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Tetchyさんの読書ノート

国内ミステリ
国内作家のミステリ作品です。広義の意味でのミステリなので、エンタテインメントといった冒険小説はもちろん、ホラーやSFなども入ってます。
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 5

リング (角川ホラー文庫)

著者 : 鈴木 光司

出版社:角川書店

発売日:1993-04

評価 :

完了日 : 2008年11月23日

同月同日同時刻、4人の男女が心臓麻痺で亡くなる。
その4人のうち、大石智子の叔父、浅川和行は、その共通する事象に奇妙な手応えを感じていた。

雑誌記者である彼は、会社の同意を得られぬまま、独自の調査を始める。
智子の部屋で発見した野々山結貴という人物のパシフィック・リゾート会員証を手掛かりに浅川は南箱根にある施設に向かう。

死んだ4人はそこの同じ部屋に宿泊していた。
そこで発見した1本のビデオテープに浅川は今回の事件の手掛かりがあると睨む。

ビデオテープの内容はなんとも云えない抽象的な映像と火山の噴火、赤ん坊、どこかの方言を話すお婆さん、そして傷つけられ苦悶する男など関連性のない映像が綴られていたが、そして最後に出てくるメッセージに浅川は驚愕する。

「この映像を見た者は、一週間後のこの時間に死ぬ運命にある」

浅川は高校時代の友人、高山竜司に調査の協力を頼む。1週間後、彼が生き残るために。


説明不要のベストセラーホラー。
貞子は独立したキャラクターとしてお笑い番組など各種メディアに登場するほどにもなりました。

「このビデオを観た者は1週間後に死ぬ」
古来からある不幸の手紙の現代版です。

これを皮切りに「着信アリ」ほか色んな都市伝説ホラーが生まれたといっても過言ではないでしょう。
とにかくこの作品は当時それほどインパクトがありました。

で、私といえば、なんと映画も観たことがなく、この小説が全くの初見。
とはいえ、あれだけTVでCM、さらにTV放映、ドラマ化もされているので、なんらかの先入観は禁じえません。

貞子も知っていましたし。
だから出てくる登場人物に出演俳優がダブってしまうのは避けられませんでした。

で、肝心の作品の中身はといえば、やはり面白いです。
物語の読ませ方も上手いです。

そして確かに怖いです。
書いていることに特別おどろおどろしさはなく、言葉も怖さを助長させるようなオーヴァーな表現は使われていませんが、なんだか人を不安にさせる空気がこの中にはあります。
これは確かに映画化されるのもむべなるかな。

まずビデオの映像に描かれたモチーフを、これらがどんな意味を持っているのか、探り当てます。
そしてその過程で現れる山村貞子という名の女性の存在。

彼女の一族に纏わる因縁は坂東作品のホラーを思わせます(というよりもこちらの方が先か)。
そして山村貞子の存在の忌まわしさ。

彼女の類い稀なる美貌にそぐわない報われない生い立ちとその一生、そして彼女に隠された驚愕の事実などなど、作者鈴木光司氏はクーンツのようにこれでもかこれでもかと超心理学、陰陽道、ウィルスなどあらゆる分野から人間の歴史の暗部に纏わる逸話を投入し、読者のページを繰る手を休ませません。

そして呪いを解くオマジナイが成就したと思われた瞬間に訪れる、山村貞子の本当の呪いの正体。
この衝撃は今なお戦慄を伴うほど新鮮です。

冷静になって考えてみれば、これはもう最初から眼の前に出されていたのです。
全く以ってこの鈴木光司という名のマジシャンにまんまと騙されてしまいました。

本書が発表されたのは1991年とあります。
まさに本作こそ、日本にモダンホラーの黎明を高らかに宣言する画期的な作品だったに違いありません。

ビデオテープという文明の機器。
怪異な映像。
呪い。
超能力。
そしてウィルス。

これら一見結びつきようのないキーワードを巧みに混ぜ合わせ、これだけのホラーを作り上げたこの作者の力量は、素直に素晴らしいと褒め称えたいと思います。


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 1

幻の殺意 (角川文庫)

著者 : 結城 昌治

出版社:角川書店

発売日:1971-03

評価 :

完了日 : 2008年11月22日

結城作品初体験。
私がこの結城昌治という作家に興味を持ったのはどういう経緯だったでしょう?

当時私は色んなミステリガイドを読み漁り、そこに挙げられた名作(と云われている作品)を読むことを渇望しており、手当たり次第に手を付け、買い求めていってました。
その性癖は今でも変わらず、毎年年末のベストミステリランキングが発表されると、そこに名前が出てきた新進作家にどうしても食指が伸びてしまいます。

自然、未読作家は増えていき、自分の趣味に合うのかどうかも解らないまま、本棚の空きスペースを等比数列的に減らしているといった有様です。
で、この結城昌治氏ですが、何が私にこの作家の名を記憶に留めさせたのでしょうか?

確か今も続いている双葉社の日本推理作家協会賞の文庫化シリーズの1冊として彼の『夜の終わる時』がきっかけだったように思います。
その時の文庫裏表紙の説明を読み、当時稲見一良氏や志水辰夫氏の諸作に惚れ込んでいた私は内容も読まずに購入した覚えがあります。

そして当時の出版状況を調べて愕然とします。
この直木賞作家であり、既に物故しながらも日本のハードボイルド界の先駆的存在といわれている作者のほとんどの作品が絶版となっていたからです。

それから私の結城作品の果て無き探索の日々が始まります。
あれから約12年を経て、なんと光文社文庫から結城昌治コレクションが刊行されるようになりました。
なんとも嬉しい限りです。

さて前口上が長くなりましたが、初購入から12年目の着手という事で、その1作として選んだのが本書『幻の殺意』です。
内容は突然家族を遠ざけるようになった高校生の息子を心配する夫婦が、ある日息子が殺人犯の容疑者として捕まり、その事件の真相を父親が独力で探るという、非常にオーソドックスな設定です。

時代背景は終戦後約20年経ち、ようやくそれぞれが人並みの生活を送れるようにまで復興した昭和の時代です。
本作の物語の根幹は終戦後間もない明日を生きるのもしれぬ喧騒の中、生きるために必死にもがいた1人の男と1人の女の間に交わされた刹那の恋が、あるごく普通の家庭にもたらした悲劇を扱っています。

ミステリとしての味わいとしては特筆するところはあまりありません。
息子がひた隠す真犯人(と目される人物)の正体、謎の電話の主、藤崎清三の愛人の正体は、中盤辺りで解ってしまいました。

ただそこから更にもう一捻り加えてありますが、これが逆に陳腐さを覚えてしまいました。
よくあるヤクザ間の面子から生じるいざこざだからです。

また本書におけるちょっと現実ではありえない警察の不手際に戸惑いました。
いくら容疑者の父親とは云え、警察が安直に被害者の愛人たちの居場所を教えるでしょうか?
捜査の守秘義務や関係者の基本的人権を無視した行為でしょう。

また主人公の父親の方が知っている被害者の関係者を警察が知らないというのも気になりました(しかも警察の知らなかったその人物は後々重要になってきます)。
いくらなんでもこれは警察を無能に描きすぎでしょう。
それともこの頃の時代では、実際警察とはこんな物だったのでしょうか?

こういった瑕疵は気になるものの、最後に至る悲劇的結末はかのロスマクを想起させます。
題名『幻の殺意』に込められた意味はここで生きてくます。

夫婦の幸せは幻の上に成り立っている―これこそ作者が本作で描きたかったテーマです。
まさに昭和の時代に起きた一家庭の悲劇の典型とも云えます。

大過無く夫婦生活を終えようとする家庭の中には実はこの幻に潜む醜い秘密が暴かれなかっただけの物もあるだろうと。
私も祖父母の話を聞いたことがありますが、それは本当にドラマのような複雑な人間関係の話でした。

最後の方に出てくる一文

「そして幸福は、あるいは愛は、無知の上のみ築かれていくのか」

が痛く響きます。

知らなくてよいことというのは確かにあります。
しかし本当にそれでいいのでしょうか?

それは当事者のみが判断する事でしょう。
虚構の幸せか、現実の悲劇か?私ならどっちを選ぶだろう・・・。

しかし、私はこうも思います。
確かにその幸せは幻だったかもしれません。
しかしその幻が解ける前はその幸せは確かに在ったのだと。
それは幻でもなく、手応えの在った紛れもない真実だったのだと。

無から生まれ、また無に帰っていく、人の一生そのものが幻とも云えます。
しかしそれらの幻は確実に何かを残して消えていきます。
我々はそんな幻の中に生きています。


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 2

生ける屍の死 (創元推理文庫)

著者 : 山口 雅也

出版社:東京創元社

発売日:1996-02

評価 :

完了日 : 2008年11月21日

アメリカ各地で不可解な死者が甦る事件が発生していた。
その数は既に13件にも上り、ある者は病死で防腐処理を施された状態で、ある者は頭を斧で割られたまま倒れていたところを、普通に眼が覚めるようにと、その蘇生の仕方はさまざまで、また甦った死者たちに何ら共通点はなかった。

そんな中、グリンはアメリカはニューイングランドにあるトゥームズビルに向かっていた。
顔も知らない祖父の弁護士から、遺産の遺贈があるので来て欲しいとの知らせがあったからだ。

祖父スマイリーの部屋のお茶会に呼ばれたグリンは、その会でスマイリーに供されたチョコレートをもらい、部屋で二粒食べた後、死ぬ事になる。
しかし、自ら“生ける屍”として甦ったグリンは、進行する肉体の腐食と戦いながら、自らを殺した犯人捜しを行うが、なんら手掛かりは摑めなかった。

そうこうしているうちに、スマイリーは密室状態の中、服毒死してしまう。
遺書もあったことから自殺と見なされていたがグリンは他殺だと疑っていた。
そして次に長男でスマイル霊園支配人のジョン・バーリイコーンが刺殺死体で発見される。


世評高い山口雅也氏のデビュー作。
本ミステリで解き明かされる命題は「なぜ死者が甦る世界で、あえて殺人を犯す必然性とは何か?」という非常に難しい問題です。

そしてその命題を解き明かすための材料として、本作では終始“死”に関する考察が語られます。
“死”とは一体何なのか?
では“生”とは?

