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フィリップ・まろさんの読書ノート

フィリップ・まろの古寺巡礼
京都、奈良、鎌倉・・・日本の美、或いは伝統や精神文化を求めて古き御寺を巡り歩いていたプータロー時代のボク。そんな旅の空、旅の宿で読んできた本、ここに集結。
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寂聴と巡る京都

著者 : 瀬戸内 寂聴

出版社:集英社インターナショナル

発売日:2006-10

評価 :

完了日 : 2008年07月07日

『寂聴と巡る京都』
看板に偽り無し。
実際に寂聴さんと一緒に京都のあちこちを散策しているような内容です。

寂聴さん行きつけの京料理の店、京菓子の老舗、美食の街京都のフランス料理店、祇園の小料理屋ともったいぶらずに気前良く案内してくる。

古寺巡礼も一味違う。
天台宗延暦寺派の僧侶であり、名だたる作家である寂聴さんと由緒あるお寺の山門をくぐってみるといつもと違った空気感が漂ってくるよう。寂聴さんの案内にお寺の持つ歴史的重層性がさらに厚みを増すせいだと思われる。

この本によって京都が向こうから近づいて来てくれたようでもある。

そして、僕は思う。また京都に住みたい、と。

この本、集英社インターナショナルが発行しています。
発行者は島地勝彦さん。
30年前、瀬戸内寂聴さんの師僧である今東光大僧正が『週刊プレイボーイ』で『極道辻説法』を連載していたときの編集者です。
故今東光和尚の13回忌の席で僕は寂聴さんにも島地さんともお目にかかる機会を得ました。機縁に恵まれた身を有難く思い仏縁に感謝する次第です。

仏弟子、フィリップ・まろ


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美しい日本の私―その序説 (講談社現代新書 180)

著者 : 川端 康成

出版社:講談社

発売日:1969-03

評価 :

完了日 : 2007年08月26日

息子が安倍晋三の『美しい国へ』を読んでいたので「おいおい、その前に絶対に読んでおかなければならない日本学の本があるのだよ」と『美しい日本の私』を貸してやった。基本的に息子であろうと僕は自分の本を差し上げたりはしないのである。ケチなのである。親子でも。それはダメ。
ということで今、京都・宇多野の四畳半バス・トイレ付き家賃28000円の下宿にある。手元に本が無い上にうろ覚え。だってもう25年以上も前に読んだ本なのだ。でもこの本について書いてしまうのである。
突然、この本のことを書こうと思いついたのは、或る“たなぞう”仲間の読書ノートに「雪月花のときもっとも友のことを思う」と書き込んだことに由来する。
日本学で大切なキーワード。それは「もののあはれ」である、と僕は見ています。その辺りのことを川端康成が実に見事に論じています。薄い新書版ですが、日本の美の解説はこれに尽きるなぁ、と感じさせる「納得!」の本です。
「もののあはれ」を知り、分かち合える友との語らい、こんなに穏やかで安らげる時間はありません。


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2.フィリップ・まろ (2007/08/27)
もはや完全に我が朋友となりし友に送る一行詩。

父と子の散歩。夕焼けを見に。昼はいっぺんに夜になりはしない。ゆっくり育て子供たち。

これが新聞に載ったとき「一行詩の新しい可能性を思う一遍の叙情詩である」と誉められました。KUMIさん親子に捧げます。
3.KUMI (2007/08/28)
つかず、離れず、まるで衛星のように親の周りをぐるぐるするんですよね。きれいな夕日も一人で見てると寂しくなったりするのに、子供と一緒だとなぜこんなにも心が満たされて
いくのでしょう。きっと、子供も私と同じく、楽しいのでしょうね。短い詩の中にお子様への溢れんばかりの深い愛情を感じます。素敵な詩をありがとうございました。

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万葉の人びと (新潮文庫)

著者 : 犬養 孝

出版社:新潮社

発売日:1981-12

評価 :

完了日 : 2007年07月28日

あ~あ、この本の書評もボクが最初ですか?
例によって、表紙の写真は無いし。ったくもう。
現代日本ばかりじゃなくて、もう少しだけでも古代日本を考えましょうよ。
ということで、ここでも例の如く勝手にやらせてもらいます。

「言霊信仰というのは、言葉には霊魂がある、命がある、だから良い言葉を言えば良いことが実現し、悪い言葉を言えば悪いことが実現するとする信仰といったらいいと思うのです」

