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フィリップ・まろさんの読書ノート

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 1

マイブック―2008年の記録 (新潮文庫 ん 70-10)

著者 :

出版社:新潮社

発売日:2007-10

評価 :

完了日 : 2008年01月05日

今日は完全休養日。
そこで、2008年版の『マイブック』を求めて3軒の本屋さんを巡ったのですが、どこも品切れ。
しょうがないから取り寄せをお願いしてきました。それもうちから一番遠い書店で。自動車で行っちゃったので、ついついそういうことになっちまった。愛チャリ、ブルー・インパルス(昼は青空号・夜は銀河号と名乗る自転車のミドルネーム。因みに『ブルー・インパルスⅡ』の名をたなぞう仲間のKUMIさんのジュニアに贈った)で引き取りに行くには結構な距離だし。でも「無い」となると余計に欲しくなるのが僕の性分。こういうのを仏教では「求不得苦」というのだろうけど、僕の場合3日後にブルー・インパルスをかっ飛ばせば手に入るので、さほど「苦」でもないか。

それにしても『マイブック』も早や9巻目である。つまり2000年から売り出されたわけである。

遅くなりましたが、ここで『マイブック』の説明を。
全編真っ白なページに日付と曜日だけが印刷されている。物語を書くのは自分であり、主人公も自分なら、読むのも自分。そんな文庫本が既に9巻にもなるのである。
さくらももこの父ヒロシ風に言うと「スッゲーなぁ」であろう。

僕の場合、前半の2003年までは各ページぎっしり書き込まれている。よくもまぁ、こんなパワーがあったものである。意志力、持続力、想像力、創造力、文章力。半端じゃないね。自分を誉めてあげたい。

ところが2004年からはガラリと事情が変わってしまう。歯抜けページの方が圧倒的に多くなる。2006年は2月までしか書いていない。2007年はゴールデンウィークと年末のみの書き込み。

然るに何故また今年も『マイブック』を買い求めようと言うのか。書くのか。書かないのか。
明日のことがわからない。
そんな未来のことはわからない。
夕べのこと?そんな過去のことは覚えていない。
それがフィリップ・まろのフィリップ・まろたる所以なのである。


この感想へのコメント

11.船橋胡同 (2008/02/17)
まろさん。誤解をしてたらごめんなさい。まろさんは、色々な ご経験、色々な先輩、職業、といつも前向きで感動しています。卒業後1つの会社しか知らない私には、うらやましいし知らない世界には臆病です。若い人たちは判りません。3月から新しい職場!無理をなさらずがんばって下さい。
まろさんの元気で、認知症の人たちが治るのでは? 
12.フィリップ・まろ (2008/02/17)
送別会を開いてもらいました。間もなく定年を迎える人から「有休があるのに仕事に出てきて、会社が好きなんだな」と言われました。いや、そんなに好きじゃなかったはず。でも、終わりだなと思うと、愛社精神がむくむくと。
それと、不安障害が久々に出てきましたね。弱い自分を認めながらやってゆこうと思います。こんな僕の力でも貸して欲しいといってくれる人がいるなら、バラ色のエデンの園を作ってみたい。

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 4

僕、はまじ

著者 : 浜崎 憲孝

出版社:彩図社

発売日:2002-02

評価 :

完了日 : 2007年12月15日

シビアに評価点をつけた。
だって、この文体、この表現力、この構成じゃあ、普通の人では絶対に商業出版されませんよ。
みのもんた風に「ズバッ!」と言うと、これは自費出版レベルの本です。
何故それが商業出版の運びとなったのか。
この著者が『ちびまる子ちゃん』の、あの“はまじ”だからに違いありませんもの。

のっけから厳しいことを書き連ねました。
本としての評価点は低い。
しかし、僕は、この本を読むことをお薦めします。僕は社会から一度ならずドロップアウトしてしまった人間の這い上がる生き様を書いた本に弱い。自分がかつてそうであったし、今もまたその道を歩もうとしているから。

で、本心としては、この本を応援したい。

「波瀾の小学三年生」の章では、著者本人にしてみれば必死の学校からの逃亡だったのでしょうが、相当に笑わせてもらいました。高2のうちの娘の話では『ちびまる子ちゃん』のコミックにもそのあたりのことが書いてあったとか。

思春期から青春時代、はまじは一般的人生行路から少しずつズレて行く。しかし、その頃と言えばさくらももこの方も『ひとりずもう』をしていた暗中模索の時代だ。
だから、さっき僕は「一般的人生行路」などと言ったが、実際には何が一般的な行路であるのか解ったものではない。

昔、野坂昭如が「ニ、ニ、ニーチェもサルトルもみーんな悩んで大きくなった~」とダミ声高らかに何処かのCMソングを歌っていたのを思い出す。

はまじは悩んで大きくなっている。
頑張れ、はまじ!
もっと大きくな~れ!
そして、いつか、あの“はまじ”ではなく、浜崎憲孝の物語を読ませてくれ。

『僕、はまじ』じゃなくて『僕は、まじ』ってやつを。


この感想へのコメント

5.オヤオヤもんど (2007/12/17)
浜崎さんの次回作は、もうあるのですか?
『僕、はまじ』は、子供の頃の心の内を、うまく描いていると思いました。先生もおもしろいですよねえ・・
あの時代?を過ぎて、これからの世界を、どう見ていくか、
共通の課題でもありますよね・・・
6.フィリップ・まろ (2007/12/19)
大人になった“はまじ”はもしかすると僕の見込み違いの人物かもしれません。
『はまじと9人のクラスメート』には3年生当時のふわーっとした桃源の夢想も浄土の幻想も消え失せていました。
打算と山師的発想の“はまじ”にはがっかり。
だというのに、僕は浜崎君を応援しないではいられない。
少年時代の明るくて腕白で面白い“はまじ”の思い出があるからね。

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 1

アラスカ―極北・生命の地図

著者 : 星野 道夫

出版社:朝日新聞社

発売日:1990-04

評価 :