「肉体の死」と「精神の死」。
“死”についてあらゆる角度から、西洋医学、東洋思想、キリスト教、仏教初め、世界各地の宗教における死生観、はたまた死学的見地から“死”について考察の翼を伸ばします。

前半部は登場人物の一人、死学博士のヴィンセント・ハースが開陳する薀蓄と生ける屍となったグリンとの問答を通じて、山口氏による“死”に関する論文発表の場となっています。
そしてこれらが、最初に掲げた命題への解答となる論拠として色づいてきます。

この解答に至るまで、物語のそこここに散りばめられた伏線が確かに寄与しているのは解ります。
中には単なる洒脱なやり取りだけとしか思わなかった部分がこのロジックを解き明かす糸口になっていたりしています。

しかし、これはけっこう哲学的、観念的な論理ではないでしょうか?
本作に収められた密室殺人、ビデオを利用した殺人犯の追究など、黄金時代の本格ミステリの復活を想起させるガジェットに溢れていますが、結局のところ、これらは何のトリックも含まれません。

本当に単なるガジェットに終わってしまっています。
これが非常に残念です。

630ページのこの作品に込められた衒学満ち溢れたこの物語の、最後を締めくくるにはこの論理だけでは、いささかパワー不足で、カタルシスを得られませんでした。
刊行当時の89年に、死者が甦る世界を舞台に殺人事件を扱ったミステリというその特異性はかなり目新しい物だったのでしょうが、西澤保彦氏、石持浅海氏らがいる今ではそういった特殊な条件下でのミステリというのはさほど珍しくなくなってしまっています。

そして本作のこの設定に関して、そういう世界観なのだとすんなり入り込め、世の書評家が述べているような、どんな手腕を繰り出すのかという興味はそれほどなかったのも一因でしょう。
ところで、本作には希代のミステリマニア山口氏のエッセンスが凝縮されています。

まずグリンの仇名の由来にニヤリとしました。
ロスマクの『象牙色の嘲笑』から来ているというのがいいのです。

代表作の『さむけ』とかではなく、云わばどちらかと云えばマイナーな作品を扱ったところにマニア魂を感じます。
もちろんそれはこの作品が死をテーマに扱っている事に十分配慮したからこその選択というのも忘れてはなりません。

そして『縞模様の霊柩車』ならぬピンクのポンティアックの霊柩車というところもロスマクへのオマージュを感じていいではありませんか。
さらに霊安室の名前《黄金の眠りの間(ゴールデン・スランバーズ)》はビートルズの名曲。

チラッと出てくるニュース・キャスター、ドン・ランサーはダン・ラザーのもじりでしょう。
またびっくりしたのがグリンとチェシャがトゥームズビルに向かう車中でチェシャが読んでいた本が《探偵実話》だった事。

これ、実はこの前に読んだレナードの『ホット・キッド』に出てくるライター、トニー・アントネッリが寄稿していた雑誌なのです。
なんだかこの作品を読むためにレナードの2008年の新作を読むことが運命付けられていたかのような錯覚を覚えました。

そして棺桶暴走列車や霊柩車同士のカーチェイスなど、カーの笑劇趣味を思わせる趣向もこの作家としては自覚的なのでしょう。
とまあ、古典を読んできた私にとって、この読書は読書の至福を味わうひと時でありましたが、それがゆえに一層勿体無い感じがしてしまいました。


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 1

推理短編六佳撰 (創元推理文庫)

著者 : 北村 薫,宮部 みゆき

出版社:東京創元社

発売日:1995-11

評価 :

完了日 : 2008年11月12日

平成7年の鮎川短編賞は受賞作無しという結果に終わりました。
しかし、その選に洩れた中でも、そのまま落選させるのには勿体無いと思うものがいくつかあったらしく、これはそれらの佳作を集めた短編集。
一読して、本格推理小説の賞である鮎川賞になぜ落ちたのかがよく解りました。

残った6編のうち、現在作家として活躍しているのは永井するみ氏のみでしょう。
釣巻礼公氏も数年前、作品を上梓した記憶がありますが、その後の活躍を聞きません。

他の4人は光文社で現在も続いている文庫『本格推理』の常連作家ですが、実作家として活躍している話は聞きません。
別の筆名ですでにデビューしているのかもしれませんが。

この6編の中で読ませるのは遠田緩氏の「萬相談百善和尚」、釣巻礼公氏の「崖の記憶」、永井するみ氏の「瑠璃光寺」、次点で植松二郎氏の「象の手紙」でしょう。

「萬相談百善和尚」は売れない推理作家が新聞の奇妙な一行広告に釣られて訪れた相談所で、明らかになる意外な人間関係といった内容。
文章も練達で、ストーリーも読ませます。
関係のない複数の事件が見事最後に結ばれ、温かな結末を迎えるというアイデアもいい。
ただしこれを本格ミステリというのかどうかという疑問が残ります。

それは永井するみ氏の「瑠璃光寺」もそう。
美術館を訪れた男がそこで出逢った和装の夫人と恋に落ちる話。

これはもう雰囲気が良かったです。
個人的にはベスト。
文章も足し算と引き算をよく知っており、淀みがありません。
しかしやはりこれも本格ミステリではありません。
非常にいいですが、鮎川賞受賞とは毛色が違います。

「崖の記憶」は主人公の男が少年時代に秘密基地として遊んだ寺の裏の崖で数年前の白骨死体が見つかったことから、当時の記憶を辿る物語。
苦い思い出に隠された切なる陰謀が明かされるという趣向。
真相を知った主人公は逆に暗雲が晴れたような気持ちになってますが、自分ならちょっとトラウマになるかもしれません。

「象の手紙」はCMの盗作疑惑を扱っています。
これはなかなかよかったです。
真相に意外性はそれほどないにせよ、物語は読ませます。
ただ大賞となるとやはり弱いですね。
色々散りばめられた要素が全然有機的にストーリーに働きかけないのが書き散らしたという感じを与えます。

残りの2作はこの4作に比べると格段に本格ミステリ色が強いです。

永田正夢氏の「試しの遺言」は父親の遺産20億円を巡る暗号解読ミステリ。
パズラーそのものズバリです。
これもある知識が必要でそれを知っている人しか解けないという縛りがあります。
しかし作者は暗号解読にもう1つの答えを用意しており、かなりの労作だと思いました。
しかし、最後の結末はいかがなものか。
こういうのが素人臭く、どうも好みに合いません。

最後に那伽井聖氏の「憧れの少年探偵団」。
ご近所で起きた殺人事件を幼馴染みで結成された少年探偵団が解くという物。
う~ん、ジュヴナイル型本格推理なんですが、随所に盛り込まれる特撮ヒーロー物の知識や江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに関する薀蓄と見解は正直痛いものを感じました。
作者の自己顕示欲をムンムンと感じたからです。
内容は真っ当な本格ミステリですが、合いませんでした。

とまあ、総体的な感想としては光文社が発行する同様の素人投稿作品集『本格推理』シリーズと五十歩百歩といったところ。
共通しているのはアイデアとして光るもののはあるものの、大賞を授賞するには何か足りません。

この年の応募者の中に西澤保彦、三津田信三の名も上がっているのが興味深いです。
選に洩れたということはこれらの作品よりも更に出来が悪かったってことでしょう。

そして冒頭の戸川編集長の言葉によれば、このアンソロジーの目的は未来の候補者に対し、ミステリの裾野を知ってもらうために出すこととしたとのこと。
つまりこれらの作品は東京創元社にとって本格ミステリであると述べています。

しかし上に述べたようにサプライズは確かにありますが、本格ミステリと首肯できかねる物もあります。
個人個人の嗜好の問題なのでしょうが、私としてはミステリではあっても、本格ミステリではないと感じます。
ここら辺の議論は「では本格とは何か?」といった命題に行き当たりますから、もうこのくらいにしておきましょう。

そしてこういうアンソロジーは数年後、真価が正当に評価されるように思います。
選者の鑑識眼が正しかったか否かについて。

彼らはこの作者達にダイヤの原石の輝きを見たのでしょうが、結果的には永井するみ氏ただ一人という結果です。
確かに本格ミステリバブルなるものはあったと思います。
このアンソロジーがそのムーヴメントによる産物だったのかどうかはもう記憶にありませんが、商品として出すべきか否か、もう少し会社として吟味した方が良かったのではないでしょうか。


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 1

冥王(ハーデース)の花嫁 (講談社文庫)

著者 : 奥田 哲也

出版社:講談社

発売日:2003-07

評価 :

完了日 : 2008年11月11日

今度の題材は劇場型猟奇的連続殺人事件。
ギリシア神話に出てくる怪物をモチーフにした見立て殺人事件。
そして主人公の刑事深町のアドバイザー役として、かつてハリウッドで活躍した日本人怪優、団精二という人物を設定しています。

団精二。
この作品では日本人のイメージを覆す怪演でアメリカ映画界の人々に記憶を残し、俳優業に留まらず、前衛的な映画や演劇の創作を精力的に行いますが、その内容のあまりの過激さに日本ではタブー視され、黙殺され続けた男、そして同性愛者でもある彼が、“恋人”の殺人事件の容疑者として逮捕されて以後、第一線から退いたと描かれています。
この設定を見ると、すぐに思い浮かぶのがトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士でしょう。