ダチョウ倶楽部的に言うと、まずこの文章で「掴みはOK」です。“呪い禁止令”などといった禍々しい法律があった頃の話です。言葉の持つパワーがそれだけ信じられていたのでしょう。でもこれは人類が存続する限り信じてゆくと言うか信じるべきことのように思うのはボクだけでしょうか。

「大和には 群山あれど とりよろふ
 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 
 国原は 煙立ち立つ
 海原は 鴎立ち立つ
 うまし国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」

こうして国を治める統治者は国中が見える小高い丘に登って国見をして国を褒め称えるのだそうです。良い言葉で国を満たし、さらに良いことが続くことを願うのです。統治者は自然の前で謙虚であり、言葉の使い方が的確であったわけです。
本来、美しい日本はこうして出来上がってきたものなのです、安倍さん!


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大和古寺風物誌 (新潮文庫)

著者 : 亀井 勝一郎

出版社:新潮社

発売日:1953-04

評価 :

完了日 : 2007年07月27日

書評を書こうと検索したら「該当する書籍はありません」と出た。「うーむ、この名著が日本の出版界から姿を消したとしたら、もはや世も末であるなぁ」と思った。自分の打った文字をよく見ると『大和古寺風物詩』となっていた。“風物詩”では該当する書籍が無いわけである。“風物誌”であった。日本の出版界もまだまだ捨てたものではない、と今度は胸を張った。調子いいなぁ、放浪の巡礼者って。

「この一、二年というもの、僕は自分の死期の切迫を常に感じて生きてきた。激しい空襲にさらされながら、文字どおり明日知れぬいのちを憂いつつ生き永らえてきたわけだが、そのとき僕は、生涯のしるしになるような作品を書き残したいと発願した。」

文章を書くことに対する姿勢が、生真面目でありながらどこかオチャラケてしまうボクなどとは雲泥の差である。作品を書くには「発願」しなければならないのである。

いけない。またもや脱線してしまった。
『大和古寺風物誌』である。自分の身に迫る死期への想いから、大和の古寺に魂の回帰を求めた著者。ボクが意のままにならない世をすねて巡礼を続けていたのとは大違い。比較してもしょうがないのだが、幾許かの自己嫌悪に苛まれてしまう。戦時中の若き文化人の生きざまを羨ましく思ったりもする。いやいや、大和の古寺には100年程度の時代の差異などたいした問題ではないのかもしれない。千年以上もの各々の時代の人々のそれぞれの苦悩を受け止めてきたのが大和の古寺である。
しかしこうしてまとめに入ろうとするボクの柔な心情をも鋭く射抜く著者の視線。ボクの好きな新薬師寺の十二神将像など容赦なくボコボコに酷評されている。しかし「なるほど」と頷ける評価でもある。そして「いいんだ、亀井勝一郎がダメ出ししたって、ボクは好きなんだもんね」と開き直るのである。


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4.フィリップ・まろ (2007/07/28)
休日ですが半日見積もりの仕事をして帰宅。自転車で5分のところに会社があるものですから。早速スーパードライ(もちろんお中元に頂いたものです!自分じゃビールは買えません!!)をやっつけながら、ノートを開きました。くうふうさんのホームグラウンドは烏丸ですか。ボクは上賀茂です。幡枝の円通寺や西賀茂の正伝寺にはよく通いました。今年息子が立命館に入ったのでまた京都との結びつきができました。
5.くうふう (2007/07/28)
お勤めおつかれさまです。私は半日図書館に入り浸っていました。立命館と言えば、北野天満宮や金閣寺のすぐ近くですね。再び京都とご縁ができたこと、うらやましい限りです。さすがにフィリップ・まろさんは渋い仏閣に通われていますね。僕は居心地のよさ(昼寝と読書)だけで東本願寺御影堂ばかりで、たまに南禅寺枯山水でした。南禅寺での昼寝はさすがにバツが悪かったですが。不真面目な「巡礼」者ですいません。

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大和路・信濃路 (1960年) (角川文庫)

著者 : 堀 辰雄

出版社:角川書店

発売日:1960

評価 :

完了日 : 2007年07月26日

点数は辛いけれど、反して好きな作品ではある。
『十月』の中の秋篠寺のくだりと『浄瑠璃寺の春』がボクのお気に入り。

「いま、秋篠寺という寺の秋草のなかに寝そべって、これを書いている。いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある伎芸天女の像をしみじみと見てきたばかりのところだ。このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい」