完了日 : 2007年12月02日

奇跡を体験した。

何時もの週末のように、愛チャリ・ブルーインパルスに跨り、図書館へ。
ここで星野道夫の『ムース』と表題作を借りた。

帰路、公園をぶち抜くコースを選んだ。そして初冬の風は冷たかったが日差しがあったので、公園内の芝生にでんと腰を下ろした。

『アラスカ』は」デッカイ写真集だ。しかし、広大な原野の写真としてはこれくらいデカイほうが臨場感に触れやすくなると言うもの。チャリのかごからは半分くらいはみ出してはいるが、なあに人目を憚る写真集じゃないから、どうぞ皆さん見ておくれ、ってなもんだ。

芝生に腰ををろして、ひと時、冬の散歩道の休息を取って帰ろうとした。が、かごからはみ出したデッカイ『アラスカ』が気になり、取り出した。

チョイ見のつもりが、結局、最後のページまで。

ここで、奇跡が起こることになるとは…。

この本の大半はカラー写真集。終盤に少し星野氏のエッセイが挟み込まれ、最期に写真のモノクローム小型判がそれぞれの写真の説明とともに掲載されている。
カラー写真の部分が高級アート紙を使っているのに対して、説明のところは少し厚手の上質紙が使われていた。僕はもと印刷会社の営業マンだったのでその辺りは一般の読者より詳しい。

最後のページには3枚のオーロラの写真。そして次をめくると、本の奥付がある。
ところが、この3枚のオーロラの写真の部分だけ、裏側には写真も文字も何も印刷されていなかった。このことが奇跡の重要なポイントだった。

僕が、奥付のある最終ページをめくった時、青空が広がる公園の一部に一片の雲が流れた。そしてすぐに雲は風に飛ばされたようだ。

ここで奇跡が起きた!

モノクロームのオーロラの写真が奥付のページの白紙の部分に、冬の日差しと一片の雲のイタズラで裏映りしたのである。
日差しから雲、そしてまた日差し。この光のグラデーションに写真のオーロラが呼応して動いたのだ!

僕は、一瞬、自分の目を疑い、次の瞬間、自分の目とともに奇跡を信じた。

「こんなことがあるんだ!」

これは間違いなく、星野さんからの僕へのプレゼントだろう。星野道夫を薦めてくれたKUMIさんには申し訳ないけど、お先に星野さんからクリスマスプレゼントを頂いちゃいました、って感じだった。

『アラスカ』写真もいいけど、短いエッセイがとてもいい。写真家であり、ナチュラリストであり、思想家、冒険者、文章家でもある星野道夫がこの本には余すところ無く表現されています。


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6.KUMI (2007/12/05)
それは、まろさんと、私の性格がめちゃめちゃ似ているから
ですよ♪書く事も読む事も、お話する事も大好きだし、興味のあるものも、似ているじゃん。
最近、毎日の様にお話しているのでなんだか、交換日記みたいだな、と思い始めてたりして。
(に、しては良く続くよね~。しゃべりすぎか?!)
『魂のパートナー』って、なんか運命的な感じがしすぎて
照れちゃいますよ。
7.フィリップ・まろ (2007/12/07)
この際、照れくささなんて捨てちゃいましょう。でないとやっぱり照れちゃうからね。

それにしても、不思議な運命に導かれて、僕はあの時本当に、オーロラを見てしまったんです。しかもあんな形でね。

そうそう、この本の文章のことをもっと言っておくべきだ。
ほんの数ページ。その中に星野さんの思いが濃厚に凝縮されています。濃縮されていながら胸焼けするようなしつっこさはない。見事な文章です。名人上手。文の達人です。

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 2

風に訊け―ザ・ラスト (集英社文庫)

著者 : 開高 健

出版社:集英社

発売日:2003-10

評価 :

完了日 : 2007年11月12日

当時『週刊プレイボーイ』の編集長であった島地勝彦は、ある日、銀座の若い女を口説いて深夜のホテルにしけ込んだ。そのとき女が、
「そういえばあなたのことよくわかんない。サラリーマンじゃないでしょ。結婚してるの」
とグタグタ訊いてきた。島地氏はしたたか酔っていた。そしてキザっぽく言い放った。
「その窓をあけてみてくれ。そして風に訊け」

このエピソードを聴いて、いたく気に入った開高健が「よろしい『風に訊け』で行こう」とあいなったらしい。

ここまできて初めて内容について触れるが、これは『週刊プレイボーイ』に連載されていた開高健の人生相談の総集編である。

「すばらしい質問の中には既に答えが隠されている」なんて、ちょっとそこらのおっちゃんじゃあ言えない。でも文豪の口からは次から次ぎに飛び出して来る。

今東光大僧正の『極道辻説法』が大蔵仏教の書とするなら、文豪開高健の『風に訊け』は実存哲学の書であろう。


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3.yujiro (2008/08/16)
「悪太郎」懐かしいですね~ S.39年、高校3年生の時に授業時間に読んでました。思春期真っ只中女性との関係にはうらやましく、ケンカの強いのには憧れ下駄を履いて町を歩き回っていたのを懐かしくおもっています。 手元にまだ持っているかさがしてみます。
4.フィリップ・まろ (2008/08/16)
『悪太郎』は僕にとってとても思い出深い本です。大学1年のとき、何をすべきかがさっぱりわからず、毎日を何となく暮らしていました。『週刊プレイボーイ』で今東光師を知って、最初に読んだのが『悪太郎』でした。今も残っていますが、各ページに傍線と語彙が記されています。ホントに無知だった僕。知的目覚めの書です。

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 3

風に訊け (集英社文庫)

著者 : 開高 健

出版社:集英社

発売日:1986-06

評価 :

完了日 : 2007年11月12日

この本について書かねばならなかった。

ダンディズムを追求する男たちのための本。

男たちのために書かれた本ではあるが、勿論、女が読んでもよい。

男の本心や真実の姿を知りたい女には是非ともお薦めする。

そしてこの本を読んだ男は間違いなく『紳士』になっていることだろう。

そしてこの本を読んだ女は間違いなく『淑女』になっていることだろう。

何故かって?