ストーリーは深町の捜査線上に次々と現れる斬られた頭部を内臓をほじくり出された胴体に埋め込んだ死体が各所に現れる有様と、深町と団との間に繰り広げられる推理、そして茅野美智子が招待されたパーティ、つまり殺人事件場面の3つの場面が並行して語られます。
特に物語を彩るのが団と深町との間で交わされる推理談義における、ギリシア神話の数々。
そして章題もまたギリシア神話をモチーフにしています。

そして明かされる事件の真相はなかなかなもの。
今までの彼の作品では一番の物ではないでしょうか。

しかし明かされる真相全てではなく、やはりこの猟奇殺人の動機でしょう。
特に“なぜ犯人は死体の首を斬り、胴体に嵌めて処理したのか?”の真相について、思わず「おおっ」と声を挙げてしまいました。

この動機についてはもしかしたら鋭い人は気付くかもしれません。
しかし私はこの作者の読みにくい文章に目眩ましを食らい、もろに嵌ってしまいました。

なかなか戦慄を覚えました。
一番恐れていたこういう猟奇的犯行の動機、死体細工の動機がこのように驚きを持って明かされて、ほっとしたというのが正直な感想。

とはいえ、疑問が残ることも結構あります。
犯人は時間をかけて死体をばら撒いていますが、これは本当に必要だったのでしょうか?

最初の死体は、その身元が不明のため、警察・マスコミの手で身元を明らかにしてほしかったという動機があるものの、その他3つの死体遺棄に関しては全くの無駄。
むしろそんな死体を捨てに行く事で彼女が逮捕される手掛かりを残す事になり、自分の首を絞めているようなものです。

それから連想していくと、なぜ犯人は犯行現場から逃げ出さなかったのだろうかという疑問に行き当たります。
そんなことを考えたら、この物語は成り立たないよ、という人もいるかもしれませんが、そこまで補完してこその本格ミステリです。
同じ劇場型猟奇的犯罪を扱った島田荘司氏の『占星術殺人事件』がその好例です。

また前の作品の感想でも述べていますが、この作者の云い回しは非常に理解がしにくく、突然の場面描写の変化に突っかかる事しきり。
なぜこうも解りにくいのかと考えると、視点が急に変るからです。

例えば、相手と正面を向いて話している視点が、いきなり相手の背中から自分を見ている視点に変る、また主人公に起こった事をその主人公の主観に基づいて描くので、登場人物同様、読者にもいきなり何が起こったのかが解らなくなります。
数行に渡って、いきなりの場面転換について叙述され、「な、何!?」と疑問符付で読み進むうち、ああ、こういうことだったのかとようやく解るのです。

別段、他の作家も使うのでしょうが、普通ならそれはアクセントとして、読者の興味を一層惹きつけたい場面でのこと。
この作者の場合は普通に読むべきところで方々あるのだから、突っかかって仕方がありませんでした。

そして最後の結末の呆気なさ。
団精二というキャラクターを謎解きの場に招き、彼の口を通して淡々と明かされる驚愕の真相と、陰鬱なムードを高めておきながら、最後にその存在を貶めるこの唐突な結末はなんなんでしょう?

作者は深町が囚われていた団の支配から解放するためにこういう結末を用意したのでしょうか。
しかしなんとも読み甲斐のない結末です。

これで奥田作品は最後。
やはり消えゆく作家はそういう運命にあったのだと知らされました。
“化ける”作家とそうでない作家の違いはほんの紙一重なんでしょうけど、この作品で化けきれなかった奥田氏の浅さを見てしまいました。


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 2

探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)

著者 : 東 直己

出版社:早川書房

発売日:1995-08

評価 :

完了日 : 2008年11月10日

札幌ススキノでトラブル回収業、通称便利屋を営む俺は馴染みのバー<ケラー・オオハタ>で原田誠と名乗る北海道大学の後輩から、失踪した彼女を探してほしいと頼まれる。
半同棲生活をしていたが、4日前に家を出たきり、帰ってこないのだという。
よくある別れ話だと思っていた俺は気が乗らないながらも一応依頼を受けることに。

彼女、諏訪麗子の身辺を洗っているうちに、彼女がつい最近短大を辞め、学生とは思えないほどの収入を受けていた事を知る。
しかも定期的に入金が繰り返されていることから売春に携わっていた線で洗う事にする。

折りしも北海道の新聞は最近起きたラヴホテル「ジョイ・シャトー」の殺人事件で一面を賑わせていた。
二つの事件に何か関連があると睨んだ俺は、そちらの事件も洗う事にする。


現在も続くススキノ探偵シリーズの第1弾。
そしてこれが作家東直己氏のデビュー作です。

一読後の率直な感想としては若書きの三文芝居のようだというのが本音。
まず主人公が28歳という設定に微妙なずれを感じました。

私の28歳像はようやく社会の仕組という物が解り始めたばかりの青二才です。
大学を中退し、早くから飲み屋街を根城に、色んなトラブルを片付ける便利屋稼業で糧を得ている俺が、いくら世間の風にすでに揉まれていたとしても、ヤクザにも一目置かれるような存在になるとは思えません。

確かに時代はまだソープランドがトルコ風呂という名前だった昭和50年代後半か昭和60年あたりでしょうか。
確かにその頃の若者は今の平成の世のそれと違い、精神年齢も高く、成熟していたかもしれないが、ちょっと想像つきません。

それは作中に語られる妙に時代がかった風俗描写も、私が作品世界から隔絶されているように感じたからかもしれません。
ヤクザの着る物について、ゴルフ・ウェア、白ベルト、ローファー、ファスナーで締める厚手のカーディガン。
スケタン、ナハナハナハという笑い声。

今ではもう想像できる人がいるか解らないファッションや、流行語・俗語が古き良き時代のハードボイルドというよりも、その時代でしか楽しめない風俗小説といった色合いを濃く感じさせ、古びた感じを抱かせます。

そして確かに主人公<俺>は若いです。
一人称描写で初めから終わりまで語られる文章に織り込まれる<俺>の皮肉や自嘲めいた台詞が、非常に青臭く感じました。

時にマンガで行われるような表現を文章で行う事もあり(例えば頭の中でふざけた俺と冷静な俺、さらに熱血な俺が出てきて言い争いをするシーン)、なんか勘違いしていないか?と思うことが多々ありました。

タイトル『探偵はバーにいる』がまずいけなかったのだと思います。
このタイトルだと主人公は、酒を片手に周囲の友人や街の弱者のトラブルを片付ける、酸いも甘いも知った30代後半の男を想像してしまいます。

しかし東氏が設定した主人公は最近大学を中退したアル中の男で、やっていることは単なるチンピラの小遣い稼ぎと変りはしないという物。
おまけに常に斜に構える、減らず口を叩くのだけは一人前。
夜の街を徘徊するから友達には事欠かない、といったちょっと相容れない人物です。
単純に云って、私と<俺>は合わないのです。

あと文体。
ススキノの夜を一生懸命に生きる底辺層の人々を描きつつ、時折、<俺>の社会の落伍者に同情する感傷を挟むことで男のペシミズムを語りながら、なおかつ軽妙洒脱さを狙ったのでしょう。

小説には極上の旨みを感じさせる美文、しっとりとした質感などの綺麗な文章も大事だが、やはり外連味も必要です。
しかし、この小説は外連味しかありません。

だから非常に俗っぽくて情緒が感じられませんでした。
なんだか風俗ルポを読んでいるような気がしました。
これもハードボイルドを読むと期待しただけに一層居心地の悪さを感じました。

北海道最大の繁華街ススキノ。
そこを舞台にし、その街とそこに住む人を描こうとした趣向は買いますが、ちょっと変に力が入りすぎたようです。

そして肝心の事件ですが、大学の後輩の失踪した恋人捜しから、ラブホテルで起きた殺人事件の犯人捜し、そしてススキノの夜の天使の捜索へと移りいっきます。
これらのプロットはそれぞれがきちんと関連しており、淀みはありません。

ただもうちょっと何か欲しかったです。
サプライズもそうですが、心に響く何かが・・・。
軽めの文章だっただけに印象も軽くなってしまいました。

とまあ、第1作の印象は非常に悪く、正直このまま読むのを躊躇ってしまいそうです。
しかし現在も続くこのシリーズ、人気があるのでしょうから、その後何かが変ったのかもしれません。
ちょっと間を置いて、第2作も読んでみましょうか。


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 11

鳥人計画 (角川文庫)

著者 : 東野 圭吾

出版社:角川書店

発売日:2003-08

評価 :

完了日 : 2008年11月08日

今回の謎は大きく分けて3つあります。

まずは通常のミステリに倣い、楡井殺害に関する謎。
どうやって楡井に毒を飲ませたのか?
犯行の動機は?

2番目は峰岸を犯人だと告発する者の正体。
どうして告発者は峰岸が犯人である事を見破ったのか?

そして最後は本編のモチーフであるスキージャンプに関する謎。
日星自動車の杉江翔は一体どのようにして飛躍的にジャンプ能力を伸ばしているのか?

