりに」の一文も見逃せない。

「夫には若い人へ伝えたい二つのメッセージがありました。一つは、なるべく早い時期に、人間の一生がいかに短いものかを感じとってほしいということ。もう一つは、好きなことに出会ったら、それを大切にしていってほしいということです」

『未来への地図』は、若い君たちが君たち自身の手で書いてゆくのだ、と訴えている。現に星野道夫は青年期から自分のための未来への地図を、広げられた白地図に書き込んできたのだ。

サブタイトル『新しい一歩を踏み出すあなたへ』はなにも中学生に向けただけの言葉ではない。
大人にも、明日から始まる新しい一歩を踏み出す勇気を持って、とのメッセージを送っている。星野道夫からのエールをしかと受け止めて明日を迎えよう。


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 2

森へ (たくさんのふしぎ傑作集)

著者 : 星野 道夫

出版社:福音館書店

発売日:1996-09

評価 :

完了日 : 2007年11月11日

裏表紙に「小学中級から」と断り書きがある。
こういうのって必要なのだろうか。
とりあえず僕は規定以上の年齢なので読んじゃったけど、小さな子供が読んだって一向に差支えがない本ですよ。いや、むしろ、この生物の連鎖というか、連関と呼ぶか、輪廻と表現すべきかのお話は、幼い子供にこそ聞かせてあげたいなあ。

昔、僕らはおじいちゃんやおばあちゃんに自然への憧れや畏れを教わったものです。手に取ってみるべきもの、近づきすぎると大変な目に合う物を、そうして教わってきたもの。

ちょっと過激な意見かもしれないけど、よく「危険。ここで遊んではいけません」って看板を見かけますよね。そこって、僕らが子供だった頃には、絶好の遊び場でした。
危険なものに蓋をして安全対策とするよりは、危険なものが「何故、危険なのか」を身をもって体験させてあげるのが本来の教育じゃないのかなあ。危機管理能力は危険な目に会ってきた人ほど高い気がするね。

とまあ、これはこの本の内容に若干、一致することでもあれば、大きく外れちゃってることでもあるので本来の書評に戻りましょう。

この本に生命の連関を感じました。
僕は昔、長良川河口堰建設反対運動家でした。
当時の僕らの合言葉は「森は海の恋人」でした。そして川はその仲立ちを務めている、と考えていました。山で作られた豊富な栄養分が川を通じて海に流れ込む。そして豊穣の海をこしらえ、様々なプランクトンや魚や海洋生物を養う、というものです。
これは思想ではなくて生物学的食物連鎖の単純な構図です。それを人間の利権と経済の優先で断っていいものか。いいわきゃないのです。

そんなことがこの本には書かれてはいません。
でも、間接的にそれを写真と文章で訴えています。
地球規模の歴史、或いは生物的歴史、そしてインディアンの歴史を語っています。

海から森に入り込み、川を遡ってさらに深い森に潜り込み、また同じ道を確認しながら海に帰ってくるだけのお話。
それだけ。なのに僕は、日本から遙々とした場所の、考えられない永い時間にたゆとい、たくさんの発見をしました。


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2.フィリップ・まろ (2007/12/08)
釈迦に説法です!
と言いたい所ですが、浅学にして畠山重篤氏については存じ上げておりません。
僕のダムファイターぶりも「椎名誠のファン→怪しい探検隊が好き→いやはや隊は遊び上手で好感が持てる→野田知佑の生き方にロマンを感じる→野田さんは川のことを真剣に考えている→我が地元には長良川がある→ここは一丁何かしなくては」といった単純な構図の成れの果て程度です。
畠山さん、猟師作家って言うのがいいですね。
3.フィリップ・まろ (2007/12/08)
パル2パパさん、ごめんなさい。
畠山重篤氏は“猟師”ではなく“漁師作家”ですね。
でももし、猟師作家がいたなら、漁師作家の畠山さんと対談してもらって、もっかの日本の海山川の状況について語って頂きたいですね。