その答えは……『風に訊け』


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 1

森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて

著者 : 星野 道夫

出版社:世界文化社

発売日:1996-12

評価 :

完了日 : 2007年09月24日

何万年前になるのだろうか。
アジアに分布していたモンゴロイドの東進がはじまる。難所ベーリンジアを越え、ある部族はアラスカに居住し、またある部族は中央アメリカまで南下。なかにはさらなる土地を目指してまだ南を志す者たちもいた。グレート・ジャーニーである。

ワタリガラス。

彼らに寄り添いながら旅を続けていたのがワタリガラスの思想、神話である。
漆黒の闇を纏い、死肉を食らう鳥、カラス。この世とあの世を結び飛び交うと言う。古代人がカラスに霊的なものを感じたのは想像に難くない。
日本にもヤタガラスの神話がある。これらの間に共通の思想性があるのかどうか、勉強不足の僕には解らない。しかし、カラスの霊性は疑いあるまい。また、この世の天地創造に何らかの関わりを持っていたことも。

『森と氷河と鯨』ページを開くといきなり、一人の不思議なインディアンが登場する。ボブ・サム。彼は寡黙である。浮浪者のような身なり。しかし10年前、西欧文明が蹂躙し荒れ果ててしまった先祖伝来の土地の整理に懸かる。そこは先祖が眠る墓地であった。彼の無償の行為は部族の人々の心を動かす。
星野道夫はボブの妻に問う。
「ボブはヒーラー(信仰的な治癒能力を持った人間)なのか」と。
「人が人を何らかの方法で癒やすことはできないと思う。そのかわりその苦しみをもった人を見つめながら共にいてあげることはできる。ボブはそういう力をもっているかもしれない」それは若い頃に地獄のような旅を続けてきたからだ、と言う。
なんていい言葉だろう。また、なんて素晴らしい夫に対する妻の洞察であろう。
ボブは自分に与えられた部族における役割を果たしつつある。それは瞭かに彼の宿命なのであろうが、それを理解し援助しているのが彼の妻なのだと思った。

星野道夫はワタリガラスの伝説を求めて旅を続ける。そしてカムチャツカ半島クルリ湖畔でヒグマに襲われてその終焉を迎える。しかし、僕にはそれがアイヌ民族の言う、住みかの移動に過ぎないように思われる。こちら側からあちら側に移動したのだ。そこで彼は今もワタリガラスの神話の真意を探求しているのではないだろうか。


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1.KUMI (2007/09/24)
まろさんの感想を読んで、この本に出会える日がさらに
待ち遠しくなりました。本当に星野さんの世界観はどこまで
広いのでしょう。そして、旅を続けながらなにをつかんだろう、と言う思いでいっぱいです。
でも、彼の死を「住処の移動に過ぎない」と、言ってくれて
ありがとう。私もそう思います。
2.フィリップ・まろ (2007/09/25)
「ワタリガラスの伝説を求めて旅を続ける星野道夫」って言った僕。待てよ。そうじゃない!星野道夫自身がワタリガラスだったのでは?と思えてきました。あの世もこの世もなく自由気ままに中空を飛び回るワタリガラス。神話の発生を今、僕らは垣間見ることになった。語り継ぐべき物語を託された者の役割を考えなければならない。
 

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 2

絵草紙うろつき夜太 (1975年)

著者 : 柴田 錬三郎,横尾 忠則

出版社:集英社

発売日:1975

評価 :

完了日 : 2007年09月16日

それはそれは物凄いド迫力の本です。手にとった人はきっと度肝を抜かれることでしょう。
ハードカバーサイズにして縦262センチ、横187センチ。厚み3センチ。重量1035グラム。
これ、室伏浩次クラスのマッチョマンでなけりゃ絶対に寝転がって仰向けに読めるもんじゃないです。逆説的に申せば、この本をくだんの要領で読み通せば、室伏浩次ばりの上半身になれるかと思います。

ストーリーは、時は江戸時代、昼は“昼太”、夜は“夜太”と名乗って粋がって生きているやくざな風来坊のお話です。作者のシバレン先生、睡眠不足に妄想が祟って、最期はとんでもない所まで行っちゃうのですが、それは読んでのお楽しみ。

何より楽しいのは、ページのそこここに差し挟まれた横尾忠則の挿絵。これが美術書を見ているように美しい。そして本の外見ばかりにではなくその内容にもおそらく読者は度肝を抜かれることになるでしょう。時代物なのにプロット自体がスラップスティックかと思えば、本の装丁もスラップスティック。賑やかな夢を見ているような本です。

中でも得したなあ、と思えるのは、この物語に、かの眠狂四郎が登場するのです。勿論、円月殺法で悪者を斬っちゃいますよ。

にしても、当時『週刊プレイボーイ』が如何に勢いがあったかの象徴のようなドデカイ本であります。


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2.オヤオヤもんど (2007/10/04)
はじめまして、
みなさんの読書ノートを、ながめていて、
なかなか、自分の読んだ本が、ないなあ・・・と思っていたところに、この『名作』!の記事が、あり、うれしいやら、
なつかしいやら、で、コメントなるモノを、はじめてかきました。
また、おじゃまします・・・
3.フィリップ・まろ (2007/10/04)
オヤオヤもんどさん、コメント有難う御座います。
この本をご存知でしたか。
素晴らしい!
晩年のシバレンの魅力が余すところ無く表現し切れていると思いますよ。
田村正和の眠狂四郎と田村亮のうろつき夜太もピッタリのベストキャスト。それを鬼才・横尾忠則がイラスト化しているのだからこんな贅沢な本はないですよね。
一度は絶対にページを開いて欲しい本であると自信を持って言えます!