東野ミステリの優れたところはこういったモチーフが非常に魅力的な謎を伴っているところにあります。
今まで色んなスポーツを物語に扱ってきた東野氏ですが、本格的にそれをミステリに融合させたのは『魔球』だったように思います。

『魔球』は今にして思えば、本作へ先鞭を付ける足がかり的な作品だったのかもしれません。
今回はジャンプを高感度カメラによる連続飛形モデルの加速度経時変化の力学解析、それを基にした水平方向、鉛直方向の加速度推移グラフといった科学的データを実際に提示して謎の解明を行います。

『魔球』は特殊な球の握り方という具体的ながらも科学的根拠不明瞭なところに留まっていたのに対し、今回はかなり実践的な領域まで踏み込んでいるのが大きいですね。
だからといって『魔球』が本作よりも下だと云っているわけではなく、本作を読んだ後では謎解きがさらに具体的にされていると云っているだけです。

また平成の世になり、スポーツ工学の進歩は目覚しい物があります。
某野球マンガでも変化球に対するメカニズム―シームと呼ばれる縫い目の握り方による回転のかけ方の違い、それによる空気抵抗の流れ、抵抗力により減速していく際に生じる球の不規則性、etc―が具体的に書かれるくらいです。
恐らく『魔球』発表当時の昭和63年ではまだそこまで変化球に関する考察・分析が具体的に成されていなかった事は容易に推察できます。

おっと横道に逸れてしまいました。
本題に戻りましょう。

「鳥人計画」の正体は本書を読んでいただくとして詳述しませんが、電気系の大学を卒業し、電機メーカーに就職した作者の特色が非常に色濃く出た発想、テーマだと思います。
そして発表から20年を経た21世紀の現代、このような訓練方法は採用されているのでしょうか?
私は意外に在ってもおかしくないと考えます。

私はこれを読んだ時に映画『ロッキー4』を思い浮かべました。
ソ連のサイボーグボクサー、イワン・ドラゴを。
彼もまた当時の科学の粋を結集して作られたボクサーでした。

恐らく東野氏はこの映画をヒントにこのストーリーを考えたと推察します。
この映画の公開が昭和60年であるから、一応符合します。

本作にて作者が云うように、一流のスポーツ選手というのは完璧無比なる強さを求めます。
それが故にドーピングに手を出しますが、彼ら・彼女らは確かに「バレなければやってもいい」、「みんなやっている事だ」といった割り切りがあるのでしょう。

競争心が歪んだ形で欲望に変異していくのです。
それはもはやスポーツが一個人の理想の追求や求道精神だけに納まらない莫大な利益を生む一大産業となっているからです。

そして犯人の峰岸もまた強さを求めた男です。
彼が楡井を殺した動機は、実際のところ、私にはそれほど深く納得できませんでした。

もっとも関心のあった謎だっただけにしこりが残ってしまいます。
本作の評価はこの動機に対する物足りなさにあります。
彼の動機は頭では解りますが殺意にまで至るかなぁというのが正直な感想です。

また唯一本作において推理に参加できる告発者の謎ですが、これが解けなかったのが残念。
うっかり読み通してしまい、最後の方で十分読み返すことが出来ませんでした。
これは素直に悔しかったです。

さらに最後に明かされる真犯人ですが、これはなんとも云えないものがあります。
この真犯人が必要だったのかどうか正直、今の時点では整理がついていません。

最後に本作にて語られる楡井の人物像について。
この不世出のジャンプの天才が天性の陽気さを放つ人物として語られます。

周囲からのプレッシャーを意に介さず笑い飛ばす、一種天然ともいえる陽気さ、常に話す内容は論理的でなく、イメージ先行型で、周囲の人は理解が出来ません。
しかしここにこそ私は東野氏の上手さを感じました。

元巨人の長嶋茂雄が高橋由伸が入団したての頃、バッティングの指導をしたエピソードを思い出しました。
長嶋氏の指導は身振りを交えて次のようなコメントしたそうです。

「バッと来た球をバッと打つんだ」

そして高橋はそれで解ると云ったらしいです。

天才には詳しい説明など要らないのです。
天性の感覚で感知するイメージを伝えるだけで天才同士は通じるのです。

そんな部分も含めてこの本はかなり色んな要素が込められています。
しかし惜しむらくはそれでもなお、こちらの意にそぐわなかった事。
それはほんのちょっとの違いなんですけど。


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絵の中の殺人 (講談社文庫)

著者 : 奥田 哲也

出版社:講談社

発売日:1996-11

評価 :

完了日 : 2008年11月06日

意外にオーソドックスだったというのが正直な感想。
1年前と現代で起きた2つの殺人事件の犯人探しが美術学院職員という狭い人間関係の中で展開されていきます。

奥田氏の提示する謎は不可能趣味ではなく、セイヤーズの作品のように、事件はシンプルですが、なんだかおかしい、その奇妙な違和感を解き明かす類いの、トリックよりもロジック志向型になるでしょう。
しかし、セイヤーズがシンプルな謎でありながら、最後の解決に鮮烈なイメージを与えて物語を閉じるのに対し、奥田氏の謎は、ああ、なるほどねと単純に納得するだけに終わっています。

それは真相を解明する“殺し文句”とでも云うべき衝撃の事実がないからでしょう。
セイヤーズはシンプルな謎に隠されたバックグラウンドを物語の進行に合わせて一つずつ丁寧に解き明かし、最後どうしても残る違和感がたったの一言でばっと眼の前の霧が晴れていくように解決される心地よさがありますが、彼の作品では最後まで複数の謎が残ったまま、しかし探偵役は全ての謎が解けているという趣向であり、終章で延々と数学の証明問題を解くかのような長い解説が行われます。

これが私にはあまり面白くありません。
こういうのはメインの謎が解けた後、その他残る細かな謎を逐一説明するために行えばいいのであって、メインの謎解きに適用するべきではないでしょう。

今回も最後の25~28章にかけて刑事と探偵役の主人公との問答によって謎が解かれていきます。
3章にも渡る謎解きは淡々としており、“最後の一撃”らしきものもなく、ようやく辻褄が合った程度の物であり、カタルシスも感じませんでした。

あとこの作者、意外に言葉に対して意識的かつ無自覚です。
まず文章をなぜかスムーズに読み進む事が出来ません。

読み進もうとすると袖口を引っ張られるような感覚を覚えます。
では文章が特殊なのかといえば、全然そうではなく、むしろ平板。

その理由をちょっと考えてみますと、まず場面転換の唐突さが1つ特徴としてあるでしょう。
主人公の内面をまず語る形で場面の転換がなされますが、作者の癖なのでしょうか、前の話の流れから飛躍した内容で文章が始まり、5,6行進んだあたりで、主人公が今どこにいる、もしくは奇妙な夢を見た、そんな事実が語られます。

それは謎解き部分でのロジック展開でも出ており、戸惑ってしまいました。
ネタバレにならないように書きますが、今回の第1の殺人での謎の1つにタイムカードの紛失というのがあります。

これが第2の殺人の真相解明の問答において何の脈絡もなく出てきて面食らってしまいました。
思わず何ページも遡って読み直してみましたが、やはりそれまでの論理展開にはタイムカードには触れてなく、しかも第2の被害者がカードを所持しているなんて事も書いていません。

その事は5ページ後に出てきて、ここに来てようやく事件の脈絡が繋がるわけですが、この5ページの間は何を登場人物は語っているのかさっぱりでした。

あと妙な文章表現が文章のリズムを壊しているように感じました。
恐らく作者の意図としては無味に流れていく文章にアクセントをつけるために選んだ言葉でしょうが、ちょっと大袈裟すぎます。

素人がちょっと普通の人よりもヴォキャブラリーが多いということを見せつける、文章表現の引出しが多いことを自慢しているかのようです。
かなりきつい物言いになりますが、作者が自らこの文章を一度読み直したのか、気になるところです。

あといやに中身が淡白です。
タイトルの『絵の中の殺人』は、もう全く以って的外れです。

本作の謎を象徴する印象的な絵が出てくるわけでもなく、また絵がトリックに活用されるわけでもありません。
また絵画の世界、業界をモチーフにするならばもっとそれに関するエピソードがほしいところです。

登場人物の学院の職員達は絵を描き、その中には筆を折った者もいますが、絵画という芸術の世界に片足でも突っ込んでいる人物達にしてはごく普通であり、単純にどこかの会社、学校の事務員と変りません。
物語を彩るガジェットに欠けています。

それは人物設定もまた然り。
主人公に元プロ野球選手を持ってきた割にはそれを活かした活躍シーンが何もありません。
元プロ野球選手だからこそ出来ることがあるのに、ただの男になっています。

P.D.ジェイムズやレンデル、真保氏など、作品ごとに色んな職種を題材に扱う作家は物語という餡子を包む皮も美味しいからこそ、読んで満足を得られます。
この辺をもう少し意識してほしかったです。

読者は内容に入る前に題名、表紙を見て、物語の展開に想像を巡らすのですから。


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霧枯れの街殺人事件 (講談社文庫)

著者 : 奥田 哲也

出版社:講談社

発売日:1995-08

評価 :

完了日 : 2008年11月05日

北海道久寿里市。
一年の大半、濃霧漂う発展を忘れたこの街は通称「霧枯れの街」と誰とも無く呼ばれていた。

愛媛駅の北にある林の中で若い女性の首吊り死体が発見された。
しかし自殺ではなく、首を絞められた痕が二筋あることからどこかで絞殺されて自殺に見せかけた殺人事件だと判明した。

被害者の女性は山口佐紀子24歳。
市にある釧久観光のアルバイト社員だった。

捜査の対象は佐紀子のバイト先の釧久観光の面々に絞られる。

世間知らずのプレイボーイ社長南原洋。
南原の片腕で大学の頃からの親友葛西。
かつては美貌で衆目を集めていた経理課長田島真理子。
それらがそれぞれの思惑を孕んでいるのを感じながらも決定的な証拠は摑めなかった。