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 1

アラスカ 光と風 (福音館日曜日文庫)

著者 : 星野 道夫

出版社:福音館書店

発売日:1995-05

評価 :

完了日 : 2007年11月10日

大好きな星野道夫の著作なので評価点を厳しくした。

20年前に出版されたものに追記して、さらに10年後に再出版された本である。

あとがきに「今読み返してみると、文章に不備な点がたくさんありますが、アラスカの旅が始まったばかりの当時の自分の姿がそこにあり、あえて書き直しをしませんでした」と記されている。

確かにここには星野道夫とアラスカの出会いと、その思いの育みが窺がえる。
しかし、まだアラスカは星野道夫にとっての旅の場所に過ぎず、生涯の棲家とはなっていない。
その分だけ名文家・星野道夫にしては言葉に魂の力が感じられない。
人はどうも住まう土地からさまざまなパワーをもらって出来上がってゆくものらしい。

エスキモーに許されて鯨を獲りに行く機会に恵まれる。この最大の好機にウミアックという鯨獲りの舟にに乗り遅れてしまう星野青年。
カリブーの群が近づくのをじっと待つ原住民の気持ちを、まだ旅人気分で理解し得ない星野青年。
オーロラの写真を撮りたいがために厳冬期のマッキンレー山の麓にキャンプサイトを築いた時に、その慰めとなったのが日本の雑誌の1ページ。熱々の湯気を湧かせた紀文のおでんの宣伝のページであったり。

これらの出来事を笑ってはいけない。青年の行動力に失敗はつきものだ。また、気付きや責任感の希薄さも青年には許されるべきものだ。誰だって、無責任で、無思慮、無分別なのが青年期である。

しかし、その後の星野道夫のアラスカへの思いは原住民のそれと変わらないことを我々は既に知っている。
そういう意味で『アラスカ 光と風』は星野道夫の第一歩であり、読者が彼を知る上での第一歩でもある。


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14.KUMI (2007/12/11)
何かと失敗の多い私は、「人間だもの~♪」と、言っていつもごまかします♪だから、相田みつをさんの存在は私には
絶対必要なのです!!
ところが最近、主人もさるもの、「人間だものっていうより
KUMIだもの、だろ!?」と、反撃してきました。
いや、確かにそうなので、反論できないよー!!
相田みつをさんがだんな様なら、奥さんは幸せかな?
15.フィリップ・まろ (2007/12/12)
KUMIさんの言い訳、良いねえ。とっても可愛いですよ。僕なんて妻からそんな言葉を聴いたらすぐ許しちゃうダメ亭主です。
だけど、今回はご主人に分があるね。
座布団一枚やっとくれ~!の一言だね。
うん、己が配偶者の実態を知悉した者の実感の籠もった言葉だ!

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 9

そういうふうにできている (新潮文庫)

著者 : さくら ももこ

出版社:新潮社

発売日:1999-06

評価 :

完了日 : 2007年11月10日

探し続けていた『永沢君』をヤフオクで見つけ、オークションに参戦。
「おーし、談合無しで僕が落札するんだかんな!」と気合充分で立ち向かったが。競合相手は誰も折らず、すんなりと決まってしまった。
そん時にプレミアとしてくっついてきた5冊のうちの1冊がこれ。

おまけなのに読んでみると、こいつがなかなか読み応えのある力作ではないか。

そりゃそうだ。
女性にとって、女性性を根源から考えなければならない“出産”についての本なのだ。

書き方で気持ちが良かったのは、最終的に「女性の幸せは出産、子育てにあるのです」なんてことに落ちなかったところ。江戸だか、明治だかの『女大学』の時代じゃないんだからね。