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 1

お茶漬けライフ―サラサラ・サクサク・ウハウハ・シミジミ…うれしいとき、さびしいとき、食べたいごはん

著者 : 荻原 悦子

出版社:山海堂

発売日:2007-07

評価 :

完了日 : 2007年09月01日

図書館の新入荷本を眺めていたら興味深い本を発見。それが表題作である。
なんたって『お茶漬けライフ』ですぞ!
僕は常日頃から、極私的究極のメニューを“お茶漬け”、極私的至高のメニューを“カニ味噌”と決めていますから、この本を外すわけには行かない。さっそく予約を入れ、休日にも関らず鳴り続ける営業用のケータイの重要案件と苦情を速やかに沈着に(ウソです。哀れなくらいテンぱりながらです。)処理するとチャリをぶっ飛ばして図書館へ向かいました。
「サラサラ・サクサク・ウハウハ・シミジミ……うれしいとき、さびしいとき、食べたいごはん」
嗚呼なんと美しき擬音語の重ね技。日本人にとってのお茶漬けの存在意義を簡潔且つ情緒的に表現したキャッチ・コピーでしょうか。うーん、もう今すぐ食べたいお茶漬け。
この本のよくできているところは、ページを開くと綺麗に撮影されたお茶漬け写真が見開きにあること。ページを繰ると次の見開きにはそのレシピ。「美味しそう!」と思ったらすぐに調理にかかれる仕組みになっている。
それ以上に「この本エライ!」と叫んだのは、四季折々、心的状況、TPOに応じてメニューが考え抜かれていること。これには大いに感心しましたね。例えば「ああ、人間関係って難しいなと感じたらサクサク茶漬け」というふうに。
休日に顧客に呼び出しを喰って、吊るし上げられてきた営業マンは「ほろ苦い思いをかみしめながらハフハフ茶漬け」を夜のメニューに加えました。ひとすじの涙が隠し味になっておりました。


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4.フィリップ・まろ (2007/09/07)
お茶漬け主義者の集会によくぞ参加くださいました!僕は『男女共同参画社会』の実現に向けて邁進する夫でありますが(単に妻には勝てない、というのが事実だけど)これぞその象徴たる主食、と呼べるのがお茶漬け。ベテラン主婦でも、俄か主夫でも誰にでも調理できるんだもの。なんと素朴にして気高きお料理であることか!
KUMIさん、あんこさん、お茶漬け主義者を増やして、男女共同参画社会の早期実現を推進致しましょう。
5.パル2パパ (2007/11/04)
お茶漬けですか…、汁物を沢山作って飽きて来た頃に汁かけご飯にするのは、果たしてお茶漬けに含まれるのだろうか、と。まぁ、そうやって、バリエーションを増やしていくとキリが無くなりますよね。でも、この本は面白そうです、探してみようと思います。

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 1

美しい日本の私―その序説 (講談社現代新書 180)

著者 : 川端 康成

出版社:講談社

発売日:1969-03

評価 :

完了日 : 2007年08月26日

息子が安倍晋三の『美しい国へ』を読んでいたので「おいおい、その前に絶対に読んでおかなければならない日本学の本があるのだよ」と『美しい日本の私』を貸してやった。基本的に息子であろうと僕は自分の本を差し上げたりはしないのである。ケチなのである。親子でも。それはダメ。
ということで今、京都・宇多野の四畳半バス・トイレ付き家賃28000円の下宿にある。手元に本が無い上にうろ覚え。だってもう25年以上も前に読んだ本なのだ。でもこの本について書いてしまうのである。
突然、この本のことを書こうと思いついたのは、或る“たなぞう”仲間の読書ノートに「雪月花のときもっとも友のことを思う」と書き込んだことに由来する。
日本学で大切なキーワード。それは「もののあはれ」である、と僕は見ています。その辺りのことを川端康成が実に見事に論じています。薄い新書版ですが、日本の美の解説はこれに尽きるなぁ、と感じさせる「納得!」の本です。
「もののあはれ」を知り、分かち合える友との語らい、こんなに穏やかで安らげる時間はありません。


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2.フィリップ・まろ (2007/08/27)
もはや完全に我が朋友となりし友に送る一行詩。

父と子の散歩。夕焼けを見に。昼はいっぺんに夜になりはしない。ゆっくり育て子供たち。

これが新聞に載ったとき「一行詩の新しい可能性を思う一遍の叙情詩である」と誉められました。KUMIさん親子に捧げます。
3.KUMI (2007/08/28)
つかず、離れず、まるで衛星のように親の周りをぐるぐるするんですよね。きれいな夕日も一人で見てると寂しくなったりするのに、子供と一緒だとなぜこんなにも心が満たされて
いくのでしょう。きっと、子供も私と同じく、楽しいのでしょうね。短い詩の中にお子様への溢れんばかりの深い愛情を感じます。素敵な詩をありがとうございました。

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 128

一瞬の風になれ 第一部 --イチニツイテ--

著者 : 佐藤 多佳子

出版社:講談社

発売日:2006-08-26

評価 :