捜査が難航するうちに第2の事件が起きる。
葛西が自宅で首を切断されて死んでいた。
しかも密室状態の中で。
事件はまさに五里霧中のように混沌を極めていく。


これが奥田氏の第1作目なのですが、先に読んだ『三重殺』で見られた軽妙洒脱な文体とは打って変わって寂れゆく街の中、陰鬱なムードで物語は流れます。
炭坑の閉山に伴い、すたれいく街で久寿里市の三分の一の産業を担う釧久グループ。

しかし各々はこの街がもうかつての盛況を取り返すことの無いことを知っていました。
しかしそれぞれの事情を抱えてこの街にしがみつくしかない彼らは残滓のように残る僅かばかりの繁栄に身を委ねて日々の鬱憤を晴らしています。

主人公を務めるのは署長からつまみ弾かれたはぐれ者の刑事4人。
森村、川崎、喜多見、佐々木の面々はそれぞれの個性を発揮しながら事件を追っていきます。

しかしこれらの刑事像が実に刑事らしくありません。
大学の推研サークルの輩が殺人事件を前に推理ゲームを展開しているかのような、青っぽさを感じます。
この辺がやはりデビュー作における作者の若さでしょう。

そして事件を取り巻く関係者それぞれの事情。
陰鬱であり、上っ面の人間関係に隠れたそれぞれの思惑などじっくり書いていますが、それに重きをおいたせいか肝心の事件の印象が非常に薄い物になってしまいました。

本書は80年代後半に起きた新本格ブーム一連の流れでデビューした作家群の1冊として刊行されたはずです。
ですからジャンルで云えば本格推理小説となりますが、おそらく綾辻氏、法月氏らがデビューした当初にさんざん叩かれた「人間が描けてない」の批判を受け、作者奥田氏は十分考慮した上で、本書のように登場人物それぞれのストーリーを描くに至ったのでしょう。

そのために本格推理小説としての味わいが薄れてしまったようです。
実際、この小説で明かされる真相はアンフェアに近いです。

ストーリーを読むうちに推理できる材料がほとんど提示されません。
読者に推理する余地を与えず、残りのページも少なくなっていきなり真相を告げられた感が否めません。

そして元の題名『霧の町の殺人』ですが、これは全く以ってほとんど意味を成していません。
当時の新本格作品の1冊ならば、町に漂う霧が、事件に一役買って霧が無ければ成立し得なかったトリックやロジックを期待してしまうはずです。

しかし単に霧は舞台設定に終わってしまって何の関係も果たしません。
霧は登場人物の心中に澱のように溜まっていく諦観を現しているだけのものになっています。
だから題名を『霧枯れの街殺人事件』と変えたのでしょうが、これもまた片手落ちのような感じがします。

しかし2作目の『三重殺』を読んだ限りでは、作者の力量はこの後、向上しているので、次に読む3作目が楽しみでもあります。
基本的には2作目のテイストが好きなので、これが活かされていることを望みます。


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男たちは北へ (ハヤカワ文庫JA)

著者 : 風間 一輝

出版社:早川書房

発売日:1995-08

評価 :

完了日 : 2008年11月04日

桐沢風太郎44歳。
職業しがないグラフィック・デザイナー。
硬派で無類の酒好き。
趣味は一人旅。
そして今回彼は自転車での東京から青森までの自転車旅行に出発する。

物書きでもある彼は今回の旅の記録を取ろうとメモ帳代わりにB6判の帳面を拾う。
しかし、それがこの旅に降りかかる災厄の始まりだった。

そのメモ帳は自衛隊がある狂った幹部が策定した想定訓練の計画書だった。
これこそ公表されると自衛隊幹部の首が何人も飛ぶ爆弾だった。
そんな事を知らずに桐沢は高校を中退した若者を道連れに、北への行軍を順調に進めるが・・・。


自転車旅行を題材にしたロードノベル。
作者が行った東京~青森間自転車走破の実体験に基づいているようです。
つまり桐沢=作者というわけです。

短文と体言止め、そして愚痴とも減らず口とも取れる独白を織り交ぜた一見ぶっきらぼうとも思える桐沢の一人称で語られる文体は主人公の人と為りを雄弁に語り、読者の心に美酒が五臓六腑に染み渡るように刻まれていきます。
この無粋な男桐沢が妙に人を惹きつける抗いがたい魅力を備えており、知らず知らずに青森への単独行を応援したくなります。

恐らくこういう男が会社の部下もしくは同僚にいると扱いにくいでしょう。
多分私の性格上、この桐沢みたいな男は上手く付き合えない人間です。

しかし、それでも彼は私を惹きつけて止みませんでした。
それは男ならば誰もがこういう生き方を一度は望むからです。

しがないグラフィック・デザイナーながら気に入らない仕事は断る。
金儲けよりも心の自由に重きを置く。

宿酔いならぬ三六五日酔いと自分で認める重度のアル中で酒が切れると何も出来なくなる。
人付き合いは上手い方ではないが困った奴を見捨てるほど冷酷ではない。

桐沢はいつかこうありたいと願う一人の男の姿です。
だからこそ惹きつけて止まないのでしょう。

そして途中旅の道連れとなる高校中退の若者との出逢い、乞食のような風貌だが断固たる決意を胸に秘めた眼差しを持つ男、計画書奪還のため桐沢に接触する自衛隊の藤井三尉、そして同じく計画書奪還のために桐沢に接触し、次第に桐沢に魅了されていく尾崎、旅の先々で出逢う旅館の女将やトラックのドライバーなど、これらが読者をたちまち旅の愉悦に引き込んでいきます。

また桐沢の旅の障壁となる自衛隊の計画書奪還作戦。
その中核となる「三田北方作戦」の内容もなかなか凝っていて面白いのです。

狂人とも云われていた三田一等陸佐が立てたソ連侵攻に対する北海道封鎖作戦なるものに画された驚愕の真実。
果たしてこれが本当に現実味があるのかどうかは眉唾ですが、作者があらゆるデータを使ってその信憑性を固めていくプロセスは面白かったです。
ロードノヴェルに単純な味付けをしただけに留まっていないのが良いですね。

しかし何といっても本作の主眼は自転車旅行そのものにあります。
読んでいて非常に気持ちがいい。

作者と同様に暑さに汗を滴らせ、坂道を苦行僧のように身体を苛めながら一心不乱に登り、体を切る風を感じるかのようです。
そして汗と共に桐沢の中から余分な物がどんどん流れ落ちていきます。

当初、友人の青森行の話を聞いて負けてなるものかと奮起した旅だったが次第にその目的は単純に青森へ行きたい、その一念のみとなります。
雑念やら妙な矜持やら余計な物がどんどん削られて洗練されていき、一種悟りの境地へと至ります。

さらに自転車への想い。思い出の品など歯牙にもかけない桐沢が共に旅した自転車を見て妙な愛着を覚え、手放せないと思うこの気持ち、非常によく解ります。
私も25歳くらいまで自転車を足に使っていました。
小学校の時から中学、高校、大学、そして社会人になってまでずっと自転車が交通手段だったからこそ解ります。

思い出の品?
いや全然そうじゃないんです。
一緒に色んなところを駆け巡り、旅し、転び傷つき、その都度治療した、云わば“戦友”です。

とにかく何度も涙が出そうになりました。
それは自分の力のみで成しうる旅への羨望もそうでしょう。

日本を離れた今、桐沢が訪れる東北の街のエピソードが旅愁というよりも郷愁に近い感傷となって押し寄せてきます。
適わないことですが、私もいつかこのような旅をしたいです。

いや旅ではない、冒険なのです。
かつて子供の頃、眼前に広がっていた未知の世界へ乗り出す、あの面白さ、それがここにあります。

自分の中にまだ“少年”がいるのならば是非とも読んでほしい小説です。


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 14

眠りの森 (講談社文庫)

著者 : 東野 圭吾

出版社:講談社

発売日:1992-04

評価 :

完了日 : 2008年11月02日

高柳バレエ団に強盗が押し入り、たまたま居合わせた斉藤葉留子が傍に合った花瓶で撲殺するという事件が起こった。
大方の予想では葉留子の正当防衛かと思えた。
加賀刑事が所属する石神井署も葉留子の正当防衛を大筋で認め、強盗で被害者である男の身元の調査に当る。

やがて判明した被害者は風間利之という25歳のフリーターだった。
彼は絵の勉強のため、日本で金を貯めてはニューヨークにたびたび渡り、今回の事件はその二日前に起きたものだった。

しかも渡航資金として3,500ドルものお金を所持し、金に困った末の犯行だとは思えなかった。
また高柳バレエ団との接点もなかった。

しかし捜査が進むにつれ、風間と高柳バレエ団の団員がニューヨークで接触した繋がりが見えてくる。
捜査の手はニューヨークまで伸びることに。

一方、高柳バレエ団は次の公演『眠りの森の美女』を控えていた。
しかし公演当日の最後の調整レッスンの最中、演出家の梶田が急死してしまう。


加賀刑事シリーズ第1作。
そして加賀恭一郎シリーズ第2作。

今まで作品ごとに主人公を変えていた作者が初めて採用したシリーズキャラクター、それは第2作で主人公を務めた加賀恭一郎でした。
そして、率直な感想、ビリビリ来ました!
もう心が震えました!

私にとって名作とは2種類あります。
それは万人が認める世評高い本当の名作と、全く期待していなかったのに、予想以上に自分の心に残ってしまう作品です。
そしてこの本は私にとって後者に当たる名作となりました。

正に不意打ちでした。
何のガードもしていませんでした。

だから非常に打ちのめされました。
ああ、悔しい!