出産、子育てを人生の喜びとして選択する子だくさんの夫婦が次代の日本国民の民族保存に協力してくれていることは解る。ありがとう、とお礼を言いたい。
しかし、それを選択せず、或いは選択したくてもできずにいる夫婦だってこの国に居たっていいのだ。いやむしろ、そんな夫婦が居られる国の方が何だか信用ができるし、安心である。僕の友達にもダブル・インカム・ノーキッズでとっても幸せに暮らしている夫婦が何組も居る。彼らは、彼らの理由と事情でその道を選んだのだ。そして幸福を味わっている。出産と育児が夫婦の究極の目的、完璧な姿ではない。

そこのところを、きっちりと踏まえた上でこの本が書かれていることに注目したい。
日本国政府御用達の出産、育児本じゃないと言うこと。
単にエッセイストで漫画家である“さくらももこ”個人の体験談であること。そのことが重要であると思う。

ただし、さくらももこの個人的体験談が、読み進むうちにさくらももこ自身に与えられた、というか、決められていた“そういうふうなもの”に支配されていたことに気づく。それがこの本の要諦である。

『そういうふうにできている』

単純な言葉だけど、この世の中、僕らを取り巻く自然の中には、そういうふうにできていることがいっぱいあることを気づかせてくれた1冊でした。


この感想へのコメント

1.madi (2007/11/10)
さくらさんはお姉さんが独身のはずですから、そのへんの気配りができてたんでしょうね。
2.フィリップ・まろ (2007/11/10)
madiさん、コメントをありがとう御座います。
僕は自分が、直情径行にあり猪突猛進型の性格なので、できる限りそんな自分にブレーキをかけつつ、多角的視野で文章を書くように務めています。
そうでしたか、さくらももこのお姉さんは独身ですか。なるほどそれで著者も僕と同じでドドドーッ突っ込むタイプなのに抑制が効いていたのですね。
貴重な情報をありがとう御座いました。
 

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 3

星野道夫 永遠のまなざし

著者 : 小坂 洋右,大山 卓悠

出版社:山と溪谷社

発売日:2006-09

評価 :

完了日 : 2007年11月03日

カムチャツカ半島、クリル胡で起きた事故の真実の姿を調査した星野道夫の二人の友人が書いた本。

TBSテレビ『どうぶつ奇想天外』の取材スタッフの一人としてアラスカからカムチャツカ半島に渡った星野道夫。この地で彼はヒグマに襲われてその生涯を閉じた。

しかし、TBS側が公式発表した事故の模様に不審を抱いた小坂洋右と大山卓悠はその後、独自の調査を始める。
そして見えてきた事故の真実。

このあたりはドキュメンタリーでありながら、推理小説仕立てに構成されているので、ここで結論を言ってしまうと読者の興味を削ぐことになる。控えておきますから、尚、真相が知りたい人は是非ご一読下さい。

僕は、この著書の主題である星野道夫の事故の真相を追究した第1章よりも、それに続く各章が面白かった。

星野道夫の人となりが、アラスカの互いの家を訪問しあったり、極北の星空の下で話し合ったりした時の内容に感じ取ることができた。

この本に、星野道夫のあの優しいまなざしが感じられれなかった、との感想があった。
が、僕は、真逆の答えを出す。

カムチャツカ半島で起きた事故の検証は必要なことで、遺された者にとって大切な責務だと思う。
しかし、僕には星野道夫の生きざまの方が、より重要なことであり、自己の人生に少なからず影響を与えている。

こんな思考の僕には、この著書のページが終わりに近づくに連れて、読めてよかった、との感慨が増して行った。

星野道夫の『永遠のまなざし』がどこに向かっていたかのヒントがこの著書の中に確かにあったと思う。


この感想へのコメント

5.KUMI (2007/11/06)
本当にまろさんの、おっしゃる通りだと思います。
どれだけ、環境破壊が進んでる事が騒がれていても、目先の
利益の前では、すっかり忘れてしまうのでしょうか?
大体、豊かな自然を壊し、動物達の住処を奪うような行為を
しなければ足りないほど、都市では資源が不足しているのでしょうかね?!私も、反対運動に参加したいよ。ホント!
6.フィリップ・まろ (2007/11/06)
人間ってしょうがない存在だよねえ。
頭ではそうわかっていても、行動が逆になることしばしば。
誰も「地球なんて滅べばいい」なんて思っている人はいないのに、実際には寄ってたかって地球をいじめている。地球から、さほど必要でもないものを、必要以上に搾取している。