全く同感である。「僕たちのもののよう…」の僕たちのなかに紛れも無くボクも入っていることを実感する。

馬酔木の花咲く頃の浄瑠璃寺。これはもう本なんて読んでなくていいから兎に角一度行ってごらんなさい! と、古寺巡礼のスーパー極私的書評家にあるまじき寺山修司的「書を捨てよ」宣言を威風堂々申し述べてしまいたくなる。でも、そのことにボクが気付いたのはこの本を読んで実物の浄瑠璃寺の春に憧れたことに端を発する。やはり活字の力は強いのである。人を動かすことなど、造作も無いことなのである。そして人は動き、著者の追体験と共に、己の実体験を重ね、その心に結晶美化作用を呼び起こすのである。

信濃路の風景描写では朝もやの優しいベールに包まれている自分を感じられる。どうすれば文章にこのようなしっとりとした潤いと肌理の細やかな空気感を載せられるのだろうか。研究の余地ありである。


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1.くうふう (2007/07/27)
こんにちは。私もこの本大好きです。他の作品でもそうですが、堀辰雄の文章って透明感があって洗練されていて、いいですよね。
2.フィリップ・まろ (2007/07/27)
コメント有難う御座います。
腺病質でひ弱で、そのくせに語り出したら終わらない、いい気なお坊ちゃま、ってところが嫌いなんだけど、気になってしょうがない。ボクみたいな放浪の巡礼者には無い、洗練された雰囲気が堀辰雄にはあります。素直に“好き”と認められればボクはもう1ランク上のステージに上がれるのかも知れませんが。ここではまだ『浄瑠璃寺』と『秋篠寺』の部分だけをお気に入りと認めるに留めておきましょう。
 

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祈りの造形 (NHKライブラリー (71))

著者 : 西村 公朝

出版社:日本放送出版協会

発売日:1997-12

評価 :

完了日 : 2007年07月18日

1986年4月から6月期のNHK市民大学に『祈りの造形』という講座があった。テキストが出版されたが、文字通り講義ノートの様相を呈していた。いや、このテキストとて、十二分に読み応えはあった。ボクの持っているテキストを引っ張り出してみると、放送12回分のそこここにガシガシと線が引いてある。おお、なんと勉強熱心であったことか。高校時代にこれくらい勉強していたら、京産大玄武会じゃなく、京大青竜会の仲間入りができていただろうに。などと過去を悔いても致し方が無い。全ては十二因縁のもたらせるところである。高校生であるボクの一念が三千大千世間を動かした結果が今ここにある。であるならば、京産大玄武会出身である自分を受け入れ、それこそを、よし、としよう。事実、自分は京産大が好きなのであるから。
『祈りの造形』は前述したように、番組であった。テキストであった。それが1988年、日本放送協会出版より装いも新たに随筆集として上梓される運びとなる。ヒト、モノ、カネ、が日本中に溢れ出し泡沫の景気が世を席巻しようとしていた。世をすねて方向性を見失いがちなボクに仏像の意味するところ、信仰のかたちを教えてくれたのがこの本である。著者の西村公朝は天台宗の大仏師。悩めるボクが手紙を送ったところ、とても美しい文字で丁寧に書かれたお葉書を頂いたのを覚えている。乱世に本物を発見した喜びは今も忘れない。


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ぶつぞう入門 (文春文庫)

著者 : 柴門 ふみ

出版社:文藝春秋

発売日:2005-08-03

評価 :

完了日 : 2007年07月15日

感想を書いていた“たねさん”の人柄に背中を押されて、さっそく図書館に予約を入れておきました。本との出合いが人との出会いを生む場合もあれば、人との出会いが本との出合いを生む場合もありますね。

7月19日借り出し7月22日読了。
なるほど“たねさん”がおっしゃるとおり、仏像の入門書と言うよりは読み物として楽しめました。新しいスタイルの仏像案内の書は、新しいかたちの古寺巡礼の書でもありました。
「男性信者は観音に官能を見出し、女性信者は天部衆にひそかに恋をする。こうやって日本人の心の奥深く仏教は浸透して行ったのである」とのサイモン説には大いに頷けます。ボクも最初は観音像に永遠なる母性を見出したものです。男性は幾つになっても困ったときや心が弱っているときには強い母性を発揮するものに心惹かれて行きます。逆に言えば、女性は、困惑し眉根を寄せて立ちすくむような美少年系の天部に母性愛を感じるものなのかもしれませんね。ボク自身で言えば、誰が何と言おうと、秋篠寺の伎芸天が一番のお気に入りです。25年以上も前から、つまり妻と結婚する以前から、自室には伎芸天のパネルが掲げられています。
『ぶつぞう入門』は著者の人柄や趣味がもろに前面に出ています。が、それが返って「わたしはこうだけど、皆さんはどうでしょうか」との読者への問いかけのように読み取れます。著者の主張が決して押し付けになっていないところは「さすが紫門ふみ」と言っておきましょう。イラストがまたいい。仏像それぞれの個体のもつ特徴が強調されていて、見るべき部分、味わうべき芸術性を解りやすく表現しています。
とかく固くて専門的になってしまう仏像案内をよくこれだけ平明、それでいてわりと突っ込んだ表現ができたと思いました。