東野氏にここまであからさまに翻弄された、そしてそれが正直心地よいのです。
それが偽らざる感想です。

冷静に考えると、本作は推理小説としては決して歴史に残る名作とは云い難いです。
本格ミステリとしては、普通の部類に入るでしょう。

東野氏お得意の密室殺人や見立て殺人といった意匠もありません。
犯人も途中で解るでしょう。

私でさえ、途中で疑いを持ったくらいです。
明かされる真相は意外ではあるにしろ、衝撃の事実というほどの物ではないと思います。

しかし、この作品には小説としての熱があります。
単なるパズルの解答を提示するだけに留まらない小説としてのドラマがあります。

確かにある意味、これほどの事で心打たれるのかという意見もあるかもしれません。
でも嵌ってしまったのです、東野氏の策略に。
それはパズルを解き明かす計算を超えた熱情を行間から感じたのです。

実は最後を読む前に書いていた感想があります。
それは東野氏の小説家としての技能について賞賛を述べたものでした。

しかし、こんな物語を読んだ後では自分の心情にそぐわないと思い、削除しました。
この作品にはそんな小説作法を物ともしない小説家としての気概を感じたからです。

それは東野氏が初めてシリーズキャラクターを採用した事からも想像できます。
東野氏は『卒業』で登場させた加賀というキャラクターを育てようと決心したのだと思います。

あの作品を世に送り出したときに、彼の中で一度きりにするのは惜しいと感じたに違いありません。
そしてそれは成功していると思います。

本作を要約すると次のようになるでしょう。

始まりは普通の物語。
普通の正当防衛による事件のお話。

しかしやがてそれは立派な大輪の花を咲かせるかのような素晴らしい話へと結実します。
そして心に残るこの1行。

“君だけのために、俺はいくらでも語りかけるだろう―。”

この台詞の素晴らしさ!
今まで抑えていた愛に似た感情が迸る瞬間です。
この素晴らしさは自分で本書を手に取って確かめてほしいです。

加賀刑事に読者が惚れる理由が解りました。
そして加賀という男を知るためにシリーズを順を追っていきたいと思います。


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 1

三重殺 (講談社文庫)

著者 : 奥田 哲也

出版社:講談社

発売日:1996-07

評価 :

完了日 : 2008年10月31日

片島青次なる男から宅配を頼まれた段ボール3箱の中身は男のバラバラ死体だった。
犯行はあるアパートの一室。それは被害者矢萩利幸のアパートであり、段ボールの届出先こそ片島青次のアパートだった。

そしてまたその段ボールはさらに別のアパートに届けられていた。
届け先は新発田護という探偵もどきの仕事をしている男だった。

過去片島は殺人事件を起こしており、その時のアリバイの立証者として矢萩を指名していたが矢萩はそれを否認し、実刑を食らっていた。
事件はその時の怨恨による物だと警察は推測し、捜査を進めるが2人の足取りは掴めなかった。

そして再び熱海の保養施設で矢萩利幸の焼死体が発見される。
事件の前夜、自らを探偵と称した片島青次が訪れたらしい。

死体は矢萩なのか?
それとも新発田なのか?
もしかして片島?

混迷する捜査の中、今度は栃木でレンタカーが崖から転落する事件が起きる。
運転手は矢萩利幸。
被害者は三度殺される?


奥田哲也氏の小説は初めて読みました。
ちょっと斜めに構えた主人公の刑事の減らず口を織り交ぜた文体に最初はちょっと辟易しましたが、慣れてくるとなかなか面白かったです。

チャンドラーのマーロウを気取っていながら、あくまで三枚目であるという点が買えます。
我孫子武丸氏とはまた違った面白さがありました。

300ページに満たない本書はこの刑事の語りでほとんど全編ロジックが展開されます。
事件の渦中にある3人の男、加害者と目される片島青次、被害者と目される矢萩利幸、そして矢萩のボディガードとして事件に巻き込まれた新発田護のうち、誰が被害者で加害者なのかを3つの殺人事件でひたすらロジックの俎上で試行錯誤が繰り返されます。

この非常に少ない人間関係を用いて語られる謎というのが矢萩利幸という名の人物が三度も殺人事件の被害者として挙げられるという点にあります。

関係者は3人。
被害者も3人。
では最後の犯人は?と謎を畳み掛けてきます。
正にアイデアの勝利といった感じです。

そして今回の主人公、名も無き私が実によいのです。
後輩に見くびられないよう精一杯肩肘張って生きている三十代独身の刑事。

毎晩遅く帰る生活で唯一の安らぎが読書。
時たま近所の友人と場末のスナックで酒を嗜む。
一般的な刑事物に出てくる刑事とは一線を画す、小市民の生活が物語に時折織り込まれます。
刑事ずれしていない刑事像をユーモア交えて語っています。

それは命のやり取り、人の人生に入り込んでいくような仕事をする人間ではなく、私も含めたあるサラリーマンの人生の一シーンのようです。
人の生き死にを生業としながらも、その実体はあくまで普通の人間なのだというところに好感が持てました。

と肩肘張った読み取り方を上に書きましたが、作者の本質はもっと別なところにあるでしょう。
こういう刑事もいいもんでしょ?と読者に片目をつぶって微笑みかける、そんな作者の顔が目に浮かぶようです。

非常に寡作な作家、奥田哲也氏。
新本格ブームで次々と作家が頻出した90年のデビュー以後、発表作品はたったの5作。

恐らく兼業作家なのでしょう。
そして98年以降新作は発表していないようです。

ブームの衰退と共に消えていった数多の作家の中の1人、現状を鑑みるとそう結論付けられてしまうのは否めません。
しかし、佳作ながらも一読忘れ難い印象を残すこの作品。
消え去るには勿体無いと心底思いました。


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 7

地獄の奇術師 (講談社文庫)

著者 : 二階堂 黎人

出版社:講談社

発売日:1995-07

評価 :

完了日 : 2008年10月30日

昭和42年東京都国立市にある<十字架屋敷>と呼ばれている暮林邸には少し前から黒い外套と中折帽を着た、包帯をぐるぐる巻きにした長身の男が出没するという奇妙な噂が立っていた。
しかしある日を境に包帯男は姿を見せなくなっていた。

その年の12月、暮林家の子供、英希と友人である高校3年生になる二階堂黎人と同年の義妹蘭子は、3人でプラネタリウムを見た帰りに暮林家に寄る事になった。
その頃、暮林家には毎日スペードのトランプのカードがポストに放り込まれるという変な悪戯に遭っていた。
しかもそのカードの数字は日毎1つずつ減っていた。

暮林家の前まで来たところ、例の包帯男が箱を抱えて立っていた。
男は自らを「地獄の奇術師」と名乗り、当主である明彦に復讐するために訪れたのだという。
ポストに入っていたカードはこの男の仕業であり、しかも数字は2まで来ていた。

英希とともに男の後を追った二階堂兄妹だったが、人家の外れの丘陵にある精神病院の裏の防空壕跡に拉致され、そこで英希の従妹清美の死体に出くわす。
眼の前で清美の顔の皮膚を剥がす地獄の奇術師。
自らも地獄の奇術師の魔手にかかろうとしたその時、英希が助けに来て、命からがら逃げ出すことに成功する。

警察が検分をする中、3人は男が預けた箱の中身を調べた。
そこにはミイラ化した右手があり、その薬指には「キヅチ」と打たれていた。
暮林義彦の話では、それはかつての親友、鬼津地紫郎の事だが、彼は第二次大戦で既に亡くなっていた。


二階堂作品初体験。
古き良き探偵小説の香り漂う本格推理小説です。

そして本作は本格探偵小説信望者である二階堂氏本人が読みたくて渇望していた小説なのでしょう。
誰も書かないならば俺が書くという気迫が行間から湧き出てくるようです。

この本の献辞は鮎川哲也氏に捧げられていますが、乱歩作品へのオマージュである事は想像するに難くはありません。
「地獄の奇術師」という人智を超えた殺人鬼の設定とネーミング、逆さ吊りにした女性の顔の皮を剥ぎ取っていく残虐な処刑シーン、警察監視下の中で起こる麗しき女性への傷害事件、毒殺事件に、三重密室殺人、密室内での銃殺事件、屋根裏を徘徊する殺人鬼、などなど、『魔術師』、『緑衣の鬼』、『屋根裏の散歩者』といった乱歩の名作のモチーフのオンパレードです。

そしてそれらの云わば時代錯誤な作品世界に現実味をもたらせるために二階堂氏は時代設定を昭和42年という、まだ日本の街に暗闇が残る時代を選びました。
また探偵役の女子高生二階堂蘭子と語り役の高校生二階堂黎人が刑事事件に関わることが出来る設定として父親を警視庁警視正であるところ、蘭子が過去の事件を新聞と雑誌を読んだだけで犯人を指摘したことから警察も一目置くことになったところも、現代ならば現実味がありませんが、この時代ならば許容範囲かと思わせるギリギリの設定かなと苦笑しました。
こういうご都合主義も古き良き探偵小説ならでは、ということで案外許せてしまいます。

上に述べたように、本作は不可能状況、不可能犯罪の連続なのですが、案外と作者の意図と犯人は透けて見えたように思います。
今回の犯人は、実は最初の防空壕のシーンで解ってしまいました。

第4章のあたりでおおよその見当がつき、そして第2の殺人で共犯者がいることも解ってしまい、作者のミスリードも手品の種を見透かしながら読むような形になってしまいました。
尤もトリックは想定していたものとは違い、それについては作者に軍配が上がりましたが。

しかし、終章に蘭子の口から語られる神学的推理、形而上学的推理ははっきり云って蛇足だと感じました。
あまりに抽象的過ぎますし、観念的過ぎるからです。

二階堂氏は敬愛するカーのオカルティズムをも本作に持ち込もうと腐心したのでしょうが、これは逆に本格探偵推理小説の狂信者といった印象を私に与えさせ、なかば呆れてしまいました。
熱意は買いますが、自分の趣味に走り過ぎると読者はついていけなくなるからです。