完了日 : 2007年08月25日

いつものように私事から始めます。
僕の息子は幼い頃、アウトドア活動が好きな父親に連れられては無茶な冒険を強いられてきました。って、客観的にゆっちゃってるけど、僕が自分の趣味に無理やり引っ張り回していたわけです。
よちよち歩きを始めた頃から、海・山・川をフィールドにして地球の王者を目指して突き進んできたのです。今思うと、奴め、よくもこんな父親に着いて来てくれたという気がします。幼すぎて父親に反逆する意思も手段もなかったというのが事実ですが。
彼は10歳を迎えるまでに地元・鈴鹿山脈を30回以上も踏破しています。僕の山行記録にその一つ一つが残っています。カヌーで鈴鹿川下りをしたこともかなりの回数を数えます。長良川河口堰建設反対運動ではいつも先頭に立って横断幕を持ってデモ行進したり。9歳の夏、鈴鹿の山の麓から伊勢湾まで22キロ歩き通したことも。滴り落ちる僕の汗を見て「おとう、大丈夫か」なんて父親を気遣う息子。もはやこいつは男であるなぁ、と感じたものでした。
さてそんな息子が小学5年になると、その人生の進路を一変させたのです。
「おれ、私立中学を受験をしたい」と。
それは、父と子の蜜月の終焉を物語るものでした。息子は父親の手元から母親の管理化に移っていきました。
息子と母親の二人三脚は息がぴったり合っていた様子で、2年後、難関中学のブレザーの袖に腕を通すことができました。嬉しかったですよ僕も。でも、ぼくが理想としていた父子関係はもはや二度と帰ってこないと実感した瞬間でもありました。寂しい限りでした。
息子は、中学に入って、勉強に専念するのかと思うと、陸上部に入部。それからの彼はスプリント競技に取り憑かれたように部活に寧日無い有様。休日の度に、記録会だ、大会だ、といっては朝早くから出掛けてゆきました。中学生になって半年、一年、がこうして過ぎ去って行きました。彼の短距離の記録はぐんぐんと伸び、打って変わって、学業成績はまっさかさまに急降下。いったいこいつは進学校に何をしに行っているのだろうと、と素朴な疑問が父親の頭の中に渦巻いていました。あまりの成績の悪さに先生から呼び出しを掛けられることが繰り返されました。自分の思い通りにできなくなった息子に苛立ち「テメーはいったい何をしにわざわざ高い月謝を払ってまで私立に行ってやがるんだ!」と怒りをぶつけたこともあります。あまりの成績不振に業を煮やした父母は最終的に彼の部活を3年で辞めさせてしまいました。あの時は親としてそうせざるを得ませんでした。

『一瞬の風になれ』ヤフオクで手に入れてから半年が過ぎてようやく読み始めました。そして何も知らなかった陸上競技のこと、スプリントのこと、走るということ、にこんなにも物語と魅力があったのか、と感じています。陸上競技との出会い。風になることの楽しみ。家族、友、ライバルとの距離感。そして自分との戦い。道具も防具も無い、薄っぺらなランニングシャツとパンツでする競技。そこにこんなにもたくさんの不確定要素が詰まっていたとは。
もっと早くこの本が上梓され、僕が陸上競技について知っていれば、当時の息子の気持ちをもう少しは理解してやれたのかもしれません。父親の、父親としての成長が遅かったのが悔やまれます。
第2巻『ヨウイ』の扉を開けようと思います。でもあわてず、ゆっくりと、自分のペースで第一コーナーに突入しようと考えています。


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18.でこぼこハムスター (2008/07/17)
そうなんですね、介護のお仕事って大変なのにお給料が見合ってないって言われてますよね。
本の雑誌で2500円も図書カードがもらえるんですね、すごいです!
19.フィリップ・まろ (2008/07/22)
800字で2500円はいいアルバイトだよね。しかも僕の場合、ネットで投稿しているから元手がかかっていない。有難いねえ。
『一瞬の風になれ』第3部をようやく読み始めました。

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 2

おふろやさん (こどものとも傑作集 (66))

著者 : 西村 繁男

出版社:福音館書店

発売日:1983-11

評価 :

完了日 : 2007年08月18日

KUMIさんの感想に50男のノスタルジーが呼び覚まされた。迷わず図書館にネット予約。
受け取りに行くと「これ、絵本ですけどいいんですか」と。ううむ、やはり、そうきたか。おじさんが絵本を借りるには聊かの偏見を覚悟しなければいけないわけね。寂しいけど、これが現実だね。この係りの女性、決して悪気があったわけではない。いや、どちらかと言うと親切で言ってくれたのだと思う。しかし、偏見や差別とはそうした、何気ないちっぽけな思い込みから生まれてくる。良かれと思ってとった行動が実は出すぎた行為になってしまうことがある。僕は、自己を振り返って、反省材料にした。にしても、おじさんが絵本を読んだり、「萌~!」に走ったっていいじゃないか。僕が「萌~!」に突き進むことは決してないけれどね。

冒頭で「50男のノスタルジー」と書いた。
「昭和男の50年間のノスタルジー」と言った方が正しいかもしれない。
幼少時、母親に手をつながれて行った銭湯。頭を洗ってもらう時に、強く合わせたまぶた。しっかりと閉じたくちびる。胸の前に持ってきた握りこぶしに力を込めて浴びせられるお湯を我慢した思い出。
少年期、友達と連れ立って子供同士で行くおふろやさんはアトラクションの場であった。日焼けした浅黒い体に、お尻の辺りだけがまるでパンツをはいたままのようにくっきりと白かった。泳いだり、校歌を歌ったり、ふざけ合ったり。度が過ぎると近所のおじさんに叱られてケツを叩かれた。僕らは「この町の子供」であった。地域の大人に守られ、叱られ、まれに褒められて育ってきた。
中学になると、銭湯に行くことが少なくなった。家風呂がどこのお宅にも完備され始めたのだ。それでも時には、野球部の仲間と汗を流しに行くことがあった。ヒット・エンド・ランのサインの確認や変化球を打つタイミングについて語り合ったものだ。
高校生になって、めっきりと銭湯へ通うことがなくなった。同じ頃、町に幾つもあった煙突が次々と姿を消していった。
下宿時代。舞台を京都に移すと、それでも学生街には何件かのおふろやさんがあった。電気風呂のあるところ。サウナのあるところ。風呂上りのコーヒー牛乳のうまいところ。気分に合わせて目当てを変えながら通った。
寒い冬の日、彼女と二人で行った横町の風呂屋。一緒に出ようねって言ったのに、いつも彼女を待たしてしまった。おっと、これは四畳半フォークソングの歌詞でした。よく似た経験はしたけれども。
子供たちがまだ小さかった頃、自動車に乗って、銭湯を目指したこともある。家風呂しか知らない子供たちにおふろやさんのあの情緒を感じさせてあげたかったから。最初はおっかなびっくりの子供たちも次第におふろやさんのアトラクション性にはまっていった。湯上りのコーヒー牛乳の味にも。
僕は、ごく稀にだけれど、今も銭湯に行ったりする。頭を洗う時に目を閉じると、時代時代の自分が浮かんでくる。それから、風呂桶を置いたり、何かにぶつけたりした時の、「コン」「カツン」という音。湯の流れる音。入浴中の人々のざわめく声。洗い場に響き渡るそれらの音を耳に拾う度に、日本人でよかった、と実感するのである。