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6.フィリップ・まろ (2007/07/24)
いえいえ、大丈夫ですよ。わざわざ講義の合間に書いてくださったことに感謝致します。それと、院生の恥じらいに少々トキメキを覚えてしまいました。
ここで一つ薀蓄を。
東大寺戒壇院の広目天は梵名を『毘楼博叉(びるばくしゃ)』と申します。会津八一は『自註鹿鳴集』のなかで「びるばくしゃ まゆね よせたる まなざし を まなこ に み つつ あき の の を ゆく」と詠んでいます。ボクの大好きな歌です。
7.たね (2007/07/28)
素敵な歌のご紹介ありがとうございます。
戒壇院広目天の表情は本当に美しいと思います。悩ましげであり、厳しくもあり、また寂しげでもある…。見る人の心に深く寄り添ってくださるような精神性を感じます。じっと見つめていると恋してしまいそうになります。

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大和路のこころ (講談社文庫 い 27-1)

著者 : 入江 泰吉

出版社:講談社

発売日:1978-12

評価 :

完了日 : 2007年07月15日

万城目学『鹿男あおによし』を読んだ人!
あなたはこの入江泰吉『大和路のこころ』を是非とも読むべきです!
物語の情景がさらに明確にあなたの記憶に残されるでしょう。そしてやがては虚実が糾える縄の如くにひとつの幻想的神秘体験として心に刻み込まれるのではないでしょうか。ボクなんてそんな追体験をあちこちの名所旧跡、小説物語で味わい過ぎてもはや何が真実でどれが虚構の世界のできごとであったか定かではないことがいっぱい。つまり我が心は10歳の夢見る少女の如く(50のオヤジと思うとキモイからね)ふわぁ~んとしたことで満たされているわけです。

100ページにも満たない小品ですが、大和ごころがたっぷりと詰め込まれたフォト&エッセイです。どの1枚をとっても大和くにばらの空気感が伝わってきます。ボクが入江泰吉の写真が好きな理由は、たった1枚の風景写真がドラえもんのどこでもドアのような役割を果たしてくれるからです。ページを開くとその場所に立つ自分を感じられるからです。夕焼けに燃える薬師寺の東塔。秋色のいかるが法隆寺に続く野の小径。何者かを見据える東大寺戒壇院の広目天の眼差し。ページを繰るごとにここにいるはずのボクはそこにいる。しかも入江泰吉の目がボクの目になっている。ここにある写真は全部ボクが見たもの、そんな気がしてくる。この技量は並みの写真家ではないですよ。ファインダーを覗いている己の存在を掻き消して、読者にその視線を委ねられるこの技術。おそらくシャッターを切る瞬間の入江泰吉は彼自身が大和の空気の一部と化しているのだと思います。


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2.フィリップ・まろ (2007/10/27)
良い企画ですね。
~入江泰吉と奈良を愛した文士たち~ですか。
残念なことは、奈良を愛した文士たちの一人として僕が入っていないことかな。
3.トマピィ (2007/10/27)
あっ~入れとくの忘れてました~。

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隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

著者 : 梅原 猛

出版社:新潮社

発売日:1986-02

評価 :

完了日 : 2007年07月15日

「くわばら、くわばら」とは雷神が桑の木がきらいで、そこへは落ちて来ないので、古人は雷がなると「桑原桑原」と唱えたという。また菅原道真の領地にはかつて桑畑が多くそこには落雷が無かったことに由来するとも。もっとも道真自身が死後怨霊と化して雷神の姿をとってしまったが。

君は法隆寺が聖徳太子(現代の歴史書では厩戸皇子と記すのが正しいらしいが)の怨霊封じ込めのために建立された、といわれて信じれれるだろうか。
ボクは「何を言っているのだろう、この人は」と思いつつ読み始めた23歳の秋の日であった。
哲人にして新・歴史学者である梅原猛から次々に繰り出される仮説と傍証。ボクはその度に、読むのを一息つかざるを得なかった。頭と心の整理が着かなかったのである。著者によって法隆寺の七不思議がさらなる深みを持って塗り替えられてゆく。「そんなばかな」とか「法隆寺の冒涜ではないか」と思いつつ、いつかすっかり“はまって”しまっていた。500ページを超える論文である。が、その展開の意外性にぐいぐいと引き込まれてしまった。信憑性の高い物証と説得力のある論拠に裏打ちされた“歴史ミステリー”の濫觴とも言える作品である。