しかし、デビュー作にしてこれだけ書けるとは素直に感心しました。
随所に挟まれる過去のミステリを中心にした薀蓄も―多少目障りな感じがしなくもないですが―造詣の深さを感じさせてくれました。
ただ昭和42年(1967年)に刊行されていない作品もあるのではないかと重箱の隅を突きたくなるきらいもありますが、そこは触れないのが華でしょう。


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 6

十字屋敷のピエロ (講談社文庫)

著者 : 東野 圭吾

出版社:講談社

発売日:1992-02

評価 :

完了日 : 2008年10月27日

東西南北の棟が十字型に交差した形をしていることから地元民から十字屋敷と呼ばれている竹宮産業社長宅を1年半ぶりに訪れた竹宮水穂。
昨年暮れに突然発狂してバルコニーから飛び降りて亡くなった竹宮頼子の四十九日のために訪れたのだが、彼女には頼子の妹である母親の琴絵から頼子の死の真相を探るよう頼まれていた。

四十九日には竹宮三姉妹の家族に加え、下宿生の青江、静江専属の美容師永島が参加していた。
そんな中、悟浄という人形師が訪れる。

彼の父親の作ったピエロの人形は代々所有者を不幸にする「悲劇を呼ぶピエロ」と呼ばれており、最後に購入したのが竹宮家の方だと聞いて伺った、ついては回収したいので譲ってほしいとのことだった。
対応した幸一郎の寡婦静江は頼子の買った人形だが、今は夫の宗彦の物であり、彼に聞かないと解らないといってまた明日来るように男に話した。

そしてその夜、悲劇が訪れた。
地下室のオーディオルームで宗彦と秘書の三田理恵子の刺殺死体が発見された。

犯行当時、裏口の鍵は開いており、犯行に使ったとされる血まみれの手袋が捨てられており、宗彦のパジャマのボタンが落ちていた。
外部の犯行と見られたが、そのボタンを事件の晩、2階の階段の棚の上に置いたのを覚えていた水穂は、その違和感が拭えないでいた。

青江と共に真相に迫る水穂。
そして第二の惨劇が・・・。


東野圭吾はただでは転ばない、これが読後の率直な感想でした。
読者を楽しませるのにこれほど貪欲なのかと改めて感嘆した次第。

あくの強い押しでぐいぐい迫るクーンツのエンタテインメント性とは違い、淡々と物語を綴りながらも最後に思いもかけない真相が作者の手元から次々と現れてきます。
正にこれはトランプの神経衰弱に似たカタルシスです。

数字の判らない同じマークのトランプを徐々に捲る事で、何がどこに隠されているかが次第に解り、ゲーム終盤、怒涛の如く、バタバタバタと裏返っていく、あの気持ちのよさに似ています。
題名が示すように物語の舞台は十字屋敷と呼ばれる奇妙な作りの館と悲劇を呼ぶピエロの人形が物語を彩ります。

正に本格ミステリの舞台設定ど真ん中です。
2ヶ月前の不可解な死、四十九日のために一同集まった中で起こる殺人事件。

密室でもない殺人事件。
しかもピエロの一人称描写の段落で語られる事件の顛末から正直今回の内容は小粒だと思っていました。

しかし、東野圭吾はやはり只者ではありませんでした。
ページ数にして320ページの長さながらもかなりの満腹感を提供してくれました。

特にデビュー以来、何かと作中で登場するピエロの存在を今回は物語の中心に据えたことからも作者の企みに期待していましたが、きちんと応えてくれています。
ピエロの人形の一人称という奇抜な設定に面食らい、多少の不安は感じましたが、雲散霧消してくれましたし、この企みがきちんと成功していることを付記しておきましょう。

数ある東野作品の中において、ベストに挙げられる作品ではないものの、一読忘れがたい余韻が残る良作です。
出版後、18年以上経って今なお重版されるにはやはりそれなりの訳があるのですね。


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3.にゃんちい (2008/10/28)
この『十時屋敷のピエロ』が1992年。って、まだ16年分ありますねー。一体何冊あるんだろ。
それにしても、「着手」というとこがTetchyさんらしくてイイです。
4.Tetchy (2008/10/29)
今月号の「ダ・ヴィンチ」が東野圭吾特集で、全作品が網羅されてました。
それによるとエッセイも含めて68冊!か~なり長い道のりです(◎_◎; )
まあ、地道に読んでいきます。とりあえず文庫は全て購入しました。

>「着手」というとこがTetchyさんらしくてイイです。

けっこう普通に使うんですが、確かに変かも・・・。読破しようと決めた作家なので、ちょっと意気込んでしまいました^^;

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 1

紫苑の絆〈下〉 (幻冬舎文庫)

著者 : 谷 甲州

出版社:幻冬舎

発売日:2006-10

評価 :

完了日 : 2008年10月25日

(中巻からの続きです)

上中下巻合わせて総ページ1,500弱の大作。
先に述べたように主人公松濤の運命も起伏に富んでいますが、なぜか読後のコクが薄いように感じました。

それは物語の舞台が上越から小樽、そしてソ連国内の各所と次々に移るにしても、全てそれらは極寒の地。
つまりそれぞれの追跡行が極寒の山中のシーンばかりなのです。

つまりこれこそが谷氏の得意とする分野なのですが、こう何度も続くと単調さは拭いきれません。
発端→極寒の山中→新たな出逢い→極寒の渡海→捜索→極寒の中でのドライブ→極寒の山中での逃走・・・と終始こういった具合です。

これほどの大作となるとやはりもっと色んなジャンルがミックスされた展開を期待してしまいます。
いや確かに山岳小説、エスピオナージュ、歴史小説といった側面を備えてはいます。

が、上に述べたように本作は似たようなシーンの繰り返しで冗長な感じを受けてしまいました。
表現も今までの山岳小説に見られたものが使い回されていたのも気になりました。

さらに先に述べましたが、松濤と千佳との2人のシーンが松濤の内面描写だけで、2人の意思が通じ合うシーンが表立って出てこなかったのもやはり大きかったです。
私はロマンス小説は読まない方ですが、やはりここまで松濤の一途な思いを描けばそういうシーンを求めるのが普通でしょう。

作者の照れ故か解りませんが、プロローグにあれだけロマンティックなシーンを用意したならば、それに応えるエンディングも必要なのではないでしょうか。
そうする事で題名の意味も補強されるでしょうし。

しかし同じようなシーンが続くとはいえ、これだけ展開の目まぐるしい小説は韓流ドラマのような趣きを感じました。
案外テレビでドラマ化すれば受けるかもしれません。


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 1

紫苑の絆〈中〉 (幻冬舎文庫)

著者 : 谷 甲州

出版社:幻冬舎

発売日:2006-10

評価 :

完了日 : 2008年10月25日

(上巻からの続きです)

上越国境での鉱山採掘現場からストーリーは端を発し、酷寒の信州の山中での逃亡行。
信州の寒村で鍬形とともに逃げ出した妾のサトの家に辿り着き、そこから北海道の小樽へ移り、そして一路ロシアのウラジオストクへ渡ります。

しかしそこでも探し求める人物には逢えず、国境警備隊の一員となり、朝鮮独立運動に加担する反乱軍の討伐を頼まれ、やがてソ連内で勃発する複数の民族間闘争の荒波に否応無く飲み込まれていきます。
また敵役も移ろいゆきます。

飯場頭の河西重蔵を皮切りに、特攻くずれの野槌の田岡、軍隊時代の知り合い、清浦謙治、そして敵か味方かも解らない国境警備隊の氷川。
更には俘虜の1人で松濤に憎悪の視線を向ける同行者辻川。
ロシアの中国人組織を牛耳る男、郭大人。

そして松濤の捜索の支援をする人物も移ろいゆきます。
サトの実家で知り合い、道連れとなった小田切千佳、小樽の町で知り合った香坂蘭子と名乗る中国系の武器密輸行商人、そして「少尉」と呼ばれる千佳の面影を湛えた男。
中国人組織に敵対するロシア警察の副署長カマロフと切れ者の部下ゼレージン。
そして氷川に協力するブリヤート兵の長テンゲル。

明日の敵が今日の味方―正確には松濤を利用する側なのですが―、昨日の味方が狙うべき標的に目まぐるしく変わります。
密かに慕う綾乃の、鍬形を捜してほしいというたった一人の願いで、松濤はソ連を取り巻く抗争の荒波に翻弄されます。

しかし、そんな松濤の行動原理は鍬形の捜索というかつて愛した女性綾乃の依頼よりも途中で出逢った小田桐千佳の存在によるところが大きいのです。
『君の名は』の如く、逢いたくてもなかなか逢えない2人。

そんな2人が困難の末、ようやく逢えたというカタルシスを得られるシーンが少ないのが物足りません。
ストイックな松濤がかなり年下の千佳に遠慮して自分の愛情を表に出さず、内心忸怩たる思いをしているのもこの長丁場を持たせるには結構きつい物がありました。

(この感想は更に下巻に続きます)


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 1

紫苑の絆〈上〉 (幻冬舎文庫)

著者 : 谷 甲州

出版社:幻冬舎

発売日:2006-10

評価 :

完了日 : 2008年10月25日

松濤禎と鍬形正吾は1人の女性を愛していた。
その女性、綾乃が選んだのは鍬形だった。
恋に破れた松濤は2人の許を去っていった。

その後鍬形とシベリア出征を共にするが、それがきっかけに逆に疎遠になっていく。
反抗的な松濤と従順で真面目な鍬形の正反対な性格がお互いの心に齟齬を生んでいた。
出征後、松濤は除隊し、渡り土工として糧を得ていたが、鍬形は軍に残った。