『おふろやさん』には始めの1ページ以外は一切文章が書かれていない。しかし、著者の書いた絵が如何に能弁にお風呂屋さんでの様子を語っていることか。
IT革命の真っ只中。僕ら大人もその恩恵を蒙っている。が、アナログの世界に連綿と、そしてひっそりと息づいている日本人の情緒が感じられるこうした絵本を、僕ら大人はもっともっと子供たちに与えてあげるべきである。

最後に、活字中毒の僕に絵本の楽しさ豊かさを教えてくれたKUMIさんに感謝します。


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5.KUMI (2007/08/22)
ただのメールの様になってしまい、申し訳ないのですがやっぱり、書いちゃおう。まろさんの、砂糖水で思い出した夏のおやつ。祖母が作ってくれたのですが、う~んと冷たくした
砂糖水に白玉をいれるの。(薄い桃色や緑も)味はとても
シンプルなのですが、暑い季節にひんやりとおいしいのです。私にとっても懐かしい味ですね。まろさんは、優しい
国語の先生のようなイメージ♪又、お話聞いてくださいね。
6.フィリップ・まろ (2007/08/22)
それでは僕も本文に関係なく、メールをお返ししてしまいます。今日はお塩の話。お茶漬けが好物なのです。一日に一食は必ず。塩、抹茶、あられ、そして刻んだ海苔。真っ白なご飯の上にトッピング。そこへ熱々のお茶をちろちろと。時雨の佃煮があればなおのこと。梅干でもいいけどね。味の決め手はやはり塩ですね。お茶漬けの本があったら紹介してください。追伸、お話、何時でもお伺いいたしますよ。

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 3

二十歳の原点 (新潮文庫)

著者 : 高野 悦子

出版社:新潮社

発売日:2000

評価 :

完了日 : 2007年08月11日

今日、図書館へ『流星ワゴン』を返却しがてら、ネットで予約しておいた『きよしこ』を借り出しに行った。
我が町の図書館には入ってすぐのところに、リサイクル本のコーナーがある。誰でも勝手に頂戴できるシステムが確立されている。
来館すると、いつものように真っ先にそのコーナーを物色した。
と、なんと、懐かしき『二十歳の原点』が鎮座ましましているではないか。二十歳のときに読んだよなぁ。懐かしさと、夏期休暇で帰省している息子に読ませてあげようとの思いが重なって、早速、頂いてゆくことに致しました。
帰宅するなり「高野悦子は立命館だったのですぞーッ!君の先輩ですぞーッ!」と力強く手渡した。
しかし、息子は「ふ~ん」とまるで興味無さげに、物置きと化した娘のピアノの上にひょいと置き去りにして、自分の部屋に戻っていった。
何なのですか!
ボクは学生時代、著者とは何の関係も無い京産大生でありながら、京都市内の在学生とのよしみで「これも青春だぁ!」と熱くなって読んだものなのに。
時代が違うのか、はたまた、息子に自分の青春を押し付ける親父がアホなのか。それとも両方なのか。両方なのだろうなぁ。
息子におすすめすることに失敗した親父はそれでもめげずに他人様にオススメするのであった。


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3.つぐみ (2007/09/10)
やったじゃないですか!!おめでとー
子供たちになんとか良い本を読んでもらいたい・・が、我が家の永遠の課題です。ちなみにうちの家のピアノの上も物置なので、なんだか妙にフィリップ・まろさん宅に親近感を覚えてしまった。ちなみにうちは、長男が小6ですが・・
4.フィリップ・まろ (2007/09/13)
読書とは全く関係ないのですが、ピアノってほんとに物を置くのにちょうどいい高さですよね。「今月のテレビモニターの番組表どこ~?」「ピアノの上にあるでしょ」「PTA通信は?」「ピアノの上」「奨学金の申し込み用紙は?」「そんな大切なものはピアノの上に決まってるでしょ!」これが我が家です。ピアノ型の書棚付き物置台ってどうですか?今度『通販生活』に提案してみようかな。

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 2

何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)

著者 : 小田 実

出版社:講談社

発売日:1979-07

評価 :

完了日 : 2007年07月31日


平成19年7月30日、小田実が死んだ。

何十年ぶりかで再読チョイ読みを敢行すべく蔵書をひっくり返して探してみた。が、『何でも見てやろう』は見つからなかった。しかし、ボクの心の書庫にはしっかりと確実に力強く収まっている。

時代への好奇心。世界への好奇心。人間への好奇心。自分を取り巻く森羅万象を垣間見たい、との世界放浪の頃の著者の姿勢が若者らしくて、若者であったボクは憧れと夢をこの本に抱いたものである。ここまで真正面からまともに体当たりしないと真実は見えてこないものなのだ、と思ったことを覚えている。
著者が起こした「ベトナムに平和を!市民連合」は“ベ平連”と通称された。ベトナム戦争の反対運動で、これが日本の市民運動の草分けであった。思想性の如何を問わず、その活動とパワーに日本が動いていた!それからボクも。

放浪の巡礼者、フィリップ・まろは『何でも見てやろう』の精神を少なからず受け継いでいるのである。


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1.オヤオヤもんど (2007/12/11)
7月30日でしたか・・・
この本を古本屋さんで買った覚えがあります。
タイトルからでも影響を受けますよね・・
2.フィリップ・まろ (2007/12/11)
嗚呼、オヤオヤもんどノ介殿。
よくぞこの本に辿り着いてくださいました。
思想色の濃い著者の書籍はとかくに敬遠されがちです。
しかし、この本は、『右』も『左』も無く「若者よ!」と呼びかけた内容の本であると思っています。
小田実の残した足跡は本来、『中道』であったと思います。
 