  失くすまで大事なものがわからない
  世の中にゃ大事な不用品もある
  捨ててから「大事だった」といわれても

フィリップ・まろ 心の川柳

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 1

アークティック・オデッセイ―遥かなる極北の記憶

著者 : 星野 道夫

出版社:新潮社

発売日:1994-06

評価 :

完了日 : 2007年10月28日

極北の神話である。
興味深い序章なので全文ここに写します。

「ずっと ずっと 大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば 人が動物になれたし 
動物が人にもなれた
だから時には人だったり 時には動物だったり 
互いに区別はなかったのだ
そしてみんながおなじことばをしゃべっていた
その時のことばは みな魔法のことばで
人の頭は 不思議な力をもっていた
ぐうぜん口をついて出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった
ことばは急に生命をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった
したいことを ただ口に出して言えばよかった 
なぜ そんなことができたのか  
だれにも説明できなかった
世界はただ そういうふうになっていたのだ」

全くの偶然だけど、僕は今、お風呂での読書本としてさくらももこの『そういうふうにできている』を読んでいます。

イヌイットの「魔法のことば」という詩の中に「そういうふうにできていたのだ」という言葉を見つけ、さくらももこに『そういうふうにできている』と言われちゃうと、僕は「そういうふうに読まされていたのか」と単純に思っちゃうのです。




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 6

たいのおかしら

著者 : さくら ももこ

出版社:集英社

発売日:1993-07

評価 :

完了日 : 2007年10月21日

これもネットオーックションで『永沢君』を発見して飛びついたときにくっついてきた5冊のうちの1冊。

『もものかんづめ』『さるのこしかけ』と来て、さくらももこ初期エッセイの第3集。

アニメの『ちびまる子ちゃん』をイメージして読むとかなり異なった著者の姿が浮かび上がってくる。
飛び切りの友情や勧善懲悪、淡ーいファンタジックな物語として構成されている『ちびまる子ちゃん』は童心を忘れていない大人にも楽しめるアニメ。
エッセイは大人が楽しめる“さくらももこワールド”である。

エッセイストとしてのセンスも抜群だ。女性のエッセイストで群ようこに肉迫するのがさくらももこではないか。って、僕が好きな女性のエッセイストを並べただけだけど。

さくらももこのエッセイを読んでいると『ちびまる子ちゃん』に登場するときの家族と実際のそれとの違いが読者を驚かせてくれる。
『たいのおかしら』ではお姉ちゃん。
アニメではしっかり者でいつも沈着冷静。しかし、このエッセイ集によると周りの人に心配ばかりかけている。小児喘息で毎晩ゲホゲホして泣いていたり、マラソン大会にはビリになるし、水泳では水のなかで目が開けられない子であったり。アニメでは手のかからない良い子、も実際には“まる子”であるのだった。

思うに“まる子”は僕らみんなが自分の中に宿している人類普遍の「どーしたもんだか」的な性格の代名詞かもしれない。

友蔵じいさんも実はとんでもなく意地悪で怠け者でズルい人であったようだ。その辺りのことは『もものかんづめ』に詳しい事情が語られている。

『ちびまる子ちゃん』を知っている大人が読んでいる分にはそうした裏事情が楽しめるエッセイだ。

お話の持っていき方がうまい人だね、さくらももこ、って。古典落語を相当読んでいるような。太宰治は話の展開を落語に学んだって聞いたことがあるけど。さくらももこのエッセイの展開にもそんなニオイがするなあ。


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