しかし松濤は綾乃の訪問を受け、彼女の口から鍬形は軍を辞めさせられ、どこかのタコ部屋に入ったが、行方が解らなくなっているという話を聞かされる。
綾乃の依頼は鍬形の捜索だった。
渋々ながら請負った松濤は鍬形が上越国境の飯場に河西組の土工としていることを突き止め、自身も河西組に入り込むがそこに鍬形の姿はなかった。

落盤事故で索道に一緒に閉じ込められる事になった飯場頭の河西重蔵から、鍬形が重蔵の妾サトと共に会社の金を持ち逃げした事を知らされ、松濤は愕然とする。
事故から助けられた松濤は河西組の飯場から脱走し、サトの実家へ向かう。

棒頭と重蔵を殺したと疑いをかける刑事の執拗な追手を逃れてサトの家についた松濤だったが、そこで知らされたのはサトの死だった。
そしてサトの娘、小田切千佳から父親鍬形の捜索を手伝いたいとの申し出を受ける。

行く先はウラジオストク。
しかし、これは長い捜索の旅のほんの始まりにしか過ぎなかった。


松濤禎という男の波乱万丈人生劇場とでもいいましょうか。
とにかく色んな要素が詰まった作品です。


(この感想は中巻に続きます)


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 2

遠き雪嶺(下) (角川文庫)

著者 : 谷 甲州

出版社:角川書店

発売日:2005-10-25

評価 :

完了日 : 2008年10月23日

(上巻からの続きです)

物語を面白く材料は多々あります。
やはり立教大学山岳部の個性豊かな面々、特に本作の主人公ともいえる最年少登頂者浜野の親友であった「雷鳥」こと中島雷二のエピソード、そして部外者ながらもヒマラヤ登攀グループの一員に加わる事になった毎日新聞社の竹節記者、金持ちの出の奥平。

彼らがヒマラヤ登攀の選抜隊に加わるか否かのやり取りなど、もっと色濃く描写できたはずです。
しかしこれが素っ気無いのです。

例えば、竹節の参加を巡っての諍いとか、財政面でどうしても参加できなかったメンバーが「いっそ子供と女房と別れてまでも参加しようと思った」とか「参加できるお前が正直憎い」といった人間の内面をむき出しにするドラマがここにはありません。
みな紳士で、優しく、お行儀がいいのです。

つまり読者の心にあまり振幅をもたらしません。
これが物語としての熱がないという意味です。

そして通り一辺倒に立教大学山岳部が発足からヒマラヤ登攀に至るまでのストーリーを語るがために、全てが平板に語られている印象があり、物語の焦点が見えません。
谷氏がこの物語でどこに重きを置いたのかが解らないのです。

冒頭のプロローグではヒマラヤ登攀シーンで失敗をするところが描かれています。
ここからもこの物語の焦点はヒマラヤ登攀シーンなのでしょう。

しかしこれが今までの谷氏の山岳冒険小説とどう違うのかが解りませんでした。
むしろ作り物である諸作品の方が、もっと人間の限界ギリギリの苦闘を描いていたように思えます。

ドキュメンタリーだから嘘は書けないのでしょうが、資料のない部分は作者の想像力で補っていいはずです。
そこに本作の詰めの甘さがあるように思います。

もしこの作品が谷氏の山岳小説の第1作であったならば、立教大学山岳部の成り立ちからヒマラヤ登攀までの一連の出来事を綴ったこの内容で十分満足できたでしょう。
しかし、既に何作か山岳冒険小説を出している作者が今頃になってこういう作品を著すのならば、そこにはやはり物語作家としての+αを求めるのが読者の性ですし、それに応えるのが作者の力量でしょう。

きつい苦言になりますが、遅きに失した作品、もしくは内容不十分の作品と云わざるを得ません。


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 2

遠き雪嶺(上) (角川文庫)

著者 : 谷 甲州

出版社:角川書店

発売日:2005-10-25

評価 :

完了日 : 2008年10月23日

明治中期に始まった近代登山が普及するにつれて全国各地で次々と登山団体が生まれた。
特に旧制高等学校や大学などの山岳部が多く、立教大学山岳部もその中の1つだった。

しかし、慶應、早稲田、京大などの大規模な山岳部に比べ、部員数が格段に少ない立教大学山岳部はその特異な活動から部員一人一人が高い技能を備えた少数精鋭のクライマー集団であり、「冬山の王者立教」とまで呼ばれる存在になっていた。

日本アルプスにおいて数々の未踏ルート、未踏縦走を成しえた立教大学。
やがて彼らは海外に眼を向けるようになる。
そして昭和11年9月、彼らは日本人として初めてヒマラヤ登攀に挑戦する。


数々の山岳小説を物してきた谷氏が今回取り組んだテーマは戦前の立教大学山岳部を扱ったドキュメンタリー小説。
上の粗筋にも書きましたが日本人で初めてヒマラヤ登頂を成功したチームの物語です。

これは当時TVで流行っていた『プロジェクトX』を髣髴とさせる内容です。
しかし決定的に違うのはこれは小説であるという事です。

したがってあのTVの手法をそのまま小説に持ち込めばなんとも味気ないものになります。
そしてこの作品はそれをやってしまって、全体的に淡白な印象を受けます。

事実を扱ったドキュメンタリーであっても、小説家のフィルターを通れば自然、物語に熱を帯びてくるものですが、本作においてはそれが見られません。
立教大学山岳部の成り立ちと初のヒマラヤ登攀挑戦に向けての数々の苦難、ようやくヒマラヤに着いてからの未知の世界・習慣に対する戸惑い、そしてやはり世界の屋根ヒマラヤが持つ、他の山々の追随を許さない過酷な環境。

これら一通りの事は語られますが、非常に淡々としており、苦労が真に迫ってこないのです。

(この感想は下巻に続きます)


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 5

そして夜は甦る (ハヤカワ文庫 JA (501))

著者 : 原 りょう

出版社:早川書房

発売日:1995-04

評価 :

完了日 : 2008年10月22日

西新宿の3階建ての寂れた雑居ビルに事務所を構える探偵沢崎。
彼が事務所に戻ってみると、30歳後半と思える疲れた印象の男が待っていた。

彼はルポ・ライターの佐伯という男が沢崎の許を訪ね、その男の行方を知っていると思っていたが、沢崎には一面識もなかった。
結局その男は海部という名と二十万ほどの金が入った封筒を沢崎の許に残し、去っていった。

それからしばらくして韮崎という弁護士から電話が沢崎の所に掛かってきた。
高名な美術評論家であり、かつては東京から神奈川にかけて鉄道会社とデパート経営を行っている「東神グループ」の経営者として辣腕を揮っていた更科修蔵氏が仕事を依頼したいので邸まで来て欲しいという内容だった。

一介のしがない探偵にこのような大金持ちが何の用事があるのか訝る沢崎だったが、韮崎の口から出た佐伯の名に興味を持ち、田園調布にある豪邸を訪れる。
そこで面会した更科修蔵自らが話した依頼とは、娘の名緒子の夫である佐伯の消息を探る事だった。

何でも佐伯はある日突然、妻に離婚の要請を一方的に突きつけ、慰謝料として5000万円を要求し、5日前にその慰謝料を受取りに更科邸へ来る予定だったが結局来なかったとの事だった。
その後、佐伯と連絡を取ろうとしたがその行方は杳として知れず、佐伯の部屋に残されたメモに沢崎の事務所の名前と電話番号が記載されていた事で連絡したというのが事の次第だった。

一旦は依頼を断った沢崎だったが、自分の後を追ってきた名緒子を依頼人として共に佐伯のマンションを再び訪れる。
そしてそこにあったのは暴力的なまでに荒らされた部屋と50代と見られる警察官の死体だった。


デビュー作にしてこのクオリティ。
この原尞氏はまさにチャンドラーの正統なる後継者です。

物語の導入部にある大富豪更科の邸への訪問は正にチャンドラーのマーロウシリーズ第1長編の『大いなる眠り』へのオマージュそのものです。
そして冒頭と終盤に現れるあの男は『長いお別れ』のテリー・レノックスでしょう。

こういう舞台設定からして、チャンドラーを愛する者としては(自分のことをチャンドラリアンとまで評するほど、私はまだ判っていませんが)胸がくすぐられる思いがします。

さらに加えてプロットにはロスマク的家庭の悲劇も加味されています。
権力に溺れゆく人々の狂った歯車がぎしぎしと音を立てて、沢崎によって一つ一つ解体されていきます。

そして登場人物たち。
悪友ともいうべき新宿署の錦織、「カイフ」とだけ名乗って去っていった男、渦中の更科一家はもとより、中盤以降事件の焦点となる都知事の向坂、その弟で俳優の向坂晃司。

特に向坂知事はその描写からして現都知事の石原慎太郎氏をモデルにしているとしか思えません。
この作品当時、まだ新宿都庁は出来ておらず、当然の如く都知事も違います。
まるで原氏はこうなる事を予見していたかのようです。

しかし正直に云えば、双子の兄弟でありながらある事情で苗字が違う仰木弁護士、失踪した佐伯を密かに慕う辰巳玲子、失踪した男の世話をしていた海部雅美などの登場頻度の少ない脇役の方が妙に印象に残りました。
とどめはかつての沢崎のパートナーだった渡辺。
手紙のみの登場をしなかった彼が今後シリーズにどのように関わってくるか、興味深いですね。

しかし何と云っても圧倒的存在感を放つのが主人公である探偵沢崎です。
その他者の侵入を容易に許さぬ姿勢、上下関係や権力者特有の主