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 10

いま、会いにゆきます

著者 : 市川 拓司

出版社:小学館

発売日:2003-03

評価 :

完了日 : 2007年07月21日

とあるテレビ局の昨夜見た番組モニターを書き上げ、一息ついて『よしもと新喜劇』をテレビ観劇。そして今日のモニターを見るまでの空き時間もそのままテレビを点けっぱにしていたところ、地デジ対応のための特番が始まった。
『ラスト3デイズ』というタイトル。
「もしも3日後に親である自分が死ぬとしたら、子供に何を伝えたいか。何を遺して置きたいか」との内容で、一般の二つの家族がその命題に挑む。3日間を、思い出の場所に行ったり、一緒にお風呂に入ったり、食事を作ったり。何気ない日常の過ごし方をする。
最終日。親子がお互いに宛てた手紙を読む。さよならの手紙。番組内での設定と解っているのに、「ああ、今日でお別れなんだ」と意識した互いの手紙に涙する親子。ボクもつられてボロボロ涙を零してしまった。
そして一昨年の梅雨時に読んだ『いま、会いにゆきます』を思い出した。死んだはずの澪、アーカイブ星の住人になった澪が帰ってきた。限られた時間内での愛する人との再会。人生の時の歪みに入り込んだ澪には半生をやり直すことが可能だった。だが澪は今とは違った人生を選びはしなかった。その道を選ぶということは結果、自分の死期が確定する。それでも澪は巧と祐司のもとへ会いに行く。
澪が残した最後の手紙には泣けた。
長い長い今年の梅雨。テレビ番組の企画から『いま、会いにゆきます』を思い出し、愛する人との何でもない日常の尊さに胸をキュンとさせています。


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 4

不都合な真実

著者 : アル・ゴア

出版社:ランダムハウス講談社

発売日:2007-01-06

評価 :

完了日 : 2007年07月08日

少なからず環境問題に携わる者としては『沈黙の春』と同様に避けては通れない本。しかし定価2800円はどうしても避けて通りたくなる金額だ。古書店で探しても半額がいいところ。こちらも迂回したい。地元の図書館の在庫数と順番待ちを調べた。7月8日現在、在庫数1冊。予約順位7番、とのこと。8番目として登録すべきか、でも何時になるかわかんないし。借りに行くのはめんどくさいし。まして本というものには瞭かに“旬”があって、読みたい時期と読める時期が見事に重なってこそ読書は快楽をもたらしてくれる。今この時なら読む気満々なのに。


上記から既に半年が過ぎた。
未だに本編を読めてはいない。
しかし、もう一度ここに感想を書くことにした。
と言うのも、ついさっき僕は映画の『不都合な真実』を観てきたからだ。
地元の法人会が主催。入場無料。やるではないか我が街の中小企業のオジサンたち。そう聞きつけては万難を排して出掛けなければならぬ。

映画の冒頭部分で月から写された地球の写真が映し出された。息を呑むほどに綺麗な星だよ、地球は。しかし、今この星が温室効果ガスによって蝕まれようとしている…。
と言うところから始まり、地球温暖化の現状を示すデータが次々に登場。万難を排して駆けつけたくせに、僕はコックリコックリうとうとしてしまった。数字やグラフに弱いたちだから仕方がない。

アル・ゴアの生い立ち、つまり、煙草の生産工場を経営する家の子供として生まれ育ち「10歳はなれたお姉さんが保護者であり、遊び相手であった」との下りから話は急展開を見せる。お姉さんは家業の煙草によって肺ガンで早逝する。アル・ゴアはこの因果関係に地球と人類の将来を見てしまったのだった。

そして連邦議会での様子や、経済と環境の優先順位を政治が決めてしまう現状を炙り出していた。

このまま地球温暖化が進めば近い将来世界地図がこう変わる、とのシュミレーションには背筋がぞっとした。僕とて環境管理責任者であり、ISO内部環境監査員。頭では知り尽くしているつもりの情報も、ここまで論理的に且つ、体系的、情緒的に積み上げられると僕の持っている情報とは現実味が違いすぎる。美しすぎるくらいのアル・ゴアの訴追力には圧倒されてしまった。

映画の最後に、冒頭の地球の映像がまた映し出された。涙ぐんで見ている僕がいた。ほんの2時間足らずの映像体験の間に地球に対する僕の思いがこんなにも劇的に変化していた。地球への愛おしさがこの映画によって格段に高まったことを実感した。


さて上記を記録してからまた幾日かが経過した。
そして2008年2月17日読了。

常に世界のリーダーを自認し標榜するアメリカが何故、環境問題、特に地球温暖化防止に遅れを取り、京都議定書に批准しないかのか、のからくりが判然とした。あまりにもアホ臭く、我ままな大国の為政者の導き出した結論。地球環境と自国の経済を天秤にかけているのだ。それも多額の政治献金を用意している企業のための。つまり、温室効果ガスとなる二酸化炭素を大量に排出する化石燃料を主たる商品として販売する企業集団の圧力に屈してきたわけであった。そして当時のアメリカ大統領は市場原理主義の信望者である己のその地位を守ることと引き換えに地球環境を犠牲にしたのだった。「地球温暖化はCO2の排出が主たる原因ではない」などと、御用学者お得意の出鱈目な意見書を大々的に印刷、配布して「我々は豊かな暮らしを謳歌していいのです」とキャンペーンを張った。

アホらしくて、何をかをいわんや、である。
学生時代、環境問題を学んできたアル・ゴアはもはや、自分が政治の世界に身をやつしている場合ではない、と判断した。アメリカ人に、いや世界中の人々にもっかの地球の窮状を訴え、その元となる温室効果ガスの削減を地球人一人一人に呼びかけなければならないと、立ち上がった。

アル・ゴアの研究力、リサーチ力、判断力、説得力は抜群である。心ある地球人であるならば、彼の話に耳を傾けなければならない。そして、一刻も早く、持続可能な開発と地球環境の保護の両立する世の中をつくる努力をしなければならない。