しかし、ボクは読了後、天に向かって「くわばら、くわばら」と唱えることを忘れなかった。


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自註鹿鳴集 (岩波文庫)

著者 : 会津 八一

出版社:岩波書店

発売日:1998-02

評価 :

完了日 : 2007年07月10日

秋艸道人・会津八一の歌集。
説明よりも実際に歌を味わっていただいた方が良いかと思います。

 くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の 
 かげ うごかして かぜ わたる みゆ

 ならざか の いし の ほとけ の おとがひ に
 こさめ ながるる はる は き に けり

 じやうるり の な を なつかしみ みゆき ふる
 はる の やまべ を ひとり ゆく なり
 
 ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に 
 あひみる ごとく あかき くちびる

 びるばくしや まゆね よせたる まなざし を
 まなこ に み つつ あき の の を ゆく

もう一度、声に出して読んでみて下さい。どうです。素敵でしょう。音が素晴らしい。唇と舌が軽快に言葉に命を吹き込んでゆく。意味が解れば尚更ですが、意味など解らなくても充分に鑑賞に堪えます。あらためて、やまとことばの美しさを知らしめられます。若い頃、永らく貧乏旅人をしてきましたが『自註鹿鳴集』と和辻哲郎『古寺巡礼』を旅行鞄に忍ばせていた僕の青春は豊穣そのものでした。
最後に僕の、あおによし奈良短歌をば。

 立ち止まることのありても退かずその心もて不退寺の坂

 
 
 


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古寺巡礼 (岩波文庫)

著者 : 和辻 哲郎

出版社:岩波書店

発売日:1979-03

評価 :

完了日 : 2007年07月09日

私事で恐縮ですが(本の感想と言いながら、いつも私事しか書いてないけど)大学を卒業してもなお10年近くもプータローをしておりました。比叡山の山寺で居候をしてみたり、信州の高原野菜農家に住み込みでアルバイトをしていたり。横浜で屋根瓦の張替え職人まがいの仕事をやっていたり。数ヶ月働いてはバイト料を握り締めて、次の旅に出る、なんて日々でした。
奈良は、とりわけ永らく潜伏していた街です。旅の友がこの『古寺巡礼』と会津八一の『自註・鹿鳴集』でした。一人旅の無聊と寂しさをこの2冊の本にどれほど慰められたことでしょうか。
この本まるごと好きなのですが、とりわけ『浄瑠璃寺への道』の章が気に入っています。「古人の抱いた桃源の夢想が、浄土の幻想と結びついて」浄瑠璃寺をこの地に建立させた、と解く辺りの和辻哲郎の慧眼さに脱帽です。何度も僕は浄瑠璃寺を尋ねていますが、実際にその通りの聖地なのです。
アジャンターの壁画。ガンダーラ美術。鑑真和上。光明皇后。玄奘三蔵。千手観音。十一面観音。吉祥天女。弥勒。夢殿。エンタシスの柱。戒壇院。カラ風呂。
ああ、こうしてランダムに並べあげただけでも何と魅力に満ち溢れた名詞の数々。
定年になったら、また奈良に引き篭もってしまいたい。


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1.ナッツ太郎 (2008/10/16)
まろさんこんにちは。高校の修学旅行が「奈良・京都」だったので、私もその時この本を読みました。修学旅行と言っても団体行動は一切なく、各班(4人)ごとに決めたコースを巡るのです。その中で一番印象深かったのが浄瑠璃寺なのですよ!九体の阿弥陀仏を目の前にして、余りの神々しさに言葉もありませんでした。いい本を思い出させてくれて、ありがとうございました。この本棚、他にも気になる本がいっぱいです♪
2.フィリップ・まろ (2008/10/17)
よくぞ、ここに来てくださいました。
僕にはいろんな面があります。
古寺巡礼者である僕。
たなぞう界のフィリップ・まろ的にはあまり注目をされていない部分ですが、自分ではとても大事にしている側面です。
ナッツさんは浄瑠璃寺の体感者ですか。それは、それは。
ようこそ、といった感じです。
古いお寺や美術工芸についてまた話しましょう。
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