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5.KUMI (2008/02/05)
歩くのも、もちろん大好きですが一番好きな移動手段はやっぱり自転車。(ブルー・インパルス調子悪そうだね・・。)
いろんな場所まで風と一緒に私を運んでくれる頼もしい相棒です!そういえば、この前友人に「自転車と、コーヒーを
発明した人には、kumiから、ノーベル賞をあげちゃうよ」
なんて、おバカな発言してました。どちらも私を元気にさせてくれますのでな♪
6.フィリップ・まろ (2008/02/05)
ハローワークに通っていると様々な問題点に疑問を抱くね。
たとえば求人票の交通費手当。あれって間違いなくガソリン代を指しているよね。
なぜ自転車通勤者に高い配慮をしないのか。
環境配慮型通勤者をもっと厚遇しないのか。
卑しくも環境立国を標榜する日本がなぜ世界で最初に『チャリ通勤者高額手当制度』の導入を推進しないのか。
ブルー・インパルス点検整備費の無償化を実施しないのか。

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 3

潤一郎訳源氏物語 (巻1) (中公文庫)

著者 : 紫式部,谷崎 潤一郎

出版社:中央公論新社

発売日:1991-07

評価 :

完了日 : 2007年07月08日

遡る事30年前。そう僕が京都産業大学の学生であった頃。師匠である今東光和尚は、矢鱈と「知識を得るため本を読め!度胸をつけるため殴り合え!」などと、読書と喧嘩を奨励していた。僕はその通りの毎日を送っていた。大学の4年間に1000冊読破の偉業?を達成できたのも師匠のこの言葉のお陰だ。後にひったくり犯人をトッ捕まえて警察から表彰されたのも喧嘩で鍛えた度胸のお陰だ。
自慢話はさておき、そんな学生時代のあるとき、僕は決意した。読みやすい本ばかりを漫画を読むみたいに快楽優先で読んでいてもしょうがない。頭がはちきれそうな難解な書物に挑戦すべきではないかと。それでアタックを試みたのが、師匠・今東光和尚のそのまた上の師匠・谷崎潤一郎による現代語訳の『源氏物語』。
幸い、僕は京都に居て、物語の背景は手に取るように理解できる。実際に舞台となる現場に足を運ぶことも可能だ。そこまで条件がそろえば、いざアタックするのみ、とばかりに日本文学の最高峰をめざして、無酸素単独登頂をしかけたのであった。
が、この山はあまりにも高すぎた。ルートファインディングができない。ハーケンが打てない。何よりも空気が薄すぎる。呼吸困難に眩暈がしてしまう。「いったい、この本のどこが現代語訳やねん!クソジジイめ!」と大谷崎に向かって雑言を吐いたりもした。僕が読んだ中公文庫版には池田彌三郎による各帖の解説があり、本文を少し読んではそこへ戻りまたページをもとに戻しての繰り返しであった。
大学に行っても、大教室のまん前のど真ん中に陣取っては『源氏』を読んだ。そのうち講義の教授も僕の行動を認めてくれるようになった。彼女とデートのときも、寺町京極のさらに裏通りで喧嘩をするときも『源氏』を離さなかった。こうした努力の甲斐あって、僕はついに日本文学の最高峰の無酸素単独登頂に成功したのであった。


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明日の記憶

著者 : 荻原 浩

出版社:光文社

発売日:2004-10-20

評価 :

完了日 : 2007年05月27日

「誰だっけ。ほら、あの人」
 最近、こんなせりふが多くなった。
「俳優だよ。あれに出てた。外国の俳優だ」
 代名詞ばかりで、固有名詞が出てこない。

 冒頭の一節に「はっ!」とした読者はおそらく40代以上の人。勿論、僕も。「ゲゲゲゲッ。オレのことじゃん」なんて。でも、おじさん、おばさんは結構覚悟ができていて「半世紀も生きてきたら仕方ないか」と。しかしこれは中高年特有の開き直りであり、その実、やはり何がしかの恐怖感を抱いている。こういった状態をしきりと「怖い」と書評を書いているのはたぶん若い人たちなんだろうな。せっかく苦労に苦労を重ねて(或る時は親に叱られ、またの日は学校の先生にアホにされ、さる日には塾の講師にどなられ、また友達にまでバカにされながらも)集積してきたこの膨大な知識。それがガラガラと音をたてて崩れてゆく。容赦なく迫り来る認知症。若い人にはそれはもうとてつもない恐怖だろうな。僕は、赤瀬川原平長老の『老人力』を身に着けつつあるからどうにかこの恐怖心を克服しつつありますが。
 あっ、そうそう。“認知症”と一口に言っても、脳の血管の異常による痴呆と、脳の萎縮による痴呆がある。前者を“脳血管性認知症”と言い、後者を“アルツハイマー型認知症”と呼ぶ。表題作のモチーフとなっているのは後者のアルツハイマー型認知症である。
 しかし、よくもこれだけ迫真の描写ができたものです。かなりの量の資料に目を通し、幾つもの取材に体当たりしてきたのでしょうね。相当過酷な準備期間だったことが想像できます。僕の妻は介護福祉士。僕も登録ホームヘルパーです。僕はまだまだ未熟で経験が無いのですが、それでも認知症の人との接触はあります。本人のケアとともに大切なのは家族のケアです。若年性アルツハイマーの人に出会ったことはありませんが、『明日の記憶』のように介護の中心はやはりその配偶者となるのでしょう。家族介護者の心と身体のケアが重要な課題です。
 社会問題としての視点から是非一読して欲しいので満点を点けます。


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1.りょうま (2008/04/21)
信用していた陶芸の先生に裏切られる場面は、読後も自分に置き換えて、ずーっと、あとまで尾を引きました。
裏切るほうでも、裏切られるほうでも、たまりません。
少し、前に読んだので、詳細な結末は覚えていませんが、
「人間がこわれていく」、人間や、社会はこの状況